「牯嶺街少年殺人事件」をめぐる冒険#3完結編「牯嶺街」(※ネタバレあり)
これまでのあらすじ
「牯嶺街少年殺人事件」は、1991年に公開された作品である。監督のエドワードヤンは、「悲情城市」を撮ったホウシャオシェンなどとともに、1980~90年代、「台湾ニューシネマ」をけん引した作家のひとりだ。
監督の少年時代に起きた事件に題材を採った。
当時、監督はこの事件に大きな衝撃を受ける。
1960年の台北市を舞台に、建国中学校夜間部に入学した小四(シャオスー) を主人公としてストーリーが展開する。
「大人社会の不安を感じとった少年たちが、脆さを隠し、自分を誇示するかのように、徒党を組んで」駆け引きと抗争を繰り広げる。
家族が互いを支えあって生きている。
そして少年と少女の、最後は悲劇に至る不器用な愛がある。
歴史が、時代が、社会が描かれる。
映画のロケ地として、#1では、台北市内の建国中学校と植物園を訪ねた。
エドワードヤンは、30年前の台北市の面影を求め、台湾南部の屏東市をロケ地に選ぶ。#2は、屏東市の台糖屏東総廠の台糖冰店、菩提樹を訪ねた。
今回は同じく屏東市で「牯嶺街」に見立てて映像に納めた街並みに向かう。
目的は、映画の魅力を確かめること。
「牯嶺街」へ
屏東駅からみて北側方向に向かう。徒歩で約20分ほど。
和洋折衷の建物がある。
自転車にまたがった小四がその前で佇むのは、屏東縣長官邸である。1920年代に建てられた和洋折衷の建物で、メインの建物はビクトリア朝様式とある。2003年、歴史的建造物に指定された。
眷村
小明(シャオミン)とその母親が住み込みで働く邸宅は、孫立人将軍行館として現在、保存されている。やはり歴史的建造物。
1949年頃、国民党政府と一緒に台湾に渡ってきた人々は、職種ごとに分かれ住み着いた。そのような地域を「眷村」という。当時は台湾の至る所にあった。
ここも孫立人をはじめとする軍人とその家族が居を定めた、「眷村」のひとつである。
現在、そのような村を保存しようという動きが台湾各地にある。
将軍行館のある一帯は、屏東勝利星村として整備、保存され、多くの人々が訪れるスポットとなっている。
長春公園ロータリー
忠孝路、森林路などの通りが交わるロータリーの内部に長春公園がある。
公園と付近を「牯嶺街」に仕立て、撮影が行われた。当時の牯嶺街は古書店街である。映画のなかの店構えは、露店風だ。
恋人のハニーが、不良グループ217のリーダー山東(シャンドン)に、交通事故を装って殺される。小明は悲嘆にくれる。
小四は、小明を守ると告げる。
だが小明の失意は深い。いったんは拒絶する。
だが考え直し、小四の申し入れを受け入れる。
「私をだまさないでね。耐えられそうにないから」
つかの間の平穏が訪れる。が、そう長くは続かない。
小明に言い寄る男たちの存在を、小四は許せない。
そのひとり、小馬(シャオマー)と対決するために小刀を持ち出し、「牯嶺街」に向かう。
その姿を小明に見とがめられ、言い争いになる。
小明は自らを語る。社会になぞらえて。
「助ける?私を変えたいのね。私を変える?
この社会と同じ。変わらないのよ」
小刀は小明に向かう。
変わる社会
小明が言う、変わらない社会とは何だろう。
母親と二人きりの小明に、貧困と不遇を強いる社会なのか。
裏切りと抗争の果て、若くして命を落とす社会なのか。
小四に弁明の機会を与えず、最後には退学処分を下す社会なのか。
理由も告げず父親を拘束し、長時間、訊問する社会なのか。
かと思えば、やはり理由もなく、突然、釈放する社会なのか。
父親から、心の平衡を奪い取る社会なのか。
映画の中の時間は1960年、撮影は1990年頃である。時間の経過は30年。1949年に敷かれた戒厳令は1987年に解除された。
監督のメッセージは明らかである。
社会は変わった、変えられると。
誰に対して?
過去に遡って、小四と小明に。
さらに
事件に衝撃を受けた
少年の日の自分に。