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愛しているといった瞬間、あなたの愛は終わり、私の愛は始まる。映画「別れる決心」を見る(※ネタバレあり)。

岩山で、男の墜落死体が発見される。
出入国外国人庁の元職員で、岩山登山が趣味だった。
事故か、事件か、自殺か?
妻は、親子ほども年の離れたソンソレ。中国からの入国者である。
夫の死亡事故の容疑者として、刑事のヘジュンの取り調べを受ける。
韓国に住んで、まだ日も浅い。

言葉に慣れていないため、話に普通の使い方とは異なる単語が混じる。
「私の話を聞いて、泣いてくれた“単一“の韓国人だった」と表現する。
フレーズのなかの異質な単語に、刑事は違和感を覚える。
問い質し、やり取りを交わす。「“唯一“の韓国人だった」と判る。
すると刑事は“単一“という表現が間違いではなく、いやむしろ適切だと思うようになる。

言葉に自信のないときは笑います、という。笑顔を見ると警戒が緩み、心が和む。

意思の疎通はスムーズではない。
だが、もどかしさが、相手との距離を縮める方向に作用する。

刑事もまた、意思を伝えるために、適切な言葉を選ぶようになる。

いきおい、言葉は、その表面的な意味や、慣用的な使われ方を離れる。
より本質的、根源的な内容を伝えるためのものになる。

2023年公開の韓国映画である。監督はパク・チャヌク。この作品で、カンヌ国際映画祭で最優秀監督賞を獲った。

主演の刑事役にパク・ヘイル。容疑者役のソン・ソレに、タン・ウェイ(唯湯)。

全編、シリアスなサスペンスかと思いきや、ところどころ挟み込まれるエピソードは、ユーモアというよりコメディ、ギャグに近いものがある。
シリアス要素とギャグ要素が、破綻することなく、つながっている。
それをつなぎとめるのは、ストーリーの力、監督の力だ。

張り込みで、猫に話しかける彼女の言葉を立ち聞きする。
録音し、翻訳した。
「あの親切な刑事の、心臓を持ってきて。」
穏やかではない。だが、「心が欲しい」という意味だと、後に知る。

長文のときは、スマホの翻訳アプリを頼る。
夫は自分を山に連れていこうとしたが拒否した。
「孔子曰く、賢い者は水を好み、慈悲深い者は山を好む」
私は慈悲深くありません。私は海が好きです、と韓国語で伝える。
思わず刑事が、僕もだと返す。

夫は自殺と判明し、捜査は終了する。
だが、刑事が抱いた疑問から、アリバイは崩れる。
ソンが殺したことが明らかになる。
「女に溺れて捜査を台無しにした。僕はもう完全に崩壊した。」
彼女に傾斜したことを悔やむ。

証拠となるスマホの隠ぺいを指示する。
「深い海の底に、誰にも探せないように」

「崩壊した」と聞き、彼女はスマホで単語の意味を調べる
「崩れ壊れる」という意味だと知る。

二人の間で、すでに言葉は特別な意味を持つようになる。

刑事は、その自覚なく愛の告白をした。

彼女は、素直にそれを愛の告白だと理解した。
うれしく思い、録音したものを何度も聞き返す。

愛を守るため、刑事と「別れる決心」をした。

ほかの男と再婚する。

愛を守るため、再び殺人を犯すことになる。

セリフのひとつひとつが、もはや一編の詩だ。

「再捜査してください。崩壊前に戻ってください。」
「あなたの未解決事件になりたくて、来ました」
「愛しているといった瞬間、あなたの愛は終わり、
その愛が終わった瞬間、私の愛は始まった。」

その愛を守るため、自ら命を絶つことを選ぶ。

刑事も好きだといった海で。
「賢いものは水を好む」の言葉のように。
「深い深い海の底に、誰にも探されないように」との言葉のとおり。

言葉だ。


 

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