ただ穏やかに、幸福に暮らしたいだけなのに。『蜘蛛巣城』
戦乱の世の中における“幸福”とはなんだろう。
頂上に立つために繰り返し裏切り、裏切られ……この頃、深く眠ることができた武将は少ないんじゃないかしら。
過日、横浜の「KAAT神奈川芸術劇場」で上演されていた『蜘蛛巣城』を観劇。
そんなに頻繁に観に行くわけではないけれど、舞台の“ナマモノ”感というのか、会場全体に漂う独特の緊張感が好きだ。
シェイクスピア原作『マクベス』を、黒澤明監督が日本の戦国時代に置き換え、1957年に上映された映画の舞台版。
主人公・鷲津武時は早乙女太一さん、妻・浅茅役の倉科カナさんが演じている。
月並みだけれど、人間の“業”の深さにゾッとするような寒さを覚え、やりきれなさや切なさも感じた2時間だった。
印象に残るのは、鷲津武時(マクベス)のまっすぐさ。
百姓の子どもに生まれ、武士として取り立てられるまでの苦悩や野心、親友であり、武家に生まれた義明に対する信頼と、コンプレックスや妬みから生まれる怒り。
ただただ、浅茅を幸せにしたいと願う愛情。
マクベスの妻というと、“夫を唆して主君を手にかけさせる悪妻”的なイメージが色濃いけれど、親同士が取り決める政略結婚が当たり前の時代にあって恋愛結婚を貫き、子ども(世継ぎ)ができないことに苦悩し、理不尽な理由で妹や甥を殺され、最後には心が壊れてしまう……もう、共感と同情しかない。
一人ひとりの登場人物がとても魅力的で、もしかしたら主君(まぁまぁ暴君)に共感する人もいるのかも。
個人的には、早乙女さんの美しい所作と、謎の老婆を演じた銀粉蝶さんから目が離せなかった。
特に銀粉蝶さん、装いは老婆そのものなのに、しばしば幼女のようにも見えるんだもの。
倉科さんがインタビューで「ふたりがどの瞬間がいちばん幸せだったのか、考えながら観てほしい」というようなことを言っていた。
そうだなぁ…。
頂上を見上げ続ける限り、あるいは頂上を守るために向かってくるものを払い除け続ける限り、ずっと苦しいのだとしたら、武時は命を奪われる瞬間、浅茅は心が壊れて何も感じなくなってから、かもしれない。
いままさに“戦乱の世”が続いている地域を思うと胸が痛む。
ひとは順応性があるから、異常事態が続くとやがてその状況に慣れてしまって、いろんな価値観が崩れはじめる。
家族や友人、大切なひとと笑顔で言葉を交わし、穏やかな日常を過ごす。
そんな超平凡で、かけがえのない“幸福”を、これ以上だれも奪われてほしくない。
そんなメッセージも感じられた、素敵な作品だった。
(この時代に“天下統一”を打ち出した織田信長はやっぱりすごいんだわ、と思う)
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