もうそれでいいじゃないか。〜彼への"ありがとう"〜
これまで、
予約状況次第で朝から夜遅くまで勤務していた私が、きっちり9時間かそれ以下で帰宅するようになり、彼が安心していたのも束の間。
やはり仕事と言うものはそううまくは行かない。
結局は軽微な残業が続き、それを受けた彼は「conaが都合よく使われている」と怒りを露わにしていた。
彼の言うことは最もだ。
でも、私の中では、
"本来の勤務時間以下で最も会社が忙しい時間帯に帰宅する"
と言うことそのものに「迷惑をかけている」とか、「みんな顔では笑ってるけど本当は自分勝手な私に怒っている」とか「甘えだと思われている」とか・・・
そう言う、誰に言われた訳でもない被害妄想が膨らみ、職場の人間の言動に、一挙手一投足に、傷付いたり安心したりしてしまう。
私は元来より、そう言う性質なのだ。
●彼の想い
自らも長時間勤務や少ない休暇に心身の限界を認め、
鬱となった経験から未だ日の浅い彼。
"そう"なる前は、私が前職で落ち込んだり鬱っぽくなり、家事が出来なかったり寝てばかりいたり、現実逃避ばかりする事を快くは思っていなかった。
疲れた体で帰宅すれば、笑顔も表情もなくぼーっとしている彼女と散らかった部屋、キッチンに溜まった食器やそのままの洗濯物などを見ては「それくらいしといてよ!」と不機嫌になり、言い争いになる事もままあった。
彼の立場に立てば当然の反応だが、私は私で「しようと思ってもできない」自分に苛立っていたりと、お互いの主張や思いは平行線で、結局は理解できないまま、結局あの頃は、どちらかが無理をして譲って…とギリギリのところで関係を保っていたようにも思う。
それでも一緒にいられた理由としては、彼の優しさによる物が大きいだろう。
"それ"を経験してからの彼は、
私がその時、どんな世界を見ていたのかを理解してくれたのだろう。
浮いたり沈んだり、不安定でままならない自分の心と、それでも続いていく仕事や現実。
あれからの彼は、私の不安定な状態をそのまま受け入れ、「できるのなら掃除をしておいて」とか「できるところまででいいからやっておいて」と伝えてくれる事が多くなった。
そうして私を大切に思う気持ちと反比例し、私の職場環境に対しては怒りを露わにする。
「conaが断れないのをいいことに・・・」
「今は反省していても、結局は同じことを繰り返す」
「都合よく使いすぎだ」
そんな言葉の数々は、私にとっては居心地のいいものではない。
たしかにこれまでの労働環境は普通ではないし、昨日も記事にしたように、私が身を置く業界での常識は、通常の企業では考えられない非常識な悪待遇だ。
…だが私はこの期に及んでも、未だに職場の人間を心から嫌う事はできず、自分が迷惑をかけている分、少し無理をして残業をしてでも貢献すべきだ、と考えてしまうようだ。
今は自分の身体を休め、心を癒す事に専念するのが先決だと言うことは重々分かっているつもりだが、そうでなければ、
"自分がここにいて報酬を受け取る確固たる理由まで失われてしまい、不要な人間だと思われるのではないか?"
と言う執着にも似た思いを抱いてしまうのだ。
これまでお世話になった事、一緒に苦難を乗り越えてここまでやってきた、笑い合って過ごしてきたその時間など、決して悪い思い出ばかりではない。
むしろ人間関係で言えば、多少"身内ノリ"がすぎる事はあるが良好である事も含めて、「何か仕事の役に立つ事で自分を正当化したい」「人の助けになりたい」と言う、なにか健全な物から不健全な物まで、様々な気持ちが湧き上がり、結局自分の中で1番納得の行く"残業"を選んで行動してしまう。
それを彼に上手く伝える事ができず、笑ってはぐらかしてきたのだが、一方、これからも帰宅が遅くなる度に心配をかけたり、私の会社への怒りを感じさせてしまうのはもっと申し訳ない。
夜勤へ向かう支度をしているであろう彼に、退勤後LINEで思いを伝えておくことにした。
●見守っていてほしい。
正直、上記に記したような本当の理由を文字で伝えるのには抵抗があった。
彼が支度中で忙しいであろう時間帯に、そこまでの深い話をすることもできない。
彼に少し、読解力に欠ける部分があるのもひとつの理由だ。
LINEでやり取りを進めるうちにすれ違い、諍いに発展する過去もあったため、互いに"大事な話は文章で伝えない"という暗黙のルールがある。
なので肝心の部分ではなく、理由だけを簡潔に伝えた。
"仕事のことで心配かけてごめん。"
"どうしても都合上残業になる事もあるし、帰りが想定より遅くなる事も出てくると思う"
"今は特に、本来の勤務時間より短い時間で退勤させてもらっているし、申し訳なくて。できる事は手伝いたい"
"私も色々思うところはあるし、手放しで残業を受け入れてる訳ではなく考えてはいる"
"嫌な思いをさせるかも知れないけど、もう少し見守っていてほしい"
