僕らの国の民主主義
~ 民主主義ってなんだ? ~
皆さんこんにちは。10月になりましたね。今月のカラフルデモクラシーは10月に入ってすぐに開催しました!今回のテーマは民主主義についてです。団体の名前にデモクラシーと掲げておきながらこのテーマをきちんと扱っていなかったんです。失念しておりました・・・・。
今回もみんなの発言の文字起こしで記事を作ってみたいと思います。皆自由奔放な発言をしてくれるのでとても面白いです。
おるっくす 今日は質問