見出し画像

「牯嶺街少年殺人事件」をめぐる冒険#1台北編(※ネタバレあり)

台北植物園の蓮池



旅にまつわるエトセトラ

台湾を旅した。
目的のひとつは、映画「牯嶺街少年殺人事件」のロケ地を訪ねること。
いわゆる聖地巡礼ってやつだ。
4月の一日、主人公が通う建国中学校に向かう。
映画の何が、これほど人を引き付けるのか確かめたい。

MRT 中正紀念堂駅で降りて、2番出口から地上に上がると、正面には有名な金峰魯肉飯がある。ルーローハンの店で、いつも行列ができる。
右手は数年間の改修工事を経て、昨年オープンした南門市場だ。
ここから南海路をひたすら西に向かう。

「牯嶺街少年殺人事件」とは

「牯嶺街少年殺人事件」は、1991年、エドワードヤンが発表した映画だ。BBCが1995年に発表した「21世紀に残したい映画100本」に台湾映画として唯一選出される。
また2015年釜山映画祭で発表された「アジア映画ベスト100」においてベスト10入りするなど評価が高い。
権利関係が複雑で初上映以来、長らく再上映されなかった。
マーチンスコセッシが設立した会社などが版権関係の整理にあたり、2017年4Kリストアデジタルマスター版として復活した。

上映時間が3時間56分と長尺である。だが緻密に構成された映像は、無駄がなく、最後の悲劇に向けて、全てのストーリーが収斂していく。
ニューヨーク・タイムスの映画評が、
「この映画には全てがある。
人生の一日を費やすに値する3時間56分だ。」
というのも、大げさではない。

ストーリーは、監督が少年時代に実際に起きた事件に基いている。
当時、監督はこの事件に大きな衝撃を受けた。

ここが舞台だ

案内板

南海路には覆工板が敷き詰められ、MRTの新線建設工事が行われている。
古い街並みのあちこちで改修工事の音が響く。

「牯嶺街」を指す緑色の案内板が見える。通りは左手、幅は広くない。
台湾で「路」「街」とは通りを表す。当時「牯嶺街」は古書店街であった。

建国中学校、植物園、牯嶺街など映画で描かれる場所が、現実でも比較的近い位置関係にある。
さらに言えば、コンサートの開かれる「中山堂」、ハニーが台北に戻った際に匿われていた「萬華(ワンホア)」も含めて、徒歩圏内に収まっている。
ここを舞台にした映画であることを改めて実感する。

途中「二二八国家紀念館」の横を通る。 

この日は日曜日で、地域の春のフェスティバルが行われている。
車道の片側車線をふさぎ、仮設のテントに出店が並ぶ。

建国中学校に着く

台北市立建国高級中学校

建国中学校の校門を抜けると、蒋介石の銅像が立っている。
蒋介石、初代中華民国総統、中正が本名で、介石は字(あざな)らしい。 
MRTの駅名になっているが、その業績を顕彰する施設、中正紀念堂がこの近くにある。衛兵の交代式が有名だ。

建国中学校の建物はアーチの意匠を凝らしたレンガ造である。
正面の棟は2階建て、一部3階建て。
現在の正式名称は、台北市立建国高級中学校。日本の高等学校にあたる。
台湾屈指の名門校だ。映画の中では、中学校である。

玄関を入ってみると、ホールがある。
吹奏楽部が練習する中、ハニーを失った小明(シャオミン)に小四(シャオスー)が話しかける場面、そのシーンに使われた。
映画では広い場所に見えたが、実際にはとても狭い。

右に折れて廊下を進むと、怪我をした小明を小四が教室まで送る場面。
廊下をさらに右に折れると、校舎を貫く通路に出る。
小明に小四が話しかける場面、王茂(ワンモア)たちが氷小豆をからかう場面、小虎(シャオフー)たちが小四を待ち伏せするシーンが撮られた場所だ。

