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【詩論・私論】発見はつねに新鮮である
詩論にも満たないような記事を書いてから5か月も経ちました。そのため芸術解説/私論シリーズの第3弾として、新たな詩論を掲載します。今回はめずらしく短め!
結論は前記事と同様、「詩とは自由だ」というなんの指針にもならないものとなります。それでもこれを読んでくださった方にとって、少しでも気づきを与えられる散文になれば幸いです。
詩論・私論
序
諸芸術の試みは20世紀に大きな躍進を遂げました。文学界においてはマックス・ジャコブの「キュビスム文学」、ギヨーム・アポリネールが得意とした視覚詩「カリグラム」、ダダイスムに続くシュルレアリスムの「自動記述」や「妙屍体」などが挙げられるでしょう。いずれも知っているだけでまともに読んだことはない……いつか手を出したいと思っています。
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コラージュ的な散文、視覚効果の活用、反芸術、無意識の導入、複数人の手をわたることによる偶然性。そう、文学の手法はかなりやり尽くされています。しかし現代を生きる私たちが「おもしろい」「すてきだ」と感じた発見は、たとえそれに先例があったとしても新鮮なものと映るはずです。
美術における発見
発見は新鮮であるという話は、美術でたとえるとわかりやすいかと存じます。前衛芸術家たちは彼ら以前の芸術や異邦のアートに新しさを見出し、それを着想源にしました。19世紀の西洋においてジャポニスム(日本趣味)が影響を与えたことは有名です。印象派画家のクロード・モネ《ラ・ジャポネーズ》やポスト印象派フィンセント・ファン・ゴッホ《タンギー爺さん》の図版はどこかで見たことがあるのではないでしょうか。トゥールーズ=ロートレックのポスターに認められる平面的な構成は、まさに日本の浮世絵のようです。
フォーヴィスムやキュビスムなど、20世紀初頭に花開いた美術の潮流生み出した芸術家たちは、ポスト印象派画家のポール・セザンヌやポール・ゴーガンらからの影響を受けているとされます。アンリ・マティスは東洋の装飾品や家具を蒐集し、自身の絵画に描きました。パブロ・ピカソはアフリカ彫刻のような、プリミティヴと評された美術品に美しさを見出したと言われています。彼らが生み出した芸術においては、ここでは言及しきれない、あるいは指摘されてもいない着想源はいくらでもあったのでしょう。
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※フォーヴィスム期の作品ではありません
@「石橋コレクション選」アーティゾン美術館
撮影者:トウソクジン
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プリミティヴィスム(キュビスムにおいてはプロト・キュビスム)
@「キュビスム展─美の革命」京都市京セラ美術館
撮影者:トウソクジン
ではいまの私たちはどうでしょうか。まだ見ぬ試みから生まれた現代アートはもちろんのこと、過去のものにも新しさを感じることはありませんか? 私はキュビスム芸術を目にしたとき、いままでに体験したことのない衝撃を受けました。時代や国、言語に関係なく、自身が触れ合ったことのない芸術との邂逅は発見であり、それはとても新鮮なものです。
文学も発見の連続である
西洋美術を中心に芸術について触れましたが、発見の新鮮さはもちろん文学においても言えることです。ここからは私自身を例にとって話を進めていきます。
私はココア共和国に「4コマ詩」を投稿しています。これはとてもおもしろいもので、「4コマのなかに文字記号を挿入する」という以外には特に制限はありません。はじめて目にしたときには「これが約4年前からあったなんて、先を行きすぎている!」と本当に驚きました。4コマ詩はその自由度ゆえに、詩と言えそうな体裁をとらない反芸術的な様式や、視覚効果をねらった文章配置を試みることも可能です。反芸術、視覚詩自体は過去にいくらでも先例がありますが、いつも自分なりの解釈で出力しています。これらが皆さまに対して、新鮮な発見を提供できていると信じてやみません。
私は創作全般において作風がコロコロ変わるのですが、それは拙作の4コマ詩をいくつか読んでいただいている方にはもうバレバレのことかと存じます。これは他の方の作品を拝見することで影響を受け、そのたびにスタイルを変容させているためです。「こんな表現があるのか」、「こんなのありかよ!」と発見は尽きません。それらはつねに私の糧となっているのです。
結論:新鮮な発見を大切にしよう
パブロ・ピカソは他の芸術の剽窃や変奏が得意だったとされます。自由なスタイルの芸術を発表できるいまだからこそ、その「自由」に身をゆだね、発見と変容の道程をたどってみてもよいのではないでしょうか。私もいろいろなものを見つけだして、新鮮さを噛み締め、自己の作品に落とし込んでいきたいと思っています。皆さまもフレッシュな出会いがあったなら、ぜひそれを大切にしてください。きっと創作の手助けになってくれるはずです。
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私がこの半年に行った展覧会の図録と、拙作が掲載されたココア共和国。美術も文学もみな芸術。過去も現在も関係なく、私にとってはすべてが「発見」であり「新鮮」でした。
関連リンク
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