たこぶねから始まる船の旅。
「素粒社」というあたらしい出版社が、2020年7月に船出をはたしたそうだ。東小金井の高架下、「東小金井事業創造センター KO-TO」にオフィスを構えているとのことで、こもれびのご近所さんということになる。
そこから近々、俳人である小津夜景さんによる新著『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』が刊行されるとの由。小津夜景さんといえば、前著『カモメの日の読書 漢詩と暮らす(2018年、東京四季出版)でそのお名前を知ったあと、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者である須藤岳史さんとの往復書簡「古典と古楽をめぐる対話」も楽しく読ませていただいた。お二人の往復書簡に触発されて、ほんやのほ・伊川さんとこもれび塾長・志村との往復書簡「"ことば"と"意味"をめぐる対話」が生まれたので、私にとって小津さんは大きな存在だ。そんな小津さんの新著を刊行する版元がご近所にできたというだけで、無性に嬉しい。
刊行予定の『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』については、素粒社さんのnoteでためし読みがはじまっている。
表題作「いつかたこぶねになる日」を読み終わり、ふと思い立ってGoogleで検索してみると、どうやらたこぶねは、フランス語では«nautile»とか«argonaute»とかいうらしい。検索にヒットしたフランス語版のWikipediaの«Les nautiles et les Hommes»の項に掲載されている写真を見ると、芸術品として珍重されてきたことがわかる。
日本語版のWikipediaにわたってみると、フランス語版に比べてなんだか素っ気ない。でも、フランス語版にはない発見があった。それは、たこぶねの学名が"Argonauta hians"であるということ。フランス語の«argonaute»もここから来ているのだろう。
ひとつめの語に含まれる"nauta"ついて、記憶をたどる。ラテン語の練習問題で"poeta"や"agricola"と並んで「aで終わるが例外的に男性名詞であるもの」として出てきた「水夫」という意味の単語だということを思い出した。そうすると"argo"は? 調べたかぎりでは、ギリシャ神話に登場する船に由来するらしい。古典ギリシャ語"Argonautai"やラテン語"Argonautae"は、そのものずばり、「argoに乗って航海をした英雄たち」の総称、ともある。ちなみに、わかる範囲で書くならば、"nautae"は"nauta"の複数形だ。
残る"hians"は、羅英辞典によると"hio"の現在分詞で、"yawning"(あくびをする)とか"gaping"(大口をあける)とか。つまり、学名全体をなんとなく眺めてみると、「argoに乗る水夫(英雄)のうち、大口をあけたやつ」がたこぶねということになる。いや、「あくび」に引きずられて、少々呑気なイメージでとらえすぎてしまったかもしれない。"hians"は、「口が大きい」くらいか。
Argonautaiの神話は、いわば旅の物語(権威と王位の象徴である金の羊毛を獲得するのが旅の目的)。小津さんのエッセイに引用されているアン・モロー・リンドバーグの『海からの贈物』も当然そのことを踏まえているだろうし、それを受けて小津さんが取り上げる原采蘋の詩もまた、旅にまつわるものだ。
アン・モロー・リンドバーグは、たこぶねに「涵養の果てに殻を捨て去って、ふたたび身ひとつで海へと泳ぎだす」ことを思う。原采蘋の詩には「この旅への気魂がみなぎってくる」(此行気色揚)という言葉がある。どちらも、身ひとつで大海に漕ぎ出す困難が詠みこまれているし、それぞれに凛とした強さを感じる。
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「言葉の船旅」をもう少し続けるならば、たこぶねは中国語では「锦葵船蛸」(jin3 kui2 chuan2 shao1)と呼ぶようだ。锦葵はゼニアオイのこと。生物分類上、たこぶねが属する科は"Argonautidae"だが、これは日本語で「アオイガイ科」とされているので、中国語の名称も根っこに共通するものがあるのだろう。
ゼニアオイという植物を知らなかったのでこれまたGoogleで検索してみると、濃いピンク色をした花の写真が出てきた。ちょっとやそっとのことではへこたれなそうな雰囲気を持っているし、実際、なかなか強い植物らしい。ここにも、凛とした強さがあった。
実ははじめ、「たこぶね」というかわいらしい音感と字面から、ついお椀の船に乗った一寸法師のようなのどかな絵を思い浮かべてしまっていたのだが、とんでもない、たこぶねが持つイメージは「力強さ」なのである。
そう知ったとき、「素粒社」という出版社の、創業後はじめての刊行ラインナップにこの本があることはなんだかとても良いな、と感じたのだった。たこぶねのように力強さを持って大海に漕ぎ出すことは、困難だが希望に満ちている。
「出版」という船旅においては、出版社はもちろんだが、書店や読者も水夫(nauta)となるだろう。願わくば、一人ひとりのnautaが各人の持ち分を発揮して良きnautaeとなり、船が少しでも遠くに行けますように。
今回のブログは、そのためのひと漕ぎでもある。
(2020.9.6 秋本)
転載元:語学塾こもれび スタッフブログ