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理性 vs. 感性 建設的な議論とは feat.論破キング #3 崑

論破キング

間が空いてしまいすみません。他の事でバタバタしていました。

今日は大学生活とは関係なく、『論破キング』というユーチューブチャンネルを昨日発見し、面白かったのでそれについての私見を共有できればと思いました。この番組は社会問題”や“時事ネタ”をテーマに、ディベーターが互いの個性を活かして討論バトルをするというものです。

一般的にユーチューブでは自分の考えに近いチャンネルをフォローしがちで、反対派の意見は見聞きするにしてもそれらの自分寄りの論者からの情報(バイアスが有ることが多々ある)しか無い、という状況に陥りがちです。結果益々相手方の意見を聞くことが減ってお互いに対立を深めてしまう、という現状になっているのだと思います。

その点このチャンネルではディベーターがお互いに自分の立場を擁護しながらも相手からの反駁にしっかりその場で答えている点で、かなり好印象を抱きました。これなら建設的な議論が為されるのでは?と期待を持ちました。

討論と議論

しかし、やはり何個か見ていたらどこか不毛だと感じ始めました。ディベートは論理力を鍛えたり、自己主張をする練習になる点では有用だと思います。しかし、当然ですがディベートは立場ありきです。『私の立場はこうだから~』っていうのが滲み出ていて、建設的な議論をしていない感がありました。アフタートークでそこの部分は若干解決できている気もしますが、少しもったいない気がします。僕が見たいのは議論だからです

 日本では、討論(Debate)と議論(Discussion)があまり区別されていない。これは海外でも混同されることが多いようなので仕方ないが、科学の世界では、前者はまったく採用されず、後者だけ。討論は勝ち負けにこだわる手法でしかない。他方、議論は真実の探求のために行われる共同作業で、どっちの論が正しかったかといった、勝ち負けは気にしない。                                           『「相手を言い負かしたら勝ち」の討論はもうやめよう 』

ぶっちゃけ言って、社会で必要なのは議論する能力ですよね。何か問題にぶつかってお互いに違う意見がある。しかしそれでも何とかしなきゃいけないからお互いの立場の根っこにある考えをシェアして、それをすり合わせていく。そのプロセスを経て、よりベターな解決案を導き出す。当然社会という複雑な有機体の中には明確な真実など存在しない場合がほとんどだと思います。しかしながら我々は生きていく限りその面倒な過程を繰り返してお互いに生きやすい社会という目標に近づいていくしかないのだと思います。

理性と感性

ディベートは哲学と同じで、結局は理詰めです。相手が言ったことの穴を見つけて、そこを理性的に指摘していく、論理の穴を探して自分の主張を有利に進めていく。今回僕が取り上げた【論破】「人種なんてどうでもいいんだよ!!」フィフィが人種差別問題にブチギレたも同様です。フィフィさんがリトルマーメイドの黒人女優という『原作無視の多様化』を歴史の無視であると批判すると、弁護士の髙橋さんは『社会教育のためにもポリコレは必要』と主張する。

ぶっちゃけて言うと、こんな討論じゃ問題は解決しないと思います。確かに理性的に討論しているけども、両者の違いは完全にヴィジョンの違いだからです。要は両者の違いは「生まれ持った差(宿命、運命)を受容するかどうか(又は出来るかどうか)」という人生への態度(感覚)、スタンスの違いに由来するのです。フィフィさんは右翼的なスタンスで、『皆が平等な条件で人生をスタートするなんて不可能だから、それを受け入れて生きるべき』、左翼的な髙橋さんは『自分でどうこう出来ない生まれ持った不平等によって出来る差異は不当である為可能な限り是正すべき』というスタンスです。両者のヴィジョンには根本的な齟齬があるのです。この討論されていない大前提が全く噛み合っていないので、そこから導き出されるディベートが平行線を辿るのは当然だと思います

僕は両者のヴィジョンそれぞれにメリットデメリットがあると思います。でなければ人類こんな何千年も争う訳無いです、そこまで人間阿呆じゃないです。僕が最も忌避するのは、このような複雑な問題を単純化して一方を絶対化するイデオロギーです(ネット上の99%はそうだと思いますが…)。その人が右派であれ左派であれ、そのスタンスに至るのにはそれ相応の要因があるはずです。時代背景、国柄、性別、家庭環境、性格、挙げ始めたら切りがありません。その複雑性をすっ飛ばして一方的に弾劾するのは紳士的とは言えませんし、美しくないです。正しそうにも思えません。真善美を重要視するのは古代ギリシャからの哲学の潮流ですが、これには僕も同感です。これらを失ったから、今の日本はこのようになっているんじゃないでしょうか。

まあこの記事で伝えたいことは、相手の立場に立って物事を考えてみようってことです(笑)。そうすると自分の立場をある程度客観的に捉えることが出来、自己反省にも繋がります。自分の立場を固定しちゃうのはもったいないです。変えないべきところは残して、間違っているところはしっかり修正することが大切なんだと思います(これが伝統的な保守思想です。今の自民党の売国右翼ではありません)。こうやって皆が意見をすり合わせていくことでしか良い社会は作れないのだろうなっていうのが私個人の考えです。

長々と読んで下さりありがとうございました。良ければいいねとフォローの方お願い致します。


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