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無題

この痛々しいばかりの高揚感が分からなければ、この段階の歴史は分からない。
司馬遼太郎のは明治維新について、そう評した。この痛々しいばかりの高揚感とはどのようやものか。考える時に来ているのではないだろうか。高揚感なのに痛々しいという感覚。そもそも高揚感を最後に感じたのはいつなのだろうか。何かを犠牲に、それも耐え難い犠牲を払い手に入れたこの上なく輝く何かを。そんなものを現代に見つけられたのなら、まだまだ捨てたもんじゃない。

カウントダウンが始まってしまったのを感じたその時から時間の流れは変わった。意識ってニンゲンをこうも変えていってしまうのかと。一日一日があっという間に過ぎていくのである。日々充実感と焦燥感と少しの哀愁を纏い、1秒先も読むことができない生身の宝石と相対しているとなかなかに削れる。何が削れているのかは分からないが。1秒先が読めないって言うのは、これ以上ない好奇心と興奮をもたらす。それゆえ、大きな失敗と後悔に導かれてしまうことも多々ある。たが、それを苦に思ったことはない。そしてこの先も苦に思うことはないだろう。毎日が生き物であると言えるヒトはきっと少数なんだろうなと思った。

やっぱり奴が友達でよかったと改めて感じる。奴のステータスに憧れているのか。その頭脳明晰なところが好きなのか。確かにその一面はあるのだろう。だが、どこにいようと、どんな学歴だろうとたぶんヒトを魅了するものを持っていると思う。自分にはない世界を見せてくれるってのは相当な才の持ち主である証拠だろう。それは、勉強ができるとかそんな下世話な話じゃないんだ。たぶん目を持っているし、耳をもっているし、何かしらのアンテナが生えているのだろう。その感度も最高峰である。まぁ、すごいの一言で片付けておくことにする。隣にいて恥ずかしくないような未来を話せるようにならなければならない。いいんだ別に。もう一生かかっても日本最高のところへは入れぬ。だったら違う分野で、違う扉を開いていくしかないし、それでいいのだって言える。

あー、眠い。今日は読書なしで寝てしまおう。明日からも明日は続く。今日は昨日となり、昨日は過去である。当たり前だが、酔った状態で言ってみると、また味があるような気がしないでもない。明日には明日の風が吹くが、明日も今日の残像が生き残るなんてもん。明日は何を飲もうかなぁ。残るのは残像だけにしてくれ。間違ってもアルコールはやめてくれ。

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