自己肯定感は吐く
「今なら、何かをあいつに話してやれるかもしれない。納得はしないだろうが、伝えることはできるだろう。」
重松清は伝える内容までは描かなかった。父は何を伝えようとしたのだろうか。父が家で語るその言葉が現代人には心に染み渡り、潤いを回復するための聖水となるだろう。
弱者のためっていう大義名分を抱えて、困っている人を助けるという大義名分を抱えて、自己の欲求を満たしているニンゲンがあまりにも多過ぎやしないか。そういうニンゲンが本当に嫌いだ。誰かを助けるとか、誰かの役に立つとか、誰かのために何かをやるってことを世間に発信する必要があるのか?別に誰にも何も言わず、ただ黙々と自分がやるべきと思ったことをやればいいじゃないか。そこにインスタもTikTokもXもFacebookもいらない。誰かに発進した時点でそれは純粋無垢ではなくなる。自己満足でしかない、ただ邪な行動に変わっていく。何が本当に大切なのか分からないヒトがあまりにも多すぎる。自分のタスクと他者のタスクを分けられない、タスクの順位付けができない、そんなヒトが増え過ぎた。SNSはクズ炙り出し機なんて言う人がいたが、あながち間違いではなさそうだ。
自己肯定感って言葉がものすごく辛いだ。聞くだけで嫌悪感が心の奥底から沸き、吐き気を催す。自己肯定感を上げていこうという社会の流れに反吐が出る。自己肯定感ってなんだよそれ。自己を肯定するんだろ。そんな感情育てたら全員盲目になるぞ。自分が良ければいいってなるんだろ。自分って最高ってことだろ?じゃ、他者なんってどうでもいいってことだよね。自己を肯定するためには他者は関係ないからな。ヒトリヨガリ、ジコチュウシンテキ、ジンシキカジョウ。あー、生きづらい世の中になっていくのであろうな。求められているのは、本当に必要なのは肯定感ではないはず。海外のものを何も考えずただ受け売りするのはもうやめようよ。趣旨とか意図とか全然考えてないじゃん。バックボーン知らな過ぎじゃん。思考停止のこの風潮はもはやニンゲン辞めました宣言にしか見えない。
そういえば9時を過ぎても職場にいる公務員がニュース番組に映っていたな。アレ、映ってる側も映している側も何も感じないのだろうか。自分たちが今、まさに今、闇を全国に発信していることが分からないのか。何が働き方改革だよ。結局口だけかよ。何かをやるなら何かを犠牲にしなければならない。どっちもとかちょうどいい塩梅になんてことはできないんだ。そんな甘い考えじゃ変わるものも変わらない。言い出したからには責任持ってやりきれよ。そうじゃなければ最初から言葉にするんじゃないよ。ホント、このなぁなぁ感がきらい。