衝動ゆえがミスiDにエントリーした理由
普段ゆえは写真家を志す一人間として、
「艶 羅良」として別名で活動をしています。
いろいろな方にみてもらうために、残すために
インスタグラムに撮影した写真を載せます。
https://www.instagram.com/lunalily_co
どうしても、写真界隈では撮影した写真だけを載せるアカウントと
プライベートのアカウントで使い分けをする方がほとんどだと思います。
投稿の統一感を出すために?需要と供給の関係で?
ふと、疑問に思いました。モヤッとしました。
全部私なのにって。
全部ひっくるめたわたしをみてくれないかなぁって。
日々の生活も愛おしいし
うまくできない生きにくい人格も愛おしくて
トータルでみてくれても、おもしろいのにな。
載せづらくなってるのもったいないなぁ。と思ったのがキッカケです。
高校生から望み続けていた
「人格で繋がれるひと」に出会いに。
地元ではことごとく報われなかったこだわりぬいた愛が、
必要とされる人に出会って報われてほしい。
こんな子がいて、この子がこの写真撮ってるんだって見てくれるような方に
もっと出会いたいなと思いました。
ギリギリ人生を一緒に互いに愛でて、なんとかやっていこっかって
ふと励ましあえる仲間が必要で、遭遇しに来ました。
なぜ艶羅良ではなく衝動ゆえなのか。
それは私がわたしをゼロから生きるためです。
私という人間を誰も知らないところからはじめたかったからです。
歌も歌いたいし、たまには絵を描きたい。言葉も好き。
そんなゆえが撮影行為をメインの表現方法にしたいなと感じたのには
とある夜の衝動が大きかった。
会社員になって間もなくの春の日。地元の友達と夜桜祭りに行った。
高校の頃から写真を撮っていたけれど、
このときしばらく撮影をしていなかったし写真機を持っていかなかった。
ふと、かすかな光でライトアップされた夜桜の下で楽しそうにしていた友達を撮りたくなってiPhone6sで撮られ慣れていない友達を写してみた。
沢山の夜桜に溶け込む友達がとても、とても綺麗で。
性能が今と比べて特段よい機能がついているわけでもなかったので
撮れかたによってはブレが起きたりもするんだけど、
ブレが生み出す流動線もまた美しく感じて、シャッターを押す手が止まらなかった。とにかくその瞬間が美しく楽しくて一瞬に感じたし、
これが時間を忘れるってことだなって思えた。
撮った写真を興奮ぎみに友達にみせたら、友達も感動していた。
間違いなくあの場で一番私たちがあの夜桜を楽しんでいた。
心が通って、「共鳴」をしていた。
会社員で疲弊しかけていた心身、写真からわずかに離れていた心に
眩い光が差し込んだような夜だった。
今までの撮影でも似た感覚になったことを鮮烈に思い出した。
この日のようなひとときを繋いで繋いで線にして生きていきたいと
強く実感した。
もしもゆえがこの先撮影よりも自分にしっくりくる表現方法に
出会ったのならその表現に力を入れていくけれど、
写真はずっとやめないなぁと思う。
写真は目にみえる世界の一瞬を切り取るだけではない。
私の撮る写真はその人のその時の心の声や気持ち、
その人の持ちうる思想や感情、人柄をしみこませた一枚を創るということ。
その人でなくてはならない、そんな写真を撮りたい。
人と対話して、共鳴することが私の表現でありたい。
2020年1月の初グループ展示にて展示した私の自己紹介文のパネルがあったので添付します。よかったら私と出会ってください。
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艶羅良こと衝動月永より