四十では迷っていたけれど、ようやく六十にして惑わず?
ヒーズ株式会社の岩井徹朗です。
孔子の言葉としてよく知られています。
私は明日でちょうど60歳。孔子の言葉に従えば、「耳順う」なので、人の言葉に素直に耳を傾けるようになる年齢になります。
ただ、なかなかその境地までには至っていない感じです。
感覚としては「六十にして惑わず」ですが、孔子の時代と違って、人生100年時代と言われる現代であっては、そのくらいでちょうど良いのではと勝手に思っています。
20年前の2003年、私は二つ目の勤務先であるイーバンク銀行(現:楽天銀行)を退職しました。その時、次の就職先を決めていた訳ではなく、ましてや、起業するなんて思ってもみませんでした。
「まぁ、なんとかなるかぁ」という根拠のない自信の下、勤めて3年というちょうど区切りのタイミングで、会社を辞めたのです。
今ではいろいろな転職サイトがありますが、当時はまだそこまではなく、ネットを使って転職活動するという感じではありませんでした。このため、いくつかの転職支援会社に履歴書を持って登録しましたが、思ったよりも苦戦しました。
自分としては、いろいろとやってきたという自負があり、それなりの経験と実績を積んできたつもりでした。しかしながら、前職での給料がそこそこ高かったことと、年齢が40歳ということもあって、なかなか次の就職先が見つからなかったのです。
したがって、40歳の私は不惑として迷うことがなくなったというよりは、けっこう迷いっぱなしでした(汗)。
そして、年末近くになって、とある小さな人材紹介会社から、あるベンチャー企業を紹介してもらい、翌年から働くことになりました。
その後紆余曲折を経て、今に至る訳ですが、自分がやることについて迷うことが少なくなったのは、ようやくここ数年のことです。
私は3月生まれなので、学生時代の同期はほぼ皆さん60歳を迎えています。企業に勤めている人は役職定年を迎えたり、孫が生まれて、おじいちゃんやおばあちゃんになったり、といった投稿をSNS等で見かけます。
しかしながら、私の場合は自分で仕事をしているので定年はなく、子供もいないので当然ですが、孫もいません。このため、なんだか「自分が還暦なのかぁ」という実感があまり湧きません。
一方で、いろいろと活動していると、年齢に関するアンコンシャス・バイアス(無意識の思い込み)があるのを感じます。
いわゆる働かない昭和のオジサン世代として
・仕事をしないわりには口うるさい
・若い人や女性の活躍を邪魔する
・最新の技術やシステムについていけない
といったグループの一員として見なされ、話をする前に年齢で差別されることがあります。
性別や肌の色などで差別することに対してはすぐに糾弾されるのに、年齢で差別することに対しては意外とスルーされていることは多いです。
もちろん、政治の世界や一部の大企業で見られるように、老害の問題があるのは事実。また、若い時にように徹夜しても大丈夫という訳にもいきません。
けれども、一人ひとりをきちんと見ていれば、年齢は高くても、若手以上に意欲を持って、いろいろなことに挑戦し続けているシニアがいるのも事実。
変化の激しい時代にあっては、人の言葉に素直に従うだけでは不十分で、「それって、本当なの?」と疑問に思う視点は欠かせません。
このようなことをしていると、人からは嫌われるかもしれません。しかしながら、「嫌われてもいい、それが自分だから」とようやく思えるようになったので、私としては「六十にして惑わず」です。
なお、人を突き動かす原動力である「心意気」を言葉にすると、男性よりも女性の方が大きく行動変容するケースが多いです。このため、最近では「女性活躍応援プロジェクト」にも力を入れています。
個人的には、昭和のオジサンたちがくだらないちっぽけなプライドを捨てて、若者や女性がより活躍するために「捨て石」となる覚悟を持って日々を過ごせば、日本はもっと良くなると信じています。