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わざわざ会う理由はない

最近の台湾離島生活で、自分自身に感じる考えについて今日は書いていく。

私はチェンマイ生活2年の後に、台湾へと移動し現在1年5ヶ月目。

チェンマイの暮らしから、一人行動がとても気楽ということに気づいて友達とはめったに会わなかったり約束をする習慣もなくなった。

チェンマイの友人で会うことができる友人は急な思いつきで連絡取り合って
"今から"が通用する相手のみ。

そして台湾へと移動し、はじめの11ヶ月は台湾本島に部屋を借りて滞在していた。元々台湾に友人がいて、その友人がさらに私の住むエリアの友人を紹介してくれた。
そんなことから、1ヶ月に2.3回は誘われて出かけることが多々。

その頻度や内容に疑問を感じてきたのも現実。

なぜなら、台湾では約束が存在するからだ。
チェンマイの暮らしでは、約束重視ではなく瞬間の気分重視で良かったため無理がなかった。
それに気分で断ることが全然OKだった。

しかし、台湾では出だしが間違ったというか元々の友人は日本で友達になった為"約束守る時代"の私で慣れている。
日本人に比べたらがっちがちに守るわけではないが、タイに比べたらそうとう窮屈。

そして、その積み重ねで徐々に感じていった違和感と疲労感。

そしてある日結論が出た。

私、友達とご飯をわざわざ食べに行くことや観光に行くこと、興味ないわ。

それと同時にこんな疑問が浮かんできた。

じゃあ友達と何するんだっけ?

なぜこの思考に至ったか、順番にさかのぼって考えてみた。

日本での生活では、もちろん友達とランチしたりカフェしたり居酒屋で飲んで近況報告やら仕事の愚痴やら。そんな感じがベースだった。

チェンマイへ移動したタイミングでその習慣が一変したのだ。

私とチェンマイの友人のあり方は以下だ。

カフェ運営する友人の元へ、朝挨拶しつつコーヒー飲んで少し話してリラックスする私。友人は仕事しながら時々手が空くと私の元へ来てまたおしゃべりや一服。

その日によって、ご飯食べに行くけど一緒にいく?

なのか
じゃあ散歩するからまたねーと私から立ち去る

こんなふうに週2.3会ったりときには全然会わなかったり。

いつもそこに行けば友達がいる。
そこに自分の気分でいく。

このかたちがチェンマイで造られたかたち。

3.4ヶ月に1回くらいに、日本からくる友人を私の部屋に泊める時すら部屋の鍵を渡して別行動。

気ままに連絡とって合流、そんなスタイル。
その時感じたこともあって、食生活の変化だ。
私はチェンマイ生活から少食になった、
一日1.5食でほぼ飲料飲みまくる習慣に変わった。
暑すぎること、散歩するから歩きながら飲むのが楽しい。暑くてお腹すかない。

それに比べて日本から来る友人は、観光ってこともあってからめちゃ食うじゃんってイメージ。はじめ付き合って食べた時期もあったが、胃もたれしたのか嘔吐してしまった。

他、チェンマイで仲良くなった日本人も数名いるがインスタのストーリー見てくれていて"今そこにいるの?行っていい?"そんな調子で無理なく合流してくれる。

そして、チェンマイの友人たちのいいところがそんなに話さなくていいところ。

だいたいがカフェで景色見てぼーっとしたり、無言でぼーっとしたり、そして時々暑いよね〜って話す場合もある。
用事があったらもちろん話す場合もある。空間と心地よさを共有している、そんな過ごし方だ。

話すことってあんまり必要ないんだ、
そういう感覚を得たのもチェンマイの暮らしから。

その習慣ができてしまって、今台湾離島生活。

この島で一人だけ気が合う友人ができた。
彼女は全然質問してこない、ただ一緒にいる系女子。ゆったりしているたたずまいも落ち着く。

最近新たに、たまたま日本語話せる台湾人女性や英語でコミュニケーションとれる台湾人男性に出会う機会があった。

あっちから、今度会おうねとかご飯いこう的な発言が多々あるが流している私。
実際自分に問うたとき、なんだか違和感を感じるのだ。

ご飯行ったとして、何話すんだ?
べつに食べたいものないしな。
質問されるの疲れるし、逆に質問したいことないし。

私の部屋のオーナーファミリーが1階に住んでいて、オーナーとその友人と数回観光がてらドライブに連れてってもらったことがある。
また最近2回ほど誘われて、断る私。

そこでもこう思った。

もう観光興味ないしな、そしてまた色々質問してくるしな〜
面倒くさい。

こうなってくるとこうも思う。
いつこの新しい友達やオーナーと会おうって私が思うのだろうか。

この人たちが嫌いとかではない、おそらく会い方に問題があるんだろう。

自分自身の中で、会い方のベストが見つかってしまったのかもしれない。

お互いに日常の中で、無理なく合わさる瞬間や隙間で過ごせ相手。
その積み重ねでで気づけば一緒にいる時間長いね、っていう相手。

これ以外は必要ないのかもしれない。

お互いがスケジュール合わせあったり、
質問して知り合うことに時間を使ったり

こういう作業はしたくないんだと思う。
しないでいいなら、したくない暮らしを重視したいんだろう。

そんなことをチェンマイを経て、台湾へ来て日々の違和感の積み重ねで気づくことができた。

また、自分にとって、心で強く繋がってる友人がすで数名いるという現実も大きいのかもしれない。

いつでも離れたところで、支えてくれる。そういう友人の存在あって、こういう価値館が生まれたんだと思う。

会うことだけが全てじゃない。
言葉にするだけが全てじゃない。

海外生活きっかけで
今はこんな新しい価値観が自分にある。





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