【シベリア鉄道旅行(2)】革命の都市、ハバロフスク
1. はじめに
こんにちは、今回はハバロフスクについて紹介します。前回は「シベリア鉄道旅行」のきっかけ・準備・ウラジオストクからの出発について書きました。noteの公式マガジンに掲載されました!良い反応をいただき嬉しいです!(≧▽≦)
私は2020年1月1日、シベリア鉄道でウラジオストク駅から出発し、2020年1月2日ハバロフスク駅に到着しました。12時間ぐらいかかったすごい冒険でした!
「Yasunori」さんは東スラブ民族を指す用語である「ヴァリャーグ」とそれに対する、ある高麗人学者の見解に言及していただきました。高麗人学者がそのような主張をしたことがあったんですね。全く知りませんでした。新しく勉強になるコメントありがとうございました!これからもよろしくお願いします~!
2. 駅からレーニン広場まで
2020年1月2日早朝、ハバロフスク駅に到着した。まだ外は暗く、とても寒く、なかなか外に出ることができなかった。駅でしばらく待って外に出た。ほぼ氷点下20度という笑えないレベルなので、何の準備もせずに外に出るのは危険です。
朝、キムユチョン通りに到着した。なぜロシアの街の真ん中の通りに韓国人の名前が付いているのか不思議に思うかもしれません。キムユチョンという人物は社会主義活動に尽力した韓国人でソ連に貢献したということで通りに名前が付いたそうです。
ウラジオストクは様々な文化が混在しているのに対し、ハバロフスクはロシアと東ヨーロッパの伝統的な建築様式を見ることができます。
緑色の木造の建物がとても印象的です。極東地域でこのような印象を持つ都市はなかなか見られません。
ロシアの建物を見ると、街中にある一般的な建物の中でも、国家遺産に指定され、いつ作られたかを知ることができます。この家は1910年代に建てられました。
ハバロフスクは街が大きくないので、歩きやすく見やすいですが、とても寒いので、長時間の徒歩移動は結構大変です。
レーニン広場に向かいました。新年を記念した氷の彫刻が華やかに展示されていました。
魚と携帯がそのまま丸ごと凍っている、かわいそうな魚...
ここには独特の灰色がかった外観の建物が多く、地味で素朴ですが不思議な威厳を感じさせます。
レーニン広場の前にはレーニン像が立っており、その後ろに見える赤い建物は1903年に学校として建てられた建物です。現在は様々な店舗が入っています。歴史が古い建物だけに、この建物の前で様々な歴史的な出来事がありました。 特にロシア革命期には特にそうです。
1920年6月30日、ハバロフスクで1920年3月のいわゆる「ニコラエフスク事件(尼港事件 )」で死亡した日本戦死者を追悼する大規模な慰霊式が行われました。日本軍は戦死した兵士たちを称え、殺害された数千人のロシア人と日本人の魂を慰めるために慰霊式を行いました。広場の北側には神道鳥居が設置されています。
ムラヴィヨフ通りを歩いている時、印象的な建物を見つけました。 宝石店や各種ショップが入った商店街ですが...
珍しい建物だと思ったら、1910年代に帝政ロシアの市議会議事堂として使われていた建物だったんですね。やはり歴史のある建物は一目でその雰囲気が分かります。
真向かいに赤い建物が一つあります。
1918年、キム・アレクサンドラ・スタンケヴィッチは革命家で、ハバロフスク市議会の外務委員会としてここで勤務していました。1918年9月、ロシア反革命により処刑されたと書かれています。
この建物は1901~1902年に建てられたもので、1階にはワインショップ、カフェシャンタン、既製服ショップがあり、2階はホテルでした。
3. 昼食: ウクライナ料理店
建物の外観がかなり古いように見えますが、1912年に建てられたそうです。当時は何気なく楽しく食事をしていましたが、今のようにロシア・ウクライナ戦争で両国の外交が最悪になるとは予想していなかったです。
とても庶民的でアンティークな雰囲気です。
ロシアで生活していると、様々な料理に出会います。ロシアの伝統料理、ウクライナ料理、グルジア料理など。実はお互いに影響を与え合っていて、これがどこどこの伝統料理だ!とはっきり言うのは難しいのですが、庶民的な雰囲気を漂わせるウクライナ料理は、全く違う民族なのになぜか親しみを感じさせてくれました。
皆さんもいつか機会があれば、ぜひ訪れてみてください。
4. 宗教、そして小さな革命
食事を終えて外に出ると、まばゆいばかりの美しい氷の世界を目にすることができました。ここはウラジオストクよりもずっと北にあり、冬には川が完全に凍ってしまいます。私が最初にロシアに憧れたのも、このような氷の世界に一度は行ってみたいと思ったからです。
今は眩しいほど美しい光景ですが、実はその裏側にはとても暗い過去があります。1918~1922年のロシア内戦で、この川で革命派と反革命派が戦い、その過程で多くの革命家が亡くなったそうです。イデオロギーで殺し合うことは本当に悲しいことです。
こんなに寒くても抱き合う子犬たちを見ると、心が温かくなります。
宗教というのは基本的に死と関係しています。死後、私たち人間の存在はどこへ流れていくのか、何千年もの間、誰もが悩んだ痕跡が宗教ではないかと思います。
ハバロフスク市南端にある永遠の炎は、まさにロシア人が死を記憶する方法ですね。実際、永遠の炎はロシアのどの都市にもあります。
ただ、ハバロフスクが革命と反革命派が激しく激突した地域であり、日本軍もここにしばらく駐留していた特別な場所です。ここでそれぞれの死を称える方法が共存しているので、私はハバロフスクで永遠の炎を見るとき、少し特別なものを感じました。
基本的には第二次世界大戦の戦没者を追悼する場所ですが、チェチェン戦争の戦没者を追悼する場所でもあります。
プレオブラジェンスキー大聖堂。比較的最近建てられた建物です。
ロシア正教会は、カトリックやプロテスタントとは異なる文化を持ち、スカーフを巻き、十字を切るロシア人を目にすることができます。
聖堂を出ると夕方5時になっていました。最近は日本もすぐに夕方になりますが、ここはもっと早く夕方になるようです。夕暮れと白い雪が合わさって、世界が真っ赤に染まる光景がとても美しいです。どんなに寒くても、このような風景を見ると癒されます。
凍った道路がキラキラと輝いていて、とても美しいです。1918~1922年のロシア革命期にここを歩いていた人々もそう感じたのではないでしょうか。今日明日で隣人は死んで亡くなってしまいますが、一方で毎晩このような風景を見て何を思ったのでしょうか。人生は残酷で美しいものです。
生まれて初めて見る建物の色の組み合わせです。紫と緑の幻想的なコラボ。
まるでファンタジーの世界です。
この建物は一体何だろう。空き家なのか廃墟なのか?
調べてみると、兵士訓練所だったそうです。1880年代に建てられたという話もあり、1917年のロシア革命の頃に建てられたという話もあります(ロシアの不動産を調べてみると、内部はすごくきれいな家でした)
私は怪しい人物のように、街の奥まったところまでやってきました。 地元のロシア人が私を見たら、一体、観光客が何をしにここまで来たのか不思議に思ったことでしょう。
私は探検するのが好きです。この建物もそうですが、何を探検するのかというと、この場所で韓国の社会主義者たちの小さな革命があったそうです。日本ではあまり知られていませんが、韓国では一群の韓国人社会主義革命家たちの存在に深い関心を持つ歴史学者が多いそうです。
ただ、この場所ではない可能性も高いです。私は当時はここだと確信していましたが、年月が経つにつれてその自信は薄れてきています。正しいかどうかは別として、私はここまで来たことに意義を置きたいと思います。誰も探さないところに自分なりの意義を置いて探すのが楽しいのです。
最も宗教的であったロシア、そしてロシア革命を経て、そのすべての宗教的なものの廃棄。そして社会主義という新しい「思想宗教」の誕生。人々は常に何かを信じたいものです。そうでなければ耐えられないからです。そうして革命の街ハバロフスクは激動の歴史の中で人間の「信仰」とは何かを改めて考えさせられる場所ではないでしょうか。
私もそうですが、自分の思い通りになることがあまりないことを切実に感じている昨今、私なりの生き残り方として、正しい、間違っているという判断を可能な限り保留するようにしています。新しい可能性を見い出す方がよりエキサイティングだからです。
5. 夕食: パニ・ファザーニ
ほぼ氷点下20度の強烈な寒さの中、一日中外を歩き回りました。体にご褒美を与えなければなりませんね。私はハバロフスク市の中心部にある「パニ・ファザニ」という居酒屋に立ち寄り、ビールを飲みました。
新年だからか、人はあまりおらず、地元のロシア人が友達同士で来て少し飲んでいる程度でした。私はむしろ良かったです。誰にも邪魔されず一人の気分を満喫したかったからです。(自慢話なんですが、私は一人飯・一人遊びの達人です・・笑)
雰囲気はヨーロッパ的でもあり、アジア的でもあり、庶民の贅沢という感じが強いです。実際価格も安くもなく高くもないそんな感じです。
一人旅の私にとって、現地の人を観察するのはとても楽しいことです。ビールを飲みながら、100年前にハバロフスクという街で起きた革命の時代を想像してみました。そして、当時を思い出しながら今を生きる私は2023年の今、この時代に私たちの生活を変える歴史的嵐は何なのか、楽しみ半分、恐れ半分の想像を膨らませています。
6. 終わりに
ここまで、シベリア鉄道旅行中にハバロフスクで出会った様々な建物と、それにまつわる革命の歴史について簡単にご紹介しました。
今の日本では物理的にも精神的にも昔の話となってしまいましたが、当時は意外にも多くの日本人がここまで来ていました。そこでソ連の革命と反革命の狭間で自分の居場所を守るためのロシア人の闘いを当時の日本人は見ていました。もし皆さんがその時代を生き、たまたまハバロフスクに派遣されたとして、革命と反革命の狭間で戦っているロシア人たちを見たらどんな気持ちになるでしょうか。その時代を生きたと想像しながら旅をしてみると、普通の旅とは違う、新しい視点でロシアという国を見つめることができるのではないでしょうか。
次回はハバロフスクで出会った死の空間、墓地にご案内します。
それでは皆さん、次回までよろしくお願いします!
デジタル歴史家
ソンさん
【参考】
自分の脳・SNS・写真