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「忘れられない思い」東日本大震災から12年、3.11で私が知ったもの

人が生きるために必要なもの


……12年前
 皆さんは3月11日、どこで何をしていたのだろうか?
誰もが忘れらない日となった3月11日。
想定外の大地震に日本中が戸惑い嘆き悲しんだ。
 
2011年3月11日14時46分。

私は家に居た。揺れたのは最初、自分かと思った。
え?目眩?
カタカタカタッ……テーブルや棚の物が音を立てた。
食器棚がガタガタッと言い出しコップやグラス、食器も音をたてはじめた。

これは、じ、地震だわ!まずい。
私は立ち上がり全面に倒れてきそうになっている食器棚を”咄嗟に”押さえた。棚は後ろの壁にぶつかる反動ですごい力で前へとせりでてくる。
 
中の食器たちが食器棚の前面に追し出され、前扉にガッシャンガッシャンとぶつかり地震の揺れと共に大きな音へと変わっていく。

あっっ、買い換えて間もない液晶テレビがすごい勢いで揺れている。テレビを置くとき地震強化のシートを下に貼ってあるのにもかかわらず、テレビ台から落ちそうだ。
こっちの古い食器棚よりあっちのテレビを押さえるべきだったか?と一瞬後悔したが、んなのもう遅い。そっちはそっちでなんとか耐えてくれ~。

え?まだ?なんでまだ終わらないの。長い、長すぎるよ。
もうダメだ……。食器棚を必死で押さえる手が何度も緩みそうになる。揺れの長さと大きさで同じ場所でささえていることがつらい。

どれくらいの時が過ぎたのだろう。
ようやく食器たちは合唱をやめた。

食器棚の中の様子を見ると隙間でぶらんぶらんして下がってるワイングラス、仕切りのところで挟まっているモノ、欠けたコップ……という状態。これらを片付けるには、そう、今この扉を支えてる自分の手を必然的に離さなくてはならないのだ。ここで開けたらどうなるかは想像がついたが仕方が無い。このままではいられない。

ゆっくりとそっと、手を離した……。が、うってかわってコップやグラス達は「待ってました!」とばかりに容赦なく床に落ちてきた。

ガラガラガッシャーン!!

床に叩きつけられたそれらは飛び散りフローリングは一面、ガラスの破片。悲しいキラキラのじゅうたん。

食器棚の奥に置かれていた冷蔵庫が20センチほど動いていた。地震の大きさを物語っている。
 
それを見た途端ハッとした。年老いた親は大丈夫だろうか?慌てて電話をする。つ、繋がらない。何度かけ直してもツーツーツーと思いやりのない冷たい音がするだけ。

胃と胸がキューっとしめつけられた。
でも親のいるマンションは立派な鉄筋コンクリートだから私の住まいより大丈夫なはずと自分にいいきかせる。
 
物が散乱した部屋を見回し、これをとにかく片付けなきくては……と腰を上げた。

いや、いや、また揺れが来たら大変だ。まず先に残ったグラスや食器を全て食器棚から降ろそう。仮に割れても飛び散らかさないようにいくつもの紙袋に食器や余ったコップなどを入れた。

次に割れたグラスや食器たちの粉々になった破片をかたす。
 
ホウキでローリングに散らばっているガラスを履きチリトリに取る……を何度も繰り返す。それをゴミ袋を何重かにして入れる。濡らした雑巾でホウキで取りきれない粉々の細かい粒のガラスを拭き取った。何度もその作業を繰り返してフローリングを拭いた。最後に掃除機で床全体を吸い取る。

食器棚から遠く離れている所にもガラスの破片があった。落下してぶつかったモノは何処に飛んでくるかわからない。

ものが落ちてくる恐怖を痛感した……。

履いていたスリッパをガムテープでペタペタした。着ていた服を脱ぎベランダで叩いた。食器棚の前には椅子と椅子の上に毛布を広げて置いた。また地震があって倒れて食器棚の窓ガラスが割れたとしても、それが散らばらないように……。
 
シーンとしていた部屋にいきなり音がなる。
映らなかったテレビがいきなりついたのだ。
テレビ画面に目を見張った。
え?まさか、そんな!こんなことになってるなんて!!
余りの被害の大きさに胸がドキドキし胃はシクシクした。わたしはどうしたらいいの?一体なにをすればいいの?

この先どうなるか分からない。余震もある、予断を許さない状態だ。
何度こころみても親や友逹に電話しても繋がらない。指が震えてしまいメールを何度も打ち直す。
しつこいくらい送信を繰り返す。でも返信はなかった。

この先、また大きな揺れがきたら……。
わたしは恐怖でオロオロしながらも地震避難用のグッズを用意した。懐中電灯、タオル、ペットボトル、生理用品、メガネ、コンタクト、厚手の靴下、非常食になんかないか?ダメだ、カップ麺しかない。チョコとかカンパンが必要だった。
貯金通帳って持っていくものだろうか?印鑑は?しかし、これをセットで持って避難するってどうなのか?わからない。
とりあえずパスポートと免許証を入れた。
ラジオ、あぁ、ラジオが無い。今さら後悔しても仕方がない。カッパもない。使い捨てでもいいから買っとけば良かった。傘なんて逃げるときには邪魔だし何時雨が降るかも分からない。歩くときに手がふさがっているのは良くない。

なんて自分は無頓着で脳天気だったのか、
危機管理がなってない自分の愚かさを呪った。

ーー心細く不安でいっぱいの中、夜を迎え、そして朝を迎えた。
 
親とやっと電話が通じ、友逹の声を聞いた時には涙があふれた。

人の声がこんなにも有り難いと思ったことはない。


人の声がこんなに安心感を与えてくれるものとは思わなかった。
急に力が抜けしばらくその場でしゃがみこむ。

家族や相手の無事が確認できたことに安堵したというだけではない。
 
自分がいかに人を求めていたか、人を必要としていたかが改めて分かったからだ。
 
こんなに自分が脆いとは思わなかった。
人が恋しくて恋しくて仕方がなかったのだ。
 
「独り」という不安感と戦うことは想像以上に恐ろしいものだということを思い知らされた。
 
震災に対しては誰もが無力だ。食い止めることは出来ない。
しかし、誰かがいる、誰かが居てくれる、それが支えとなり生きる力や勇気となる。

人は人を必要としている。
人を助けられるのは、人を救えるのは、人でしかない。

 
震災後、被災地の状況や様子が連日映し出されていた。
避難所で生活している被災者の方に
「いろいろと御不便で大変だと思います。今一番欲しいものは何ですか?」と聞く記者への答えを私は一生忘れることができない。
そして忘れてはならないと思う。

「……え?いま?一番欲しいもの?……愛です」

人は決して一人では生きられない。
そう、人が生きるために必要なものは”愛”なのだ。


愛は人を救う。
わたしは人のためになりたい。誰かのためになりたい。

そしてここから
わたしのプロライターへの道への第一歩がはじまる。

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神崎桃子|顔を売らずに文章を売る女
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