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【リバイアサン】楽しさが勝つ時代

ビジネスのプロジェクトは進展せず、新しいアイデアの導入もなく、効率を高めるツールや技術の活用もなく、データ分析やスケジュール管理、専門知識、情報共有、チームワークのいずれも存在しない。そして何よりも悪いことに、絶えざるストレスと、雇用の不安定さや企業の経営危機の恐怖が蔓延している。そこでは社員の生活は孤独で、低賃金、過酷で、不安定で、しかも短命である。

コミュリーマン・ChatGPT『リバイアサン2024』

我が国の現首相である岸田さんの総裁選不出馬の報道並みに「唐突」な質問から始めますが、上記をお読みいただいて、皆さんはどんなイメージを持たれるでしょう。これって、私たちの人権を無視するかのようなディストピアだと思いませんか?もっと言えば暗黒社会そのものではないでしょうか。

「人権」はあらゆる社会の根幹を成すものであり、それを無視することは、ここまで進化を遂げてきた文明の基盤を揺るがす行為に等しいです。当然ながら、この原則はビジネスの世界でも同様であり、「人権」がどれだけ重要か、決して軽視することはできません。

にもかかわらず、私たちが日々直面する仕事のプレッシャー、無限に続くように感じる業務、そして常に背後に潜む失敗、雇用形態によっては職を失う恐怖。これらの中で、自分自身の人権がどれほど削られているかを感じたことがあるのではないでしょうか?共感される方はいらっしゃると思います。

『リバイアサン2024』というのはもちろん私による創作物ですので、きちんと原文を引けば以下の通りです。

土地の耕作も、航海も行われず、 海路輸入される物資の利用、便利な建物、多くの力を必要とするようなものを運搬し移動する道具、地表面にかんする知識、時間の計算、技術、文字、社会のいずれもない。そして何よりも悪いことに、絶えざる恐怖と、暴力による死の危険がある。そこでは人間の生活は孤独で貧しく、汚らしく、残忍で、しかも短い[2]。

トマス・ホッブズ『リバイアサン』

「文明社会の21世紀だよ?さすがにそこまで酷くはないよ」と思われるでしょうが、イギリスの哲学者であるトマス・ホッブズが『リバイアサン』を出版したのは、今から約400年近くも前の、17世紀は中ごろのことです。

この、当時を表したホッブズの表現を、現代ビジネスに当て嵌めてみたのが冒頭の文章であり、「いったい何が違うというのだろう?ほとんどまったく同じじゃないか」というのが率直な私の印象ですが、もちろん皆さんに押しつけるつもりはありません。画面のスクロールがご面倒でなければ、どうぞ比較してみてください。どのように感じられるでしょうか。

現代のビジネス環境では、社員が膨大な業務量に追われながらも、プロジェクトが停滞し、明確な方向性が示されないまま、ただ時間だけが過ぎていく、という状況が頻繁に見られます。そしてさらに、情報共有の欠如がチームの連携を妨げている。ですから現状は、ホッブズが描いた無秩序で厳しい世界と驚くほど似ていると言えます。「風通しが良い職場」とは一体?

こうした状況の背景には、ビジネスシーンにおける「人権の軽視」が潜んでいることは明らかです。

たとえば、SDGs(持続可能な開発目標)への取り組みが広く喧伝される中、日本においては特に「環境」問題が強調され、「人権」に関する目標が後回しにされる傾向が見受けられます。実際、国連が実施した「MY WORLD 2030」調査によると、世界の多くの国々では「貧困の撲滅」や「ジェンダー平等」といった「人権」に関連する目標が高い優先順位を占めています。

しかし、日本においては「気候変動対策」や「持続可能なエネルギー」といった「環境」問題に対する関心が特に強く、全体的な意識が環境問題に偏っていることが明らかになっています[1]。

ビジネスの世界においても、環境問題が過度に強調される一方で、人権問題が軽視される傾向が見られます。日本企業における環境対応が、実際には形だけの「グリーンウォッシング」となっているケースも少なくありません。これらの現象は、社員一人ひとりの人権が尊重されず、ビジネスの現場で軽んじられていることを如実に示していると言えるでしょう。

このような背景を考慮すると、日本におけるビジネスシーンにおいて「人権」がどれほど重要か、再認識する必要があると強く感じます。

人権が確立されるまで

「人権」という考え方が、今日の私たちの日常で当然のものとされるようになるまでには、実はとんでもない長い時間がかかりました。古代の時代(紀元前から西暦500年頃まで)や中世(西暦500年から1500年頃まで)では、王様や貴族、そして教会が大きな力を持ち、私たちのような普通の人々の権利は、ほとんど考えられていませんでした。