時系列を意識せずストーリーを紹介

廊下

映画は1960年、建国中学校の昼間部の試験に落ち、不本意ながら夜間部に入学した小四を主人公に展開する。
学校や地域で、少年たちが「小公園」「217」など多くの小グループに分かれ、小競り合いや抗争を繰り返している。

小四は学校で王茂や飛機(フェイジー)など「小公園」のメンバーと出会う。小公園のリーダーはハニー、小明はその彼女。
小明をめぐり、対立する「217」のリーダーを殺め、台南に逃れている。

ハニーの不在は、小公園内外に不穏な動きを呼ぶ。
グループ内では滑頭(ホワトウ)が台頭し、「217」の新たなリーダー山東(シャンドン)も思惑をめぐらせる。小明の周辺も穏やかではない。
異変を察知し、台北に戻るが、山東のたくらみにより、命を落とす。

小明は憔悴し、学校を休む。
ようやく登校できた小明に小四が玄関ホールで話しかける。
「小明、僕がいる。怖がらなくていい。僕は一生離れない。君の友達だ。守ってあげる。」
「誰も要らない。あてにならない。」

小四は思い切って告白するが、小明の失意は深く、申し出を拒絶する。
ここまでが映画の中盤である。

時代背景など

オープニングでテロップが流れる。
「1949年ころ、中国から数百万人が国民党政府とともに台湾に渡り、誰もが安定な生活を望んだ。」

1945年、日本はポツダム宣言を受託し、台湾統治を終える。
台湾は、大陸にある中華民国政府に一つの省として編入される。
中国大陸から統治機構が海を渡ってやってくる。

解放に沸く台湾の人々に、この状況は好ましいものではなくなる。
警察機能など統治を担うのは「外省人」、大陸から渡った人々である。
台湾に居住していた「本省人」は統治機関への登用から遠ざけられた。
外省人の汚職官吏がヤミ摘発の取り締まりにあたり、わいろを求める。
自治を求める声は高まり、いつ暴動が起きてもおかしくない状況が続く。

1947年2月、ヤミ煙草売りの女性が取り締まりの官吏に殴打された。
これをきっかけに行政当局と民衆の衝突が発生する。
それは瞬く間に全土に広がる。いわゆる228事件である。

民衆に対する弾圧は熾烈を極め、多くの人々が裁判なしに処刑された。
行方が判らない人々もいる。
1949年には戒厳令が敷かれ、その解除が1987年。
38年という長い期間を要した。
同年、国共内戦の末、中華人民共和国が建国宣言。
国民党と中華民国政府は多くの人々を伴い、台湾に逃れる。

小四の家族も、また1949年前後に台湾に渡ってきた人々の一部である。
誰もが安定を願っていた。
しかしながら、戒厳令下にあり自由な発言が許されない時代でもあった。
政治弾圧、相互監視と密告という、いわゆる白色テロの時代である。

「しかし子供たちは、その成長過程で大人の不安を感じ取り、少年らは徒党を組んだ。脆さを隠し、自分を誇示するかのように」
映画の中の時間は1960年である。小四たちはこの時代を生きている。

植物園で考える

植物園

建国中学校を後にし、台北植物園に向かう。
校門を出て、300m程歩くと植物園の入口に着く。
都市の真ん中に、広大な敷地と、豊富な緑を有する植物園がある。
なかでも蓮池は、4月の陽気のなか、花の盛りを迎え、たくさんの市民が憩いを求め、訪れていた。

小四と王茂は学校をサボり、隣にある映画撮影所に忍び込む。
見つかって逃げる際、どさくさまぎれに懐中電灯を盗む。 
小四は懐中電灯で様々なものを照らす。
学校に戻る際、植物園にいたカップルを照らす。
ひとりは滑頭である。
相手は誰か、小四が知ることになるのは、映画の後半になってからである。
これが映画の冒頭部である。ここからストーリーが加速する。

 

旅は続く

#2屏東編を乞うご期待!


※タイトルを変更しました(2024年8月31日)。
※若林正丈著「台湾の歴史」(講談社学術文庫)を参考にさせていただいています。




いいなと思ったら応援しよう!