映画『ぼくたちの哲学教室』雑感
【ネタバレあり】
少し前になりますが、こちらを観ました。子どもの哲学対話にフォーカスしたドキュメンタリーだと思っていたので(まあ、そうなのですが)、思っていた内容と少し違ったのと、コロナ禍も含む21世紀の今なぜ「ぼくたち」だけなのかやはり頭に引っかかって、少し捻くれた目線で観ていたかなと思います。良い映画には違いないのですが。。
宗教対立でもある北アイルランド紛争の複雑な歴史的背景を理解しておいた方がいいし(被写体はカトリック)、まるで要塞のような平和の壁や、驚くほど殺伐とした街が俯瞰されるたびに、この街の子どもたちには哲学よりも(哲学と同じくらい)緑や花が、芸術文化が必要だと思えてきました。低学年の子どもに暴力の記録映像を見せることの是非も考えました。なぜなら、これだけ対話を重ねてもやっぱり子どもたちは未熟さゆえに問題も起こす。彼らには言葉ではない別のロゴスの存在が必要ではないかと思えたからです。アンガーコントロールとしての哲学教室として描かれていたのも気になりましたが、子どもたちが自らの過ちを後悔して流す涙の美しさには心を揺さぶられました。
しかし何よりも、この街の女の子たちは今どうしているのだろう?哲学を拠り所にしている校長先生は、なぜあれほど身体を鍛えているのだろう(いつか彼を刺すと言った生徒からの防衛のため?)。紛争の中で受け継がれていく「男らしさの呪縛」には息が詰まるような思いがしました。カトリック的な父系社会の伝承というか。
唯一の希望は、男子校の教室の壁にヒュパティアの肖像が貼られていたことでしょうか。子どもたちにはミクロの世界と同じくらい、宇宙から俯瞰する大きな眼差しにも触れてほしいと思いました。
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