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恋しいと思う気持ちを大切に
海外生活を通して発生していった気持ちについて、今日は書いていく。
私はチェンマイで2年間生活をしていた、その頃は1年に2回程日本へ帰国していた。
一時帰国するたび、なぜかどっと疲れてしまっていったので帰国のタイミングを変更していった。
チェンマイの生活の中で、ずっとこの街で住んでいきたいという気持ちと同時に浮かぶ想いが"日本の友人が恋しい"だった。
ただ、ありふれたゆるい友人らと過ごす時間。
距離もあるしすぐに週末会えるというものではない。
このまま、どんどん友人たちへの恋しい気持ちも薄れていくのだろうか。
だって、現地で暮らしていくのなら、未練たらしく母国引きずってないで、
どっぷり浸かるべきなんだろう。
そんな考えがあった。
そう思いつつも、チェンマイの暮らしは慌ただしく過ぎていった。
滞在ビザの奮闘とフリーランスの仕事バランスがまだ慣れないことなど。
多忙な日々だった。
でも、やっぱりかけがえのない友人の存在は忘れる事ができなかった。
この問題を解決してくれたのは、台湾の存在でもあると言える。
去年の3月から台湾へと移動してきた私。
この先いつまでここにいれるかわからない形で暮らしが始まる。
この暮らしもチェンマイの暮らし同様
ただ仕事して散歩して生きる
それだけのことなのだけど、なにかが違った。
いや何かがではなく、全く違ったのだ。
街、人、音、時間、文化、習慣、感性、豊かさ、心
私が心地いいと感じてきたチェンマイのそれは、ここにはないように感じた。
別の国なんだから、そりゃそうだ。
あとからそう納得していったが、当初は徐々にその現実に触れて混乱しそうになっていった。
台湾が良い悪いということではなく、
自分にとって初めての"海外生活"がこれなのかも。そんな感覚になった。
タイのチェンマイはホームのように、愛おしく安心する場所として感じている。
それとは違う場所として、台湾で暮らしている。そういう感覚だ。
この心境を自覚していくにつれて、とてつもなく帰りたくなった。
どこに帰るんだ?そう聞かれるとチェンマイに帰りたい。そんな想いだった。
私の心の中には、
チェンマイの暮らしが恋しい
日本の友人の存在が恋しい
この2種類の恋しいが明確にそして濃く、深く存在し始めていく。
時に順番に2つの恋しいが襲ってきては、涙を流すことも。
はじめは、泣いてしまう自分に焦っていた。
これは、どう対処すべきか悩んだ時期もある。
台湾に来てからのはじめの1年、
だいたい毎月1回は恋しくて泣くようになった。
このままじゃいかん。そう思って、遂に友人に電話をして素直に想いを伝えるようになった。
友人に、話してもなんの意味もないことを嘆く。
チェンマイに行きたい
ここチェンマイと全然違う
でも強くなりたいから日本へは帰らない
堂々巡りを何度も繰り返し、
恋しいと思うだけで、何も対処すらできない
そんな情けない自分に腹が立った。
こんな種類の辛さは、チェンマイでは経験しなかったことだった。
こんな1年を過ごして、
結果台湾のおかげで、友人に電話を気軽にできるようになった。
目的は大してなくていい。
本来は友人の家で一緒にソファーに座って、お菓子食べながら他愛もない話をしたいだけ。
それが簡単にできないから、電話でする。それを私は必要としているから、素直にそう伝える。
必要だから、離れても繋がっていたい。
海外生活を選んだのは私、そして恐らくこれからもそうしていく。だけど、手放したくない友人らをできるかたちで繋ぎ止めたい。
唯一無二の人たちだから。
そして、今は同時にこうも思う。
恋しいと想うのは、何かをするための気持ちじゃない。
ただ、恋しいと想い続ければいいだけ。
恋しいは悲しいことではない、
特別な感情として顔を出してきた想い。
その想いと、ただ向き合い続けるだけ。
これは、離れたからこそ
生まれた美しい感情なんだから。
今は、大切な人達とのあたらしい形と
恋しいと想える尊い時間を持って生活を送っている。
台湾に来なければ、こんな素晴らしい想いに出会えなかったかもしれない。
時間はかかったけど、これを見つけることができてよかった。
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