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海外ノマド-通訳の仕事って?通訳者は万能じゃない #想像していなかった未来

私は海外ノマド生活を送っている。最初はまさかこんな生活を続けることになるとは思っていなかったが、12歳から色んな国を転々として暮らしている。
海外にいる時は気候や文化の違い、生活様式の違いなど、やっぱり身体が資本だ。けれど私はあまり元気ではないこともある。気力はあるが実は体力はない。


通訳の仕事

私は海外暮らしの中で、様々な仕事をしているが、その中の1つが通訳だ。通訳にはなりたくてなったわけではなく、少しずつ色んな仕事をしている中で

「英語ができるから。」
「フランス語ができるから。」

という理由で、仕事の一環で通訳という仕事もするようになった。
それこそ、他の仕事をしながら、その中で会議などがあって、外国の方とのミーテイングがあるから、と通訳をしなければならない状況や、仕事上で外国の人が何か発表する時に通訳をしないといけない、というような状況で、少しずつ通訳という仕事をするようになった。

それこそ、最初は
「英語ができるから。」
「フランス語ができるから。」

ということで、それで語学ができるスタッフということで、様々な仕事をしてきた。この場合は通訳ではないので、待遇も全然違う。
通訳の方が給料は高い。そんな体験が1つ1つ積み重なって、いつの間にか「通訳」も1つの仕事として承れるようになった。

海外生活が長く、語学も色々学んできたので、やはり語学を使った仕事をすることが多かったが、実は大学生の頃「将来なりたくない仕事」が「通訳者」と「日本語講師」だった。そんな私が様々な仕事をする中で、「通訳」も仕事になるとは想像もしていなかった。

海外に住んでいれば語学ができる人はそこそこいるが、語学が得意ではない人も多いかもしれない。
意外と通訳というのは特殊な仕事で、「できない」と言う人も多い気がする。もしくは海外在住していたから、ということではなく、語学が好きで、通訳の仕事を選んで通訳になる人もいる。

私も最初は語学はツール(道具)であって、語学そのものを使った仕事をしたいとは思っていなかった。けれど語学そのものには興味があって、語学学習に興味があり、だからこそ、日本語にも、英語にもフランス語にもそこそこ興味があったので、言葉を訳す「通訳」と言う仕事そのものにある「言葉を伝えること」ということにはとても興味を持っていた。

ただ、実は通訳は好きな仕事ではなかったので、今も頼まれたら業務内容によって引き受けるが、どちらかと言うと積極的にする仕事ではない…。

実は先日の通訳仕事のせいで体調崩して数日外出できなくなった。通訳のせいというと大げさだが、仕事の後ぐったり疲れてしまった。
と言う事で、通訳という仕事について、そしてそんな通訳と言う仕事での愚痴を…書いていこうと思う。

通訳は万能じゃない

実は、通訳が好きではない私は、今回の承った通訳業務は実際の業務が異なり、その後家に戻って体調を崩して家から出られなくなってしまった。私は人前で話すことが苦手なので、そういった業務は依頼がある時に断るようにしている。
また、語学ができるから、と言って何でも訳せるわけじゃない、のだ

通訳業務は
⚫︎アテンド通訳
⚫︎会議通訳
⚫︎セミナーなどの通訳

と異なる通訳業務がある。
そしてそれは業務内容も料金形態も異なる。

私は通常この企業では日本語ー英語アテンド逐次通訳の仕事を受けている。ただし、訪問先はフランスの企業でもあるので、フランス語ー日本語での通訳になることもある。

私は通訳と言っても例えば会議などの同時通訳などはできない。
語学ができることと通訳ができることは別の能力でもあるのだが、それがあまり理解されないこともある。

また、人前での司会やセミナーなどの通訳なども、大勢の前で話すので、これもある意味別の能力だと思う。
語学ができることは通訳ができるということでもないし、その通訳業によってもまた別の能力なのだ。

また、3,4言語できる人でも、通訳をするのに3言語同時はかなり大変だ。最初からどの言語で話すか分からないと、こちらもそう簡単に通訳できないこともある。

通訳者の料金と業務の違い

通訳と言っても、同時通訳、特に会議などでは事前に資料をもらえることもある。そして高度な能力が求められるので待遇も異なる。

また、セミナーなどの通訳も、事前にPPTなどをもらって準備をすることが多い。
だから、1時間の通訳料金は決して1時間の労働力ではなくて、通訳ができる能力を得るために費やした時間も、その能力に値する価値だと思うが、それだけではなく、その通訳のための準備や下調べ、特に単語などを調べておくこともあるので、それで時給としては高く見えるように思う。

先日請けた仕事は
「通訳さんと一緒に日本の団体が来るので、少人数に分かれて話をするときに、アテンド通訳をしてほしい。」
という仕事だった。それなのに、急に
「発表の時の通訳をしてくれ」
と発表の3分前に言われた。こちらも準備ができていないと急な依頼と請けた仕事以外はできない。そこで

「できない」と言っても
「やれ」と命令された。

仕事は依頼者がいるし、受ける方はお金をもらう側なので、命令されるものなのかもしれないが、やはり、それでも依頼するべきなんじゃないかと思う時がある。それに、依頼を受けた業務によって料金も異なるので、業務を請けた後から、業務内容が異なる(難しくなる)ということは契約違反になってしまう。
それでも、こちらの臨機応変にある程度は対応しようとは思うのだが、相手の態度が

「通訳として雇っているんだから、やりなさい。」
というものであれば、やっぱりこちらも快くなんでも対応しようとは思えなくなってしまう。

「やっぱり通訳お願いできないかな。」
と一言言ってもらえれば、まだ良いが、そこに通訳(私)がいるから、じゃあやらせる、という態度はどうも間違えているのではないかと思うのだ。

雇用主は誰なのか

また、雇われ側はフランスの会社で、そこに訪問した日本人の団体さんは私の顧客ではない。それなのに、その中の通訳だったらしい方が私に
「やって。」と言ってきたので、私はちゃんと彼女に
「私の仕事は皆さんの前で通訳をするのではなく、アテンド通訳の依頼なので、これは私の仕事ではない。」
と伝えた。

それでも、結局今回の雇用主であったフランス企業に
「フランスはこうだ(融通を効かせる)」
と言われたが、実際曖昧な働き方は日本の方が多い。結局無理矢理やらされた。

私の「できない」は、能力そのものの問題ではなく、人前で話すことができないので、そういう仕事は元々お断りしているのだ。
だからこそ、最初から業務委託として依頼を受けて、できる仕事を請けるのに、仕事を請けた後に業務内容を変更したら、それじゃあ、安い賃金でそれ以上の仕事を平気で依頼することと同じことになってしまう。

できないこと、しないこと

承った仕事と別の仕事を依頼されれば「しない」「できない」と言うのは当然だ。本来できないのだから仕方ない…。それは語学そのものができないというのではなくて、人前で話せないという別の能力の問題だ。そういった外見では分からない能力や体質的、性格的にできないことを強要されるのは本当辛い。

本来ならフランスはある程度規則に決められたことをして、労働者が守られている印象がある。

引き受けした仕事は通訳だが、その仕事内容は
「日本からフランス企業にある協会が通訳の方と一緒に訪問される際、人数が多いのフランス企業側について、日本人の方々と会話をする際のアテンド通訳」ということで依頼を承った。それなのに急に人前での商品説明や企業説明など

「通訳なんだからなんでやらないんだ!」

というのは筋が違うような気がした。

そして、その発表やセミナーのような通訳で、英語ー仏語ー日本語、3言語での対応になると更に変わってくる。何も準備がないだけではなく、話す人は毎回変わるし、そらが英語がフランス語かというのすら、事前に教えてくれていなかった。その場合、本来2名の通訳が必要なことも多く、更に料金がかかることもある。
ただ、今までの仕事ではたとえ3言語、簡単な会話なら4,5言語できるのだが、料金的には変わらず、ただ都合よく仕事させられることも多かった。だからこそ、最近ではなるべくそういう仕事を請けないようにするか、料金などに関してはなるべく明確に対応しようと心掛けている。

また、3言語対応だと、そう簡単に頭のスイッチも変わらないし、事前に何語での対応かも知る必要がある。そういう小さな気遣いもなく、
「語学ができるということは通訳もできるんでしょう。」
という認識にされる。

通常なら日本語ー英語、もしくは日本語ーフランス語対応の2人必要になることも多い。特にフランスは英語対応できる人が少ないらしい。そこで3言語通訳対応するひとは更に少ないようなのだが、そんな中で人前でセミナーのような通訳は本当に大変だった。

私は個人的事情からそう言った人前での通訳は対応しない。
ましてや通常は当日の急な発表や人前での通訳対応なんてできない。

お客はだれなのか

それでも初日急に、予定にあったはずの日本の協会側からの通訳ではなく、私の方に通訳するように指示があった。仕方なくこなしていたが、それは契約違反だ。
仕方がないとしても、「依頼」ではなく「命令」だったことも不快に感じた。

2日目は
「会社案内だから、内容は専門的ではないし、通訳はお願いしない」
と言ってあるのにも関わらず、2日目も同様、日本の協会が当日直前に私の方で通訳をするようフランス企業の方へ指示があった。

雇われ主はフランス側だが、日本側が先に私と会っていたので、公式ではなくても日本側の方々は、私本人に一応確認したり、ちゃんと「お願い」できないのだろうかと本当に不思議に思った。

私も雇用側の意見を聞く。もちろん日本側は私の顧客ではないので依頼を受ける必要はない。
もしも承ったサービス以上のことを依頼したいのであれば、特に自分たちが雇用者でないのであれば、そこに金銭が発生していないなら尚更、相手へ「命令」ではなく「依頼」や「お礼」はできないんだろうか…と彼らの、特に先方の方にいらした「通訳」と言う方の態度を疑った。

本来「通訳」と言われていた彼女は「私は通訳じゃない」と言うし、日本側は私がそこに来る予定になっていることも知らなかったはずだ。それならいったい誰がそこで「通訳」をする予定だったのだろうか。

大げさかもしれないが、それこそ、そこに通訳(私)がいるから都合良く通訳させるというのは、人の仕事を少しバカにしていないかなと思ってしまったりもしてしまう。通訳って本来通訳以外しない人たちも多く、頭を使う仕事でもあるので、休憩時は完全に休憩させてもらったりもする。

それが、結局会社の商品発表の際の通訳、社内案内の通訳、そして、アテンド通訳なので、休憩中や食事中も通訳をしないといけない(そしてその時間帯が実際に通訳をしないといけない時間帯でもあった)。

又、仮に能力的に可能だとしても、通常私はプレゼン通訳、大勢の人前などは健康上の理由から断っている。だから、精神的にも、頭の中も心身ともに疲れてしまった。

できることとできないことーできない辛さ

私が人前での通訳が「できない」というのにはちゃんと理由がある。

私はパニック障害があって人前で話すことができない。精神的なこう言う病気に関して、目に見えないものなので仕方ないところもあるが、それを受け入れないと言うのは規定に反する…。

これは英語やフランス語で考えると分かりやすいのだが「できる」には

Can
Be able to

の2種の「できる」が存在するのだ。能力としてできる、と身体や知らないことで「できない」ということがある。

①わたしは泳げない(泳ぐことを知らない)
②今日は風邪をひいていて泳げない
という2つのできないがあると思う

私は語学力としてはできるが、別の理由でできないことが多い。それをどうも理解してくれる人が少なく、今でも色々苦労する。

身体的にも片目が見えないので、実は色々苦労することが多い。けれど片目だと障がい者認定されないし、一応日常生活ができているので、周囲は知らないことが多い。

パニック障害も、日常生活では問題ないが、パニックになる場所を避けるようにしている。
結局今回もその仕事のせいで、ここ数日外出できなくなっている。こう言うのって正社員だったり、ちゃんと医者で診察してもらえれば、有給などがあるが、フリーランスで働く場合は自分で自分の身を守るしかないし、こうして倒れても何の保証もない。

目に見えない病気って本当に辛いなと思うのだ…。

それでも前に進んでいく

通訳と仕事は、それを専門にできればかなり稼げるし、良い仕事だと思う。けれど、私は語学をツールと認識していたし、大学生のころはなりたくない職業の1つだった。

それでも、経験や月日が経つうちに、いつの間にかこうして英語ーフランス語―日本語の3か国語ではビジネス通訳まではある程度問題なくできるようになっていた。

経験を積んで、今でも依頼があれば対応し、そのお陰で様々な経験もできるし。それは本当に有難いことだ。
まさかこうして自分がそこまでちゃんと語学ができるようになる日が来るとは、昔は思ってもいなかった。
最近ではGOOGLE 翻訳やAIでの通訳も可能な時代になっていて、通訳も要らなくなると思われがちだが、私は通訳は数は減るかもしれないが、この先も絶対に亡くならない仕事だと思っている。

通訳とは、ただただ言葉を訳すだけではなく、相手の意図をちゃんと伝えられるように、何か付け足したり、ときには省いたりすることもある。伝えたいことをちゃんと伝えるのが、通訳だと思っている。特にビジネスではお互いの要望がちゃんと伝えられることが必要ではないかと思うのだ。

今でも本格的に通訳として生きて行こうとは思わない、が今までの経験のお陰で、そういう言葉にたいする姿勢を持てていることは有難いことだと思っている。

語学ができれば世界が広がると言われることもあるが、確かにそれだけ多くの人とコミニケーションができて、そういう意味では世界が広がる。
ただし、通訳をしている時は、自分の言葉を発することが少ないので、ある意味そこは自分自身はなくなって、きちんとメッセージを伝えることが仕事になる。

今回の通訳は大変だったが、とりあえず焦らずゆっくり家で休んで美味しいものを食べよう。


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