〈即興カフェ〉10年の活動記録から考える~〈関係性の音楽〉とは何か①
2024年3月に日本音楽即興学会奨励賞を受賞いたしました。若い方を差し置いて大変恐縮しましたが、2011年東日本大震災を機に〈音楽、サウンドスケープ、社会福祉〉の道筋をたどる中で、それまでの《即興演奏》を音楽ジャンルではなく、もう少しメタフィジックに《関係性》から語り直してみたいと思いました。芸術教育デザイン室CONNECT代表ササマユウコ個人が主宰してきた〈即興カフェ〉を軸にこの10年間を折に触れて振り返っていきたいと思います。結果的に、震災以降所属した弘前大学今田匡彦研究室の出前出張として2014年1月に日本橋ダリア食堂で開催した〈音楽×やさしい哲学カフェ〉がキックオフとなり思考実験がはじまりました。ここから10年間、コロナ禍もはさみながら本当に色々な〈即興の場〉が生まれました。
ちなみに今田先生はサウンドスケープの提唱者R.M.シェーファーとの共著『音さがしの本~リトル・サウンド・エデュケーション』(2008年増補版 春秋社)を出版されている哲学博士。サウンドスケープの思想を学ぶためのサウンド・エデュケーションには哲学的思考のレッスンが不可欠なのです(自分が研究室を選んだ理由もそこにあります)。ちなみに日本の音楽大学では〈哲学〉もしくは〈哲学対話〉の授業を必修とされているでしょうか。音楽×哲学(ことば)の視座を持つことは、本来リベラルアーツとして始まった西洋音楽の歴史が身近に感じられますし、その根幹に触れることが出来ると思います。何よりシェーファーが〈サウンドスケープ〉で何を示唆しようとしていたのか。単に耳をひらいて世界の音を〈聴取〉するだけでなく、音風景を〈きく〉ことの先にどのような世界を望んだのか。哲学の視座からnoteの各記事で書いていますので興味のある方はどうぞご覧頂ければ幸いです。
私はこのシェーファーの〈サウンドスケープ〉という考え方に、ここ数年の現代アートの世界で注目されているニコラ・ブリオー〈関係性の美学〉、そこに〈敵対〉という視座から反論するクレア・ビショップの『人工地獄』を始めとする数々の〈問いかけ〉を絡めて注目しています。本当に偶然なのですが今年の1月の学会発表した直後に、ニコラ・ブリオーの約30年前の著書『関係性の美学』が邦訳出版されました(今まで出版されていなかったのが不思議なくらいです)。
ちなみにこの《関係性の美学》を〈音楽〉に当てはめてみた時に、実は〈関係性の音楽/Relational Music〉という言葉が、音楽領域には見当たらないことに気づきます。それはなぜだろう?音楽には関係性が当たり前すぎて、そこを敢えて〈ことば〉にして考察しようとする態度が生まれなかったのかもしれません。このあたりの考察は、来年春の日本音楽即興学会オンラインジャーナルに査読付きで掲載予定ですので、ぜひご注目ください。あらためてご案内いたします。
今日は2014年のキックオフから早10年。自身が各所で活動・体験・目撃した〈即興の場〉の記録写真を公開しながら、それがどのように〈関係性の音楽〉とつながっていくのか、アルバムとして振り返りたいと思います。ちなみに掲載写真は〈ことば〉に合う瞬間を切り取ったのではなく、その瞬間に〈関係性〉を感じた場を切り取っています。
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