noteを始めることを躊躇してしまう二、三の事柄
アカウントは作ったものの、いつまでたってもnoteを始めないのに痺れを切らした会社のスタッフから、どうして躊躇してしまうのかを書けばいいと言われたので、書いてみることにした。
「彼女について知っている二、三の事柄」といえばジャン=リュック・ゴダールである。
私がnoteについて知っている事柄といえば、
・冒頭にリード文をつくろう
・一つの記事で一つのテーマを扱おう
・こまめに段落をわけ見出しをつけよう
・文末で要点をおさらいしよう
・公開前に音読をしよう
これらはnoteのはじめかたの、本文のポイントに書いてあったことである。
私がnoteに書くことを躊躇させている理由はまさにそこにある。
好きに書かせてほしい、好きに逸脱させてほしいのよ、ねえジャン=リュック・ゴダール。ルールや決め事が好きな人もいるけど、嫌いな人もいる。
とまあ、noteのお作法に抵抗しながらどこまで書けるかチャレンジなのですが、
パリ郊外の新興団地に住む主婦が、光熱費などの高騰によって売春せざるをえないという調査書を元に、ジャン=リュック・ゴダール監督が女性たちの日常を淡々と描写。その姿を通じて資本主義社会の歪みを批判する。 1966年に公開されたこの映画は、後の日活ロマンポルノ『団地妻 昼下りの情事』に多大な影響を与えた。(索引:wikipedia)
索引、引用めんどくさい。だけど、使い方だけは覚えておこう!
もう、そういう時代がすぐそこまできているのかもしれない。(ペコパ風)
さてこの映画、遥か昔に見た映画なので、細かい内容はよく覚えていませんが、かなりハチャメチャ、でもそれがヌーベルヴァーグ。
ヌーヴェルヴァーグとは、広義において、撮影所(映画制作会社)における助監督等の下積み経験無しにデビューした若い監督達による、ロケ撮影中心、同時録音、即興演出などの手法的な共通性のある一連の作家・作品を指す(単純に1950年代末から1960年代中盤にかけて制作された若い作家の作品を指す、さらに広い範囲の定義もあり)。しかし、狭義には映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』の主宰者であったアンドレ・バザンの薫陶を受け、同誌で映画批評家として活躍していた若い作家達(カイエ派もしくは右岸派)およびその作品のことを指す。ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロル、ジャック・リヴェット、エリック・ロメール、ピエール・カスト、ジャック・ドニオル=ヴァルクローズ、アレクサンドル・アストリュック、リュック・ムレ、ジャン・ドゥーシェ。また、モンパルナス界隈で集っていたアラン・レネ、ジャック・ドゥミ、アニエス・ヴァルダ、クリス・マルケル、ジャン・ルーシュ等の主にドキュメンタリー(記録映画)を出自とする面々のことを左岸派と呼び、一般的にはこの両派を合わせてヌーヴェルヴァーグと総称することが多い。(引用:wikipedia)
ゴダールは一貫して資本主義に対して懐疑的な眼差しで作品を作っている。
しかしわたしは早速、資本主義の行く末の様な
AmazonでDVDを購入。
私は多分本当の資本主義も社会主義も知らない。知らないのなら、今知ればいい。
とペコパなら言うだろう。
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