短所が生きることもある。私を変えた先生の一言
私はかなりのひと見知りだ。
人の目を見て話せないし、
すぐに赤面するし、
仕事で外部の方との打合せはもうグッタリ。
子どもの頃、あまり集団に馴染んで自分を発揮できなかった私。
できたらどっかに引きこもっていたかった。
しかし、厳しい両親はそれを許してはくれなかった。
いろんなお習い事をハシゴする日々。
嫌でも人前に引き出される中、
臆病な自分を隠す術が「笑顔」だった。
***
高校生の時、ちょっとしんどい時期があった。
今では思い出せないぐらい、下らないことだろうが、思春期のそれである。
その時私は、相当不機嫌な顔をしていたようだ。
突然、担任の先生から職員室に呼び出された。
学校でも指折りの古株で、かつ厳しい先生だったので、ビビった。
恐る恐る職員室に行ってみたら、先生はいつになく優しい表情で「何か悩みでもあるのか?」と。
私の話を聞いてくださったのだ。
そして話の終わりに先生は、私にこう言った。
「お前はいつでも笑顔でいてろ」と。
***
意味が分からなかった。
私だってしんどい時がある。
毎日ヘラヘラしているからバカにされたのか。
ところが続けて先生は、
お前のおかげでクラスが明るくなる。
俺も長く教師をしてるが、お前の笑顔にいつも救われるんだ、と言ってくださったのだ。
これまでの笑顔は、人と向き合うための仮面だった。
本当は笑ってはいなかった。
笑顔でいたら、嫌われない。
笑顔でいたら、親も周りも安心するし、
必要以上に干渉されない。
笑顔の裏で舌を出してる自分もいたように思う。
でも先生の言葉に、私は生まれて初めて、自分の笑顔に価値があることを知る。
それからは、心から笑えるようになった。
***
今でもひと見知りは無くならない。
照れ隠しで笑顔になっている部分はあるけれど、もう作り笑いではない。
しんどくても忙しくても人には笑顔で向き合える。
職場の上司に、仲間に。
オフィスの警備や清掃の皆さんに。
仕事で関わる方々に。
そしてご近所さんたちに。
笑顔で心を込めて挨拶すると、だいたい笑顔が返ってくる。まるで鏡のように。
いつしか周りに自然と、人が集まってくれるようになってきた。
そして、仕事に必要ないろんな情報も。
頼まれごとも付いてくるから“貧乏暇なし”だ。
こっちから行くのが苦手なので、すごく助かる。
おかげで仕事も上手くいくし、困れば助けてもらえる。何だか生きやすくもなった。
良い循環が生まれているのだと思う。
***
悩みごと無さそうだねー
そう言われることもあるけれど、
んな訳あるかい。
私は煩悩とコンプレックスのカタマリだ。
泣きたくもなるしカチンともくる
何なら体調不良が日常だ。
それでも私は先生の教えを守ろうと思う。
***
暗いニュースが多い今、世の中何だかイライラしている気がする。
誰かを怒鳴りつけたり、些細なことですぐキレたり。
私には、すごいパワーの浪費に思うが、この人も何かに追われているのかと、見ていて不憫に思うこともある。
こうして誰かにぶつけたストレスは、次へ次へと連鎖して、やがて自分に戻ってくるのだ。
私は、そんなギスギスした空気が大の苦手だ。
誰かが怒鳴られている姿を見るだけで、自分まで心が痛む。
***
私は誰かに生かされている。
誰かが作ってくれたから、誰かが運んで並べて売ってくれたから、私はその商品を手にすることができる。お金はそれに対するただの対価だ。お金を食べては生きられない。
そう思えば、コンビニのバイトさんにも自然と感謝の気持ちが湧いてくる。
そう思える方が、きっと自分も幸せなのだ。
ちっぽけな私にできることなど大してないが、せめて自分の周りから笑顔が増えていったら良いなと思う。
もちろん、見返りなどは求めない。
自分の価値観を押し付けたりもしない。
みんなが私に笑顔である必要はない。
ただ少しでも、明るい気持ちの連鎖ができたなら、これも多少の社会貢献?
私に関わる人は、幸せでいて欲しい。
それが私の幸せだから。
臆病な自分を隠そうと身につけた笑顔が、今では役に立っている。
短所も捨てたもんじゃない。
数年前に「年賀状は終わりにします」と届いて以来、その先生とは連絡が取れない。もうだいぶ、ご高齢だしな。先生、元気かな。