#146 あることが当たり前に感じる
おはようございます。fumioです。
本日のお題、「あることが当たり前に感じる」です。
■当たり前に感じる その1
絶賛コロナ感染拡大防止!!
昨年の5月8日以来、コロナ、マスクの意識が「コロナ一緒、マスクなし」が当たり前の空気が日本にも広がりに、そして、医療機関も高齢者施設も
社会の空気に合わせて、利用の制限・面会の制限も弱くするのが当たり前にになり、「コロナの感染が疑われると感染しない対応をする」が当たり前(慣れろ!対策しろ!)←私の感じる「空気」(社会からの)
■当たり前に感じる その2
「やりがいの搾取」が当たり前!
早期退職を企業が実施すると、「企業が肩を叩きたい社員も退職するが、企業が退職して欲しくない!社員が退職する」ことに。
医療や介護業界では、早期退職はないけれど、「この業界とか、この医療機関、施設では働けない!」と頑張って支えて、職場の価値を作ってくれてきた方が去っていく!
■当たり前に感じる その3
やってくれるのが当たり前!
その1、その2から「社会の空気」と「退職せず残った社員の空気」・・、
ある意味、介護する家族が「自分の仕事、生活」ができるために「介護サービスが利用できる」「家族の迷惑にならない(居場所がある)」ことが当たり前に。
会社が社員の雇用と権利を守るのが当たり前。職員が少なくなって、職員が採用されないこと。職場の空気は、職場が創るもの・・・。社員や職員が働く、自分も会社側の求めに応じて、工夫するではなく、「時間で働くこと」が当たり前に。
■変わっていくのが当たり前に感じるには
報酬が決まっていると、頑張らない!
お給料は、これだけやれば「このぐらいは貰える!」が意識にあると、前向きに努力や工夫をしないのではないのか?
「もし、今夜の夕食は○○。」とか、「給料は、〇〇円。」とか決まっていたら・・・働く側も、働いてもらう側も「無意識に決まった結果」を無意識に思っているのではないのかな?
やりがいと、楽しさを共有して学習する・・・。
テレビのリモコンの「使わないボタン」のような仕事、私たちも社員もその先のお客さんに「やりがいや楽しさ」を見つけて、伝える努力をしてるのかな?
この業界(福祉・介護)では、その昔は、身近なところでも同業他社と勉強する機会があり、出席する者が自社・自施設の話題で「取組めていること」「取組めていないこと」を話して、持ち帰って工夫や意識の変化を促すことがあった。
最近は、資格としての集まる場があっても「個人」のスキルアップで会社や組織の向上につながる「具体的な取り組みのノウハウ」と意識の変化が
ないような気がします。
「やりがい」をメインに、「やりがいを展開するとお金になる」が正解で
「お金になることがやりがい=目的」にしないこと。
綴っていても・・・どこか、しっくりきません。この続きは、また後に
本日もよい一日に(^^)/