もしも耳を切られたならば
突然ですがちょっと想像してみてください…
たとえば美容院で耳を切られてしまった場面を。
当たり前のことですが耳は切られてしまったらそれっきりです。
“耳を切られた”という事実がそこに残るだけです。
だからそんな時、美容師さんの立場としてはひたすらに謝ることしかできません。
そこには“耳を切られた”という事実があるだけだからです。
でもそれはあなたにとっても同じ。
耳が切られてしまったことは事実として起きてしまったこと。
あなた自身にとっても“耳を切られた”という事実を受け止めることしかできないのです。
とは言え、あなたはそれを不快に思うでしょう。
でもだからと言って切られた耳が戻ることはありません。
すでに起きてしまった出来事は代わりの何かなどでは埋め合わせる事は出来ません。(金銭や他の何かで対価を求めるなら話は別ですが…)
でも考えてもみてください。仮に他の何かに対価を求め多少の溜飲を下げてみても「耳を切られてしまった」という事実は取り消せないし変わることもありませんよね?
つまりこれはふつふつと沸き上がる苛立ちにも全く同じことが言えるのです。
改めて想像してみてください…
その苛立ちに意味はありますか?
その苛立ちは何か生産的なものを生みますか?
その苛立ちに捧げるエネルギー、他の大切なものに回せませんか?
その苛立ちに振り回された時間、シンプルにもったいなくありませんか?
よくよく苛立ちの元を観察してみると、好んでその苛立ちに首を突っ込んでいる自分自身の存在に気が付けます。
苛立ちにはある種の慰めがあるからなのでしょう。
しかしそれは前向きな慰めではありません。
どちらかといえばそれは、自分を慰めれば慰めるほど都合の良い形に認知を歪め正当化していくだけの慰めです。
それでは結局“苛立ちという囚われ”からは抜け出せなくなってしまう。
いえ、この囚われにはある種の快楽性があるから、あえて苛立ちを深掘りさせてしまう一面も持ち合わせているのでしょう。
だからこそ、その快楽には浸ってはいられません。そう。1分1秒たりとも。
起こってしまったことはありのままに受け入れて、今やるべきことに意識を飛ばす。自分から切り離す。他人事にする。
怒りの感情なんて案外、これだけでもうまく処理できてしまうものです。
願っても、願わなくても人生には何でも起こり得ます。
そんな中にあって、自分にコントロールができることなんて一体どれぐらいあるでしょうか?
自分ではどうにもならない事をあれこれといつまでも考えているよりは、出来るだけさっぱり他人事にしてしまう。そしてどれだけ悔しくても広い心で赦す。
あなたにはまだ他に考えるべきことがあります。たくさんたくさん、たくさ〜んあります。(よね?)
苛立ちという名の快楽に向き合っているよりは、誰かのためになることを少しでも増やしましょう。
ちょっと自分に冷めた距離感で考えてみれば案外いけますよ。
「んまぁ、起こってしまったことはもう…仕方ねぇよな!」
ってね。
コピーライターには平常心を維持するためのセルフコントロールが求められます。
集中力の維持とメンタルの安定性はコピーの出来、不出来に直結する重要ポイントだからです。仮に乱れたメンタルでコピーを書いてみても、その不安定さを隠し切るのは困難なこと。
どれだけ平静を装ってみても、見る人が見ればそれは一目瞭然で丸わかりです…
だからこそ僕は”怒り”の感情がもたらすメンタルの不安定さに細心の注意を払っているのです。そして、瞬間的に怒りを打ち消すための行動を取っているのです。
今回は僕なりのアンガーマネジメントをお伝えしてみました。
僕と同様に平常心を保つことが求められるあなたにとって、何かしらのヒントになれば幸いです。
んでも耳切られるのは嫌だよなぁ。
正直ちょっと…
イラッとはくるよね(笑)
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