彼はぼんやりとだろうが気づいている。
私がどう考えて、なぜ残業を受け入れたのか。
そして、数日前、残業で遅くなった私ではなく、私の会社への憤りを口にした、その事で、私が居心地の悪さを感じでいた事も。
きっと、その事が引っかかっていたのだろう。
「conaがそういう子だってわかってるよ」
「色々言ってごめんね。考えてるのも知ってる。」
「もう口は出さないからやりたいようにしな。」
文章は苦手で、LINEを打つのはもっと苦手な彼の返事は、だからこそいつもとてもシンプルに伝わってくる。
"言いたい事は言ってくれていいよ"
"ただ、心配かけたくないから話ておこうと思った"
"ありがとう"
これで、何か解決したわけではない。
これからも私が遅くなれば心配はするだろうし、私自身の、本来は手放すべきだろう「必要とされる人間でありたい」と言う執着に基づく自滅的な行動が抑制されるわけでもない。
「自分が不安だから」「周りの目が気になるから」そんな思いに基づいた残業など、自意識を保つためにやっている所詮は"私が"だけが主語の自己満足に過ぎないだろう。
本来なら、許される間は割り切って全力で心身の回復を目指し、仕事に対するパフォーマンスを上げる事が実は"近道"だったり、本当の意味での"貢献""恩返し"であるに違いない。
いつかは、どうして私がこのような行動を取るのか、その本質をもきちんと彼に話しておきたい。
話したところでどうなるものでもなくとも。
それでも、一旦は受け入れ、飲み込んでくれた事に心から安心し、同時に深く感謝した。
●だったらそれでいいじゃないか。
彼から「行ってきます」のLINEを受け、
私も今日も満員の電車に揺られてゆっくりと帰宅した。
安心感に包まれたのは束の間。
きっと今頃、会社では忙しさのピークを迎え、上司が1人、それと闘っている…その事が頭から離れなくなっていた。
本当なら私が隣で共に闘っていた時間だ。
私の心身の回復のため、休日返上で自らを犠牲にする事を選んだ上司は、本当に私に対して思うところはないのだろうか。
そんな疑念を振り払えないせいか、やはり上司や同僚、先輩の表情や言葉、顔色、言動を敏感に伺っている自分もいる。
業務用LINEのやりとりや普段の会話など、前にも増して顔色を伺い、疑心に駆られる日もある。
正直なところ、このところの私はそのせいか退勤後はぐったりしていて、もはや"悩んでいる"を軽く乗り越え、思考停止した状態で帰宅し、その後は食事をする事も億劫なほど疲れ果てている。
彼を思い、職場を思い、日々自分の望む"平穏"とかけ離れた日常を上ったり下がったり怯えたりしながら虚ろに生きる事には、私だってほとほと疲れ果てている。
こんな自分に、人の顔色を伺う毎日に、ほとほと。
ギリギリの人員で無理やりシフトを回していた事を考えれば、誰か1人が潰れれば"こう"なる事は目に見えていた。
潰れたのがたまたま1番融通の効く私だった事は、きっと会社にとって不運だっただろう。
はっきり言ってこれまでの異常な勤務形態で「よし」としていたその体制や、様々な理由はあるにせよ早急に人員確保をしなかった会社側にこそ、当然責任の一端はあると思う。
自分だけが悪いわけではない。
私が"こう"なった理由として一連の流れをを人に説明すれば、彼でなくとも「ちょっとおかしいよ?」と眉をひそめるだろう。
そう、本当に、弊社はおかしいのだ。
知っている。認めたくなくても。わかっている。
私にだけ責任があるわけではないのだ。
きっと、周りもそれをわかっている。
もしかしたら、冒頭で書いたような、
「甘えている」「迷惑だ」「負担をかけやがって」のような感情を、被害妄想ではなく、上司や同僚、先輩が実際に私に対して抱いているかも知れない。
もう、だとしたらそれでいいじゃないか。
だとしたらもう、それを理由に退職すればいい。
彼に心配をかけ、嫌な思いをさせ、仕事に行けば挙句の果てに不当な怒りをぶつけられたり、嫌な顔をされるのなら。
その時は潔く辞めてしまおう。
在職中は、精一杯に自分にできる事を探して、精一杯に人を気遣い、誠実に業務に向き合おう。
その分の休暇もお願いしよう。
それでもダメなら、それを咎められる日が来たなら、或いは「自分はここでの役目を終えた」と思う日が来たなら、やめてしまおう。それでいいじゃないか。
例え心身が回復したとて、
どこで働き何処に住み、何をするか、それを決めるのは私だと言う、それだけは忘れてはいけない。
明日も憂鬱と希望、その狭間を行ったり来たり、一喜一憂しながら、8時間の勤務に向かう。
悩みと闇、そして不安は尽きることがない。
だけど私はもう、自分の望みを押し殺す、大嫌いな自分を今から全部捨てるんだ。
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