ミロとミケロ。
過日、渋谷の「bunkamura ザ・ミュージアム」で開催中の『ミロ展ー日本を夢みて』と
初台「東京オペラシティアートギャラリー」で開催中の『ミケロ・バルセロ』展をはしごしてきた。
正確にいうと、渋谷で昼前に仕事が終わったある日、グランマ・モーゼス展を観に行こうと思ったがやや遠くて億劫になってしまい
ならばと行ったミロがものすごく好きで、そういえばスペインつながりのミケロの企画展をやっていたことも思い出し、勢いづいてそのままバスに乗って移動した、というのが経緯だ。
ミロという画家の名前は知っていたが、どんなものを描いていたかまでは知らず、ましてや日本好きなことや、日本の民藝運動に影響されて陶芸をやっていたことなんてまったく知らなかったので驚いた。
つい先日、「民藝の100年」を観て、柳宗悦の豊かな感受性とすぐれた審美眼に憧れを抱いたのだけれど、同じような感覚を、遠いスペインでミロも味わっていたなんて。
いちばん最初に展示されているのは、ポスターにもなっている、浮世絵を背景に貼り付けた友人の肖像画。
抽象画、陶芸作品、日本の書画に影響を受けた作品・・・と少しずつ作風は変化していくが、芯はブレていない気がする。
シュルレアリスムの作品は何が何だかよくわからないというのが子どもの頃から変わらない、どちらかというと陰鬱、というのが個人的な感想だけれど(笑)
ミロの作品はどこかおかしみがあって、なんだかどれも楽しそうで「なんだこれ!こっちも!」と、会場にいる間ずっとワクワクしていた。
その“ワクワク”を余熱に出かけた『ミケロ・バルセロ』には、また別の意味で圧倒された。
絵が、こちらに迫ってくるようなのだ。
じっと観ていると、半分に割られたメロンになって見つめられているような、荒波や闘牛場の中に投げ込まれたような気分になる。
月並みな言葉で評価するなら、どちらも“情熱的”となるのだろうか。
そうだけど、なんか違うんだよな、と“情熱的”の類語を調べたら“気が変”と出て、思わずコーヒーを吹き出しそうになった。
しかし、言い得て妙かもしれない。
気が変になりそうなくらい、表現することに熱中していたのだろうなということが、想像できるから。
ちなみに、Bunkamuraから最寄りのバス停から初台まで15分程度、200円で行ける。
渋谷にはパエリアが美味しいお店もあるし、これはもうはしごしてどっぷりスペインを堪能するしかない、期間中にぜひそうしたい、と思ったことを記録しておく。