1500年を過ぎてルネサンスという時代が始まると、人間の価値や能力に注目が集まり始めます。その後、1600年代から1700年代にかけて、ヨーロッパで啓蒙思想という新しい考え方が広がり、「人は生まれながらにして自由で平等であるべきだ」という意識が高まっていきました。この考え方がアメリカ独立宣言(1776年)やフランス革命(1789年)で具体的な形となり、「人権」が政治的に確立されるきっかけとなるのです。

特にフランス革命では、「すべての人間は自由で平等な権利を持つべきだ」という宣言が発表され、やっとこれが現代の「人権概念の基礎」となったんですね。このフランス革命が、国家が人々の権利を守るべきだという考えを広め、今日の社会の基本となる価値観を築いたのです。

ホッブズの『リバイアサン』が無ければ、人権が確立されることはなかった

この「人権の確立」までには、一つのとても重要な思想的な礎がありました。それが、トマス・ホッブズの主著『リバイアサン』で記されています。

リバイアサンというのはホッブズの造語ではなく、 元々は旧約聖書に出てくる怪物の名前です。例えば旧約聖書の「ヨブ記」では次のように描写されています。

曙の瞬きのように、光を放ち始める。
口からは火炎が吹き出し
火の粉が飛び散る。
(中略)
首には猛威が宿り
顔には威嚇がみなぎっている。

旧約聖書ヨブ記40-41節より

この描写を読むと、私たち日本人は、「なるほど、これはゴジラだな」と思うわけですが、ホッブスがイメージしていたのも、まさにそのような「人知の及ばない巨大なパワー」だったようです。

ホッブスは、世界というシステムのありようを 2つの前提を置いて試行実験にかけます。その前提とは以下の通りです。

1、人間の能力に大きな差はない
2、人が欲しがるものは希少で有限である

いかにもメカニカルな考え方ですね。

これはホッブスの少し後に出てくるデカルトやスピノザなどにも共通する考え方で、少し難しい言葉で、「優位仏論的世界観」とか「機械論的自然観」と言います。精神性や情緒性を排除した、時計仕掛けのようにメカニカルな世界観のことです。

現在を生きている私たちからすると、 このような考え方はそれほど不自然ではないように 思われるかもしれませんが、ホッブスが生きていた17世紀末は未だに、「世界は神様が創造された」と考えるのが主流だった・・・というか、そういう考え方をしない人を「異端」として火破りにしたわけですから、ホッブズのような考え方は、極めて革命的なものだったんですね。

さて、話を元に戻せば、ホッブスは、この2つの命題から必然的に引き出される社会の状態を定義します。それは「万人の万人による戦い」という状態です。希少なものを奪い合うために皆が戦い合う、今風に言えば「ディストピアこそが世界の本質だ」と、指摘したわけです。

ホッブズはあくまでも17世紀末という時代を捉えてこのような指摘をしているということを改めて強調したうえで、しかし私には、ホッブズが描いた世界と現代のビジネス環境が、驚くほど似ているように感じられるのです。

万人の万人による戦い

ここで、もう少し「万人の万人による戦い」がどのような状態なのか、詳しく説明したいと思います。(せっかく時間をかけて勉強したのでもしもお読みいただく方のためになるのであればシェアしたいじゃないですか)

人間の本性と自然状態

ホッブズは、人間の本質を理解することがすべての理論の基礎だと考えました。彼にとって、人間とは、理性的な存在であると同時に、自分を守るための欲望に突き動かされる存在でもあります。たとえば、飢えや恐怖に直面したとき、人はまずその欲求を満たそうと行動します。ホッブズは、こうした欲望と恐怖が人間の行動を支配しており、それが自然状態での人間の行動を形作ると考えたのです。

では自然状態とはどういう状態かと言えば、これはまず政府や法律がない世界を指しています。この状態では、すべての人が自己保存のために行動することになります。そうなるとたとえば、誰かが自分の安全や財産を守るために行動しなければならない状況が生まれますね。その結果どうなるかと言えば、他者と衝突することが避けられず、争いが絶えない状況が生まれます。ホッブズは、この「万人の万人による戦い」という無秩序な状態が続くことで、最終的には人々が自由を失うことになると警告しています。

つまりここで結論を述べてしまえば、ホッブズが描いた自然状態においては、一見するとすべての人が完全な自由を持つ理想的な状態のように思えるかもしれませんが、実際にはその自由が無秩序を生み出し、最終的には人々が恐怖と不安に支配される状況に陥る。その結果として、誰もが自由を安全に享受できなくなり、自由そのものが失われる、という「パラドックス」が生じてしまうと説いたわけです。ホッブズは、このパラドックスを解消するために、強力な主権者=リバイアサンの存在が必要だと主張しました。

