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100人出会って1人いたら幸運
タイのチェンマイに2年住んだあと、今は一時的に台湾での暮らし。
気がつけば台湾滞在は1年半が経過。
そんな私が海外生活で悩んでいる人付き合いについて今日は書いていく。
一人が好きな私はチェンマイの暮らしでも、今の暮らしでも積極的に友達作りはしない。
海外だからって、観光地に行きたいわけでもなく、食生活も野菜とか買って自炊。
ただ、生活を送っている。それだけ。
文化、環境、景色、聞こえる言語が違うだけで刺激がある。
旅行して元をとろう
せっかく海外なんだし
こういう考えは自分にはない。
タイのチェンマイにいた理由は、あそこに住んで暮らしたいから。
今も同じ気持ちだ。
今台湾にいる理由は、一時的にいる。
その上で自分が心地よくいれる環境と生活をつくっている。
こうした考えってなかなか他者からは理解されない。
やはり海外にいる自分は、相手からすると外国人。
外国人が海外にいる理由は
旅行、働いてる、国際結婚、留学。
私はどれも当てはならない。
答えは"ただ住んでいるだけ"以上。
チェンマイの暮らしでも、今の暮らしでも
はじめましてから始まりただ住んでいるというところに疑問の数々をぶつけられる。
定期的に会った際にいつまでここにいるの?という問いが続く。
これが毎回面倒くさいなって思っていた。
確かに、定着していない自分がいるから
周りは確認する為に聞いているのだろう。仕方がないことではある。
その上で仕事も意味不明っぽいから、質問タイムがまあまあ長引く。
自分個人としては、どうだっていいじゃ〜んって思ってしまう。
フリーランス4年目でその前は自営業5年。こういう働き方をしていると、日本では周りも同じ感じの仕事スタイルの人が増えていった。
日本では仕事に関してそれなに?なんで?という疑問の会話は年々減っていった。
しかし日本を離れると
なかなか仕事自体も理解されず
その説明がいつも面倒くさかった。
一時期、やりとりの手間はぶく為に職業嘘つこうかな?と考えたこともある。
なんで私が嘘つかなきゃならないんだ、と思い直してやめた。
初対面の質問や反応でその人の視野の領域、経験値や固定概念が見えてきてしまう。
人に先入観もって関わりたくないんだけど、ここ数年の海外生活で多くの人との出会いがあった。
日本人もそれ以外の国の人も多種多様に
お互いのことを話す機会があった。
その経験を経て、
他者からの質問シリーズでどうしても判断してしまう自分が現れてきてしまった。この部分に自分自身、戸惑いと違和感と寂しさとか色んな感情がある。
新しい出会いさえも、少し怖くなっているというか希望すらもたなくなっている。
本来人との出会いは、好きだけどわずらわしいあのやりとりが生じるとやる気なくすというかなんというか。
人との新しい出会いから進み方ってこんなにおっくうだったっけ?
そう思うようになった。
先日、日本に住む15年以上付き合いがある姉貴的存在の友人と電話で話した。
彼女の母国は韓国。
もう日本に10年以上住んでいて、先日永住権を取得した。5年以上自分で会社を営んでいるやりて女子。
外国人やってる先輩だし、
今の悩みというかぼやきを彼女に伝えた。
彼女は教えてくれた。
未だに初めて出会う人は外国人扱いするし、韓国はキムチだよねーBTS好き!などどうでもいい韓国トークから始まるとのこと。
彼女は慣れっこで、天気の世間話をするようなテンションで話を流すと言っていた。
そして、私と彼女の出会ったときの話をしてくれた。
出会いは専門学校なので私が18歳のときだ。
同じクラスだった私と彼女。
彼女の他には、留学生として台湾·中国·ネパール·韓国の方々が数名いた。
留学生チームでよく固まっていた。
彼女いわく、クラスの日本人の中で
外国人扱いせず"人間扱い"してくれたのは私ともうひとりの男友達だけだった。
そう話してくれた。
彼女は性格的にそんなに多く友達をつくるタイプじゃないらしいが、
その後大人になって趣味の山登りを始めたそうで。
そこでは毎週いろんな人が入れ代わり参加する為、日本人と100人は出会ったという。
その100人の出会いの中で、一人の女性と友達になったとのこと。
その日本人女性を以前紹介してもらったことがあるから知っていた。
100人と会ってたった1人
彼女は言っていた、
大人になってもなかなか友達って作るの難しいでしょ?
そしてさらに外国人だから、もっと難しい部分はあると思う。
でも、あなたはチェンマイで信頼する友達ができたでしょ?
今、台湾の離島でも1人の女性と会いたいと思って会っているんでしょ?
それは幸運なことだよ。
その話をしていたら、涙が出そうになってきた。
このことについてのひとつの答えを誰かに教えてもらいたかったんだと思う。
この先も海外生活を続けていきたい、
しかしこのふしぶしに出てくる外国人扱いの違和感。
ここにどう折り合いをつければいいのか。
仲良くなりたいと思って来てくれる感じは幾度と機会があるが、
物珍しいレアキャラみたいな扱いはごめんだ。そんな感覚も自分にあって。
お互い同じ人間で同じ目線で話したい。
同じ目線て言ったって、心の目線は計れないからわかりようがないけど。
なんだか感覚的に質問で察してしまう自分がいる。
最近のそういうもやもやを彼女に話したところ、
長年外国人やってる彼女の辛辣な現実を教えてもらってスッキリした。
それとともに、奇跡のような存在の今いる友人たちのありがたみにも改めて気づくことができた。
そして最近noteで他の海外生活者さんが、同じような気持ちの内容を書かれていてそれもまたほっとした。
それでも今を選んでる、それでもこれを選びたいから現実を受け止めて自分らしく生活していこう、そう思った。
そして離れてる友人に感謝のメッセージを送った。会えないけど、会いたいと思ってる気持ちを伝えた。
100人に1人の奇跡をこれからこっそり期待して生活していく。
【読んだあと、ふともし何か思ったら感想や、思うこと一言頂けるととっても嬉しいです】