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NPO設立&フリースクール運営、不登校支援のこれまで①突然の不登校のはじまり

私は現在、研修講師、コーチの仕事をやりながら、NPO法人の代表も務めています。

NPO法人はもともと立ち上げるつもりは全くなかったのですが、我が子の不登校をきっかけにフリースクールの運営を開始したところ仲間たちが増え、NPO法人を立ち上げることとなりました。

現在、社会でも不登校の増加が問題視されている中で、『目の前の起きていることをどうにかしたい』と思い、『どうなったらいいかを考えて少しでも行動してみる』方針で、『頼ること、頼られることができ、仲間の力を信じる』気持ちを持つことで、現在も進められています。

ここに至るまでにも様々な障壁や葛藤も沢山あったので、記録に残しておこうと思います。誰かの役に立つと嬉しいです。

私には二人の娘がいます。

3年前の6月初旬、小学4年生と2年生の娘たちは、控えめな性格ながらも毎日の登校も何事もなく、習い事や友人との交流も問題なく毎日を過ごしていました。

この時には「何事もなく」とか「問題なく」思っていたのでしたが、週明けにお腹が痛いと言って休むことがあったことや、成長期の体の変化など、何かしら予兆はあったのだと今なら思います。

そして私にとっては突然、日曜日の夜、4年の娘が『明日学校に行かない』と訴えてきたのです。表情は強ばり、頑なに『行かない』と伝えており、理由を聞くも答えなかったので、「まあ1日くらいなら休もうか」といいました。

4年の姉と共に学校への登下校も、校内でも面倒を見てもらっていた2年の妹は、姉が行かないのなら私も行かないとのことで、月曜日は2人ともお休みしました。

翌日、行かない意思は固そうでした。しかし、いつも穏やかな妹が『風邪でもないのに学校を休むのはおかしい、どうして休むの』と泣いて訴えました。『...............(でも、1人では行けない)』姉と共に、頼りにしていた存在がいないことは不安で、どうしても1人では行けず、姉の理不尽さと行けない自分の不甲斐なさに、泣き続けるのでした。

3日目もお休みしました。
担任の先生から様子を聞かれる電話が来て、『元気です!きっと明日には行けると思います!』と答えました。そして娘にも言いました。『先生も心配しているし、行こうね。』この言葉を聞いて、あの頃娘はどんな気持ちだったのだろう。

次の日も、次の次の日も、お休みしました。

家では特段変わった様子もなく、毎日が日曜日のような穏やかな日が続きました。パートがある日は子供たちを置いて家を出るのは少し心配で、連絡が取れるようにしたり、昼ごはんを準備して家を出ました。学校に行ってないのなら、家で勉強をしていれば大丈夫。体育や他の授業には出れない分、勉強をしようと思ったらたっぷり時間はあるし、先生から貰ったプリントや新しく買ってきたドリルをやって欲しい、とそれもしっかり用意しておきました。

先生は心配して家までお便りを届けに来るし、電話の連絡も来ていて、「学校には行きます、行かせます」と言ってしまってるし、1日も早く学校に行けるようになればいいなと思って、学校の様子や問題集、ドリル、好きな本など、たくさん準備して渡す毎日でした。

それでも学校へは行きませんでした。

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