自然権と自然法

次にホッブズは、自然権を「自己保存のために何をしても良い権利」と定義しました。この自然権は、たとえば溺れている人が何としてでも浮かび上がろうとする本能のように、人間が生まれながらに持っているものです。しかし、すべての人が同じように自己保存を最優先することで、次第にお互いがぶつかり合い、やはり「万人の万人による戦い」という混乱が生まれ、結局は誰もが安全を確保できなくなる状況に陥ってしまいます。

一方の自然法とは、理性によって発見される法則であり、何をすべきか、何をしてはいけないかを導く指針です。たとえば、道路を横断する際に交通ルールを守ることが安全に繋がるように、自然法は無秩序な争いを避け、社会的秩序を保つための基盤となります。ホッブズは、自然法を人間が理性的に判断し従うべきものであり、それによって共存のためのルールが生まれると考えました。

ホッブズの理論に対する解釈には、自然権と自然法の関係について、次の二つの見方が存在します。

1.自然権が先にあり、自然法がそれを補完する形で発見されるという考え2.自然権と自然法が並行して存在し、状況に応じて理性がどちらを優先するかを選ぶという考え

しかし、どちらの解釈にしても、自然状態における自然権の無制限な行使は最終的に混乱を招くため、それを制御する共通の権力、つまり強力な主権者=リバイアサンが必要だとホッブズは主張しました。

社会契約と主権者

こうした自然状態の問題を解決するために、ホッブズは社会契約の必要性を説きました。社会契約とは、各個人が自分の自然権を放棄し、それを第三者に委ねることで、安定した社会秩序を築くための約束です。

ホッブズの理論では、この第三者が主権者となり、強力な共通権力を持って社会を統治します。これにより、自然状態での無秩序な争いを避け、各個人の安全が確保されるのです。ホッブズが主権者を「リバイアサン」に例えたのは、その圧倒的な力を表現するためでした。

このリバイアサンがすべての人々から自然権を委ねられることで、秩序と安全を保つために必要な力を持つことになります。リバイアサン=主権者は、人民から委ねられた自然権を使って社会を統治する役割を担います。

ただし、ホッブズが注意を促しているのは、主権者が仮にも人民の命を脅かすことがあれば、それは社会契約の根本的な目的に反するため、決して許されないという点です。主権者は人民の安全を守るために存在するものであり、その行動は理性的に考えれば人民の利益と一致するはずです。

ホッブズが主著『リバイアサン』でまとめたこれらの思想は、社会契約説として知られています。これは、個々人の自由と安全を確保するために、自然権を主権者に委ねる必要があるという考えに基づいており、この契約によって、自然状態よりも安全で秩序ある社会が実現されると、ホッブズは強調しました。

ホッブズが提唱した理論は、当時の社会でこそ過激で受け入れ難いものでしたが、その革新性と斬新さを持った彼の思想が、後のジョン・ロックやルソーなどの後続の哲学者たちによってさらに発展し、現代の政治制度や人権という概念の確立に多大な影響を与えました。

ホッブズの思考プロセスからの学び

さて、ではビジネスの場面における「人権軽視」がなされている場合において、本記事で改めて「リバイアサン」の重要性を説きたいのか?と問われれば、私はそのようには考えていません。

スタートアップ界隈などの場合にこそ強力なリーダーシップ=リバイアサンは求められるわけですが、既に長く続く企業において、そのような優秀なリーダーシップを持つ天才的な主権者=リバイアサンを置くことはほとんど不可能です。この点については以下の記事で学ばれることをお薦めします。

私がここで注目したいのは、ホッブズの「思考プロセスからの学び」です。17世紀という平均寿命が35歳程度の時代において、ホッブズは驚くべきことに91歳まで生き、『リバイアサン』を63歳のときに出版しました。この書物は十年以上にわたる執念の考察の成果であり、そのプロセスから学ぶことは非常に多い、いや学ばない手はありません。

さて、この『リバイアサン』の特筆すべき点はどこかと言えば、それは「人間とは何か?」という根本的な問いから始まっているという点です。これは当時の思想の中でも本当に画期的なものでした。この問いは、社会全体をゼロベースから問い直すことであり、それ自体がもう平凡ではありません。

先に述べた点と重なりますが、17世紀において、哲学的・神学的な思考の多くは、すでに確立された教義や伝統に基づいて人間を捉えていました。多くの思想家が、人間を神の創造物としての存在や、社会の中での役割を重視する視点から論じていたのです。しかし、ホッブズはこの伝統的な枠組みから脱却し、いわば「原初の状態」における人間を新たに考察し直しました。

つまり彼は何をしたのか。ホッブズの偉大さを一言で表すなら、「個人を社会や国家の中心に据え、そこから全ての理論を構築したこと」、すなわち「一人ひとりを最重要視したこと」にあります。

この視点は、近代の個人主義的な政治思想や人権の概念の基礎となり、後の思想家たちに多大な影響を与えているわけで、彼がいなければ、もしかすると「人権」の確立までには、もう少し時間がかかっていたかもしれません。

ですから、現代のビジネスの場面において、いま私たちが本当にすべきことは、「一人ひとりをもっと良く捉え直すこと」なのではないでしょうか。

慶應高校野球部からの学び

ホッブズが個人を社会の中心に据えたように、現代においても個人の役割を重視することが、組織の成功には欠かせません。この考えを具現化した好例として挙げられるのが、2023年に107年ぶりの甲子園優勝を果たした慶應高校野球部です。

このチームでは、選手登録外となったメンバーを含め、すべての選手に重要な役割が与えられています。試合に出場する選手だけでなく、ベンチに入れなかった選手たちにも練習パートナーとしての役割や、チームの雰囲気を盛り上げるムードメーカーとしての役割、さらに、投手の投球フォームなどのデータ分析を行うメンバーもいます。選手だけでなく、彼らを支えるコーチ陣やサポートスタッフも、自分にできることを見つけ、チーム全体の成功に貢献しています。

この仕組みは、「貢献実感」と呼ばれ、一人ひとりの役割を明確にすることで、全員が貢献できる環境を作り出しています。このようなエピソードが満載なのが、書籍『慶應高校野球部「まかせる力」が人を育てる』です。私も昨日午前中で読了しましたが、非常におすすめです。皆さんも、まずはライトに書評から読まれてみてはいかがでしょうか?

このような個人の役割を尊重し、その価値を実感させることで、全体のパフォーマンスが最大化され、結果として甲子園での優勝という成果を達成したのです。

この慶應高校野球部のアプローチは、現代のビジネスにおいても重要な示唆を与えます。個々の社員が自分の役割を明確に理解し、その価値を実感することができれば、組織全体のパフォーマンスが向上するのです。これは、ホッブズが提唱した「個人を社会の中心に据える」思想とも共鳴します。

そんな慶應高校は「Enjoy Baseball」の掛け声のもとに全国制覇をしたわけですが、 これは「「頑張る」に「楽しむ」が勝った」と言うことで、これを二千年以上前に指摘したのが儒家の始祖として知られる思想家の孔子でした。

孔子は『論語』において「これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」と説きました。要するに「楽しんでやってる人には勝てない」ということです。

もちろんこれは仕事でも同様で、やっぱり「義務感で働いている人」よりも「楽しんで働いている人」の方が生き生きと活躍し、組織全体にポジティブな影響を与えるわけですよね。

ということで、個人の人権を無視するような働き方とはもういい加減にオサラバして、個人が生き生きと働けるような役割を持つことを考えませんか?

もう昭和じゃないんですから。



[1]

  • 国連「MY WORLD 2030」調査結果MY World 2030 - UNDP

  • 参考論文:

    • Title: "The Sustainable Development Goals: An Assessment of Ambitious Goals and Weak Implementation"

    • Journal: Global Policy

    • Authors: Jeffrey D. Sachs, Guido Schmidt-Traub, et al.

    • Summary: この論文では、各国がSDGsをどのように優先しているかについての比較分析が行われており、日本における「環境」目標の強調と「人権」目標の相対的な軽視が指摘されています。


[2] リバイアサン関連

  • 書籍:

    • Title: Leviathan by Thomas Hobbes

    • Publisher: Penguin Classics (2005 edition)

    • Summary: 本書の第13章「自然状態と社会状態」および第14章「自然権と自然法」において、ホッブズの社会契約論が詳細に論じられています。自然権と自然法の関係についても説明されており、ホッブズがどのように自然権を制約する必要性を述べているかが記載されています。

  • 参考論文:

    • Title: "Hobbes's Moral and Political Philosophy"

    • Author: Richard Tuck

    • Summary: この論文では、ホッブズの自然権と自然法の関係についての解釈が詳しく説明されています。ホッブズの思想の革新性と、彼の自然状態に関する考え方が17世紀の文脈でどのように受け入れられたかについても言及しています。



僕の武器になった哲学/コミュリーマン

ステップ2.問題作成:なぜおかしいのか、なにがおかしいのか、この理不尽を「問題化」する。

キーコンセプト32「リバイアサン」

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