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「良い文章を読みたい奴は小説でも読んでおけ」美しい文章について

こんにちは。こぺです。

年末に詩人の茨木のり子さんが著した『詩のこころを読む』という本を読みました。この本は岩波ジュニア新書の本なので、社会人向けに書かれた本ではないのですが、却って若くして知っておくべき日本の名作の詩をオーバービューできると思います。

この本は茨木さんの思い出に残っている詩を取り上げ、その詩を解説する、というように進んでいきます。

その解説は、感性を働かせながら詩を味わうといったような趣旨のもので、基本的に歴史などの背景知識や理論を中心としたアカデミックなものではなく、詩の楽しみ方が徐々にわかっていくような感覚がありました。

そして、この本を読んでから、美しい文章というものに興味を持ちました。

そういうわけで、僕自身今年はそのようなことを意識して生活したいのですが、1つ今の世の中について思うことがありました。

それは、活字の情報を単なる情報として取り扱う事に何の疑問を持てなくなってきたような気がしたことです。

具体的に言うと、webメディアやネットニュースで似通った文体や見出しが増え、見慣れた平易な文章の方が容易に情報を得ることができるので、あえて凝った文章に挑むという気概がもはや無くなってしまいました。
特に、「〇〇が△△なワケ」や「〇〇とは?△△10選!」といったような見出しがついた記事によく見られる傾向だと思います。

もちろん、こういった記事で書かれている似通った文章の方が、情報を得る速度は早いと思います。


しかし、その文章を読むだけで筆者の人間味が薫るような文章、つまり「誰かの脳内や経験の結晶」という意味での美しい文章に触れることができなくなった気がします。

「良い文章を読みたい奴は小説でも読んでおけ」という声が聞こえてきそうですが、これには近所の喫茶店が閉店した時のような寂しさを覚えます。

だからどうするべき、というような意見を言えないので恐縮ですが、そんなことを考えていました。

いつか、僕自身も美しい文章について発信していけるようになれたらいいなーと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

こぺ

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こぺ
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