ある上場企業A社(スタンダード)の人事制度改定事例~運用できないMBOなんてやめちまえ
1. はじめに
A社はソフトウェア開発、技術者派遣・Saas運用を生業とする社員数250名程の上場企業(スタンダード)である。創業から40年の歴史があり、2019年に創業者の娘が2代目社長として代替わりし、その他の幹部は古参幹部が基本である。毎年新卒採用を行っており、年齢構成はバランスが取れている。
A社は約10年前、ある人事コンサルティング会社の支援を受けて、等級制度、報酬制度、評価制度から成る人事制度を構築し、その後様々なツールを追加しながら運用をしてきた。しかし、ツギハギだらけの制度は、社員のモチベーションダウン、離職率の上昇等様々な問題を引き起こしてきた。それらの問題に加えて、新型コロナウイルスの蔓延等、外部環境の大きな変化に対応するため、人事評価制度の抜本的な改定を行う事が決定した。
2. 主な課題
同社の人事制度における課題は主に以下の3つである。
① 評価が人材育成に繋がらない
2代目社長は、人事評価制度に以下の事を期待していた。
「企業が求める人物像を明確にし、個々の成長の方向性・課題を示してくれるもの。」
しかし、現行の評価制度においては、その期待には全く応えることができていない状態であった。その真因は、「あれもこれも求める経営陣の姿勢」にあり、その結果、個々の評価項目に対する意味合いが薄まってしまい、何も求められていない様な状態に陥ってしまっていた。
② 人事評価業務が現業を圧迫している
あれもこれも求める弊害の1つではあるが、10年前に構築された人事制度は、その後様々なツールが追加されていた。ただでさえ作業量が多い人事評価業務は、〇〇シートと名がつく評価ツールが数点追加され、その作業量が現業を圧迫していた。更に、そのシート類は現場によっては運用されたり、されなかったりであり、評価が適当につけられていたことを裏付けていた。
③ 適切ではない目標が設定されている(経営課題解決に寄与するものではない)
目標設定、所謂MBOであるが、その目標設定は現場の評価者に一任されていた。しかし、その目標が適切であるか否かの検証は殆ど行われておらず、ものによっては等級定義やその他の指針から大きく逸脱していたり、概念的な目標が評価者の感覚で設定されている等、様々な問題を抱えていた。その様な形で長年運用してきてしまったこともあり、現場の評価者、被評価者にはそれがマズいという意識が希薄であった。
3. 改定の方向性
今回の改定では、「株主総会での報告」という期限が設定されていた為、改定は以下の4点に絞った。
① 各等級定義に従い、社員に求める事の解像度を上げることで、評価すべき人物像(ペルソナ)の設定をする必要があると判断をした。
② 現行の評価項目が80項目程度あることから、10~15項目に絞り込むことを目指すこととした。
③ 現行の評価関連ツールが5つあり、個々の作成時間、運用工数の削減の為、評価ツールを1つにすることを目指すこととした。
④ MBOが適切に運用できるように評価者を育成する事を検討したが、時間と個々の力量から、一旦目標設定を現場任せにすることを止める方向で検討をすることとした。
4. 施策検討・実施
上記方針を基に、以下4点の施策の検討・実施を行った。
① 等級・職種ごとのペルソナ設定
② 評価項目80項目→上記ペルソナに基づき、評価項目を25項目に削減
③ 評価基準の不明確な項目→等級×部門ごとの役割に応じた評価項目の設定
④ 運用できない評価業務量→評価ツール削減、評価フローの簡略化により、
工数1/10へ
5. 結果
上記の通り課題に対し、施策を検討・実施し、一定の成果を出すことができた。一方で課題もいくつか出ている。具体的には以下4つである。
① 等級・職種ごとのペルソナを設定する事により、社員個々に求められていることが明確化された。その結果、企業としての成果と社員個々の成果が結びつき「何のために今の仕事をしているのか分かった」「仕事に腹落ち感が出た」等の話が聞かれる等、一定の成果が認められた。一方で、絞り込んで無くなった部分は「本当にそれでよいのか?」等一部の役員からは疑問視する声があがった。
② 上記ペルソナの設定から、評価項目を絞り込んだことで、「評価が楽になった」「本当に評価したい人・ことを評価できるようになった」「部下に説明しやすくなった」等の声が聞かれるようになった。一方で、「評価調整ができなくなった」「画一的な評価になってしまい、柔軟性が無い」等の否定的な意見も出続けている。
③ 評価ツールが減ったことで、「評価が楽になった」という声が多い一方で、「これで人が育つのか?」「考えさせるためのツールではないのではないか?」「大雑把すぎるのではないか?」等、問題視する声も一部役員から上がっている。
6. 考察
今回の評価制度の改定では、「何をするか」よりも「何をやめるか」が重要であったと思う。「脱あれもこれも」というテーマにある様に、この企業においては「あれもこれも」になってしまう事が本質的な課題であった。言い換えれば、「止める事が出来ない」ことが課題であり、後日伺った話であるが、一度始めたことを止める事は、間違いを認める様な感覚があり、自分達では到底できなかったことだと言う。例えば、評価ツールが年々増えていったのは、同社の副社長と専務が功を競った結果であるという話もある。更に、裏では双方の施策に対する陰口を言い、お互いの導入するツールへの批判が絶えなかったという。その様な人事制度の本質から外れた問題が、人事制度を形骸化する要因になりえたようである。
しかし、現場に負担をかける以上、何かをやめなければ、新しい事が出来ないことは事実である。堆積層の様に、次から次へと積み重ねる施策は、それぞれの効果を薄いものとし、本質を見失った「こなすだけ」の作業になってしまう。それに気づきながらも止められないのは、想像以上に根深い問題である。この本質的な課題が解決しない限り、数年後にはまた同じ現象に悩まされる事が予想される。
また、これは持論であるが、評価制度は制度自体の精度よりも(公正に運用できる様な物でなくてはならないが)、運用の精度の方が重要である。MBOは自由度の高いものであればある程運用は難しくなり、企業として統制がとれなくなる可能性が高くなる。MBOについては、少し分量を取って書かせて頂くが、人材育成の視点からは効用が期待できると思われる。しかし、それはあくまで正しく運用された場合に限るのである。それは、15年以上昔の話ではあるが、城繫幸氏の記した「内側から見た富士通『成果主義の崩壊』」が今尚記憶に新しいのではないだろうか。
評価者をじっくり育てていき、正しく運用できる様にすることがあるべき姿かもしれないが、一流企業に集う、優秀な人材だけを見てその様な理想を語るべきではない。人材が集まり辛い中小企業において、MBOの運用は人材育成どころか、妥当性のある査定ですらままならなくなってしまう可能性がある。MBOを廃止する事に対しては様々な批判があったが、学者や一流企業の人間が想像する以上に難易度が高いのである。代替案の検討は必要であるが、正しく運用できないMBOを廃止し、固定評価項目としたことは妥当であったと思われる。
カトキチ@インフラ企業の人事
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