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頭痛さえも許可が必要だった

黄砂が飛来した、と言われる今日。
なんだか調子は良くない気がしていたが、まあいっかと働いていた。

「そろそろ頭痛いって思ってもいいのかな」
とお昼過ぎに自然と思ったのだが、よく考えたらおかしな話で
なんで自分が頭痛いのに、誰かの許可が必要なんだ?
「頭痛い」のレベル感は誰かに決めてもらうものなのか?
自分が頭痛いのは「頭痛い」以上でも以下でもないのに、なんで
「頭痛いって思っていいか?」と思ったのか。

他にも同じことはある。
ー私がこんなこと言っていいの?
ー私が「これやりたい」て言ってもいいの?
ー私がこれ買ってもいいの?

「私なんかが」レベルが上の物やヒトに近づいたりしていいのか。
誰にも制限も禁じられてもないのに。

ポッドキャストの「となりの雑談」を聞いて気付いた。
私は常に誰かの許可を求めていた。
誰にも許可はもらえないのに。

気付けて良かった。
土グループの話は本当に本当に
無意識で考えていたことを言葉にしてくれて
赤べこのように頷き続けて
違う道を選ぼうと思えた。
本当にとなりの雑談に救われている。

「あなたのやりたい、て気持ちはあなただけのものだから、やりたいって言っていいんだよ」

前そう言ってくれたマネジャーがいた。

「幸せになるのには別に誰の許可もいらない」

頭痛なら尚更だ!

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