夕日が沈まないころの話

高校一年生の春、僕はサッカー部に入れなかった。新入生が入部届を提出するはずの日の放課後、徐々に人が減っていく教室で、いつまでもいつまでも椅子から立ち上がれなかった。体験入部にも行き、入部届も書いていたのにもかかわらず。

とても奇妙な時間だった。幼稚園の頃からサッカーを好きで続けていたから高校でも当然続けるものだと考えていた。確かに体験入部の時に何かが違うなとは思ったが、入らないという決断をするにはあまりに漠然とした理由だった。この理由は今でもわからない。なんとなく入らなかった、そして入れなかったとしか言いようがない。立ち上がれなかったときの、夕日に照らされた教室の景色と、肘にへばりついてしまった机の硬さをやけに覚えている。

その後、秋から冬に季節が変わるころに僕は陸上部に入った。それまでの間、僕は毎日のように走っていた。みんなが部活をしている時間に運動しようと思った。結局一人で練習していても目標や仲間などあるはずもなく、図書館で借りてきた有名バンドのベスト盤を永遠と聞きながら、退屈ではあっても学校の勉強に身の入るわけでもない、何とも腑抜けた時間を過ごした。

サッカーをしたくなくなったわけではない。中学の部活の友達と集まった時や、学校の授業ではボールを蹴っていた。でもそのたびに、なんで部活に入らなかったんだろうな、とか、みんなは楽しそうでいいな、と思っていた。そしてそれはあまり気持ちよくなかった。

陸上部に入って毎日毎日サッカー部が練習する横を走るようになっても、このもやもやは晴れなかった。中学時代一緒にサッカーをしていた先輩や仲間に自分が黙々と走っている姿を見られているだろうなという状況は、自意識あふれる高校1年生にとっては恥ずかしく、少しみじめに感じた。

そんなある日、テストが近いということで陸上部の練習が短い日があった。陸上部の部室の隣はハンドボール部だったので練習が終わった後先輩同士がよく話していたが、この日は練習が終わった後にサッカーをやろうと言い始めた。僕は中学までサッカー部だったことを先輩に言っていたということもあり、参加することになった。

ハンドボール部の人たちには、中学まではサッカー部に入っていた人が多かった。進学校で勉強が大変ということや兼部が難しいことから、時間を長くとられるサッカー部に入らなかった人が結構な数いた。そのため、彼らは練習後によくハンドボールコートでボールを蹴っていた。顧問の先生も、それをなんとなくは容認していた。

試合を始めてしばらくすると、それぞれのなんとなくの実力が分かって来る。徐々にうまい人が活躍し始める。同時に、あんまりうまくない人はどこか楽しめていないような感じも出て来る。また、うまい人でも点が決められなかったりするとあんまり楽しくなさそう、という人もいた。

その中で僕がよく覚えているのは、陸上部の一つ上の先輩の姿だ。もともと野球をやっていたこともあり運動神経は抜群だったが、サッカーはあんまりやったことない、と言っていた。

そんな彼が、誰よりもサッカーを楽しんでいたのだ。コートの中を走り回る。うまくボールを蹴れないとうわーーーと声を上げて悔しがる。点を決めるといえーい!と大喜び。走り、とび、蹴る身体から、楽しさがあふれていた。

結局のところ、うまさだけが問題ではなかったのだ。ゴールが決まるとうれしい。相手をかわすとうれしい。相手からボールを奪うとうれしい。そういう小さなうれしいの積み重ねを、素直に全身を使って彼は表現していた。あの放課後の時間、彼がそれを一番うまく、そして自然にやっていた。

この日の後もハンドボール部の人たちやその他ボールを蹴りたい人たちとのサッカーは定期的にあった。サッカーを誰よりも楽しんでいた先輩を見ながら、僕も誰かと比べることなく純粋にサッカーを楽しむようになっていった気がする。

部活だとレギュラーをつかむために仲間と競い合ったり、自分の目標を達成できないと落ち込んだりする。負けが続くと悲しい気持ちになる。自分よりうまい人も山ほどいる。そういうことに少し疲れてしまったから、僕はサッカー部に入れなかったのかもしれない。

結局、僕はそれ以降もボールを蹴り続けている。大学に入っても寮対抗のサッカー大会に向けて朝練をしていた。社会人になってもフットサルを時々やる。ランニングも続けている。日本代表にはもうなれないだろうし、特別うまい方ではないけれど、やっぱりボールを蹴っている時間は不思議と時間が経つのが早い。

入部届を出せずに放課後の教室で椅子から立ち上がれなかったのに、今でも楽しくサッカーを続けているのはちょっとおもしろい。

思い返すと、サッカー部に入れなかった僕がサッカーを嫌いになったりやめたりせずに済んだのは、先輩の誰よりも楽しそうな姿を見ながらボールを蹴っていたあの日々のおかげだった。サッカー部に入れなかった僕は、それとは気づかないうちにリハビリを始めていたのだ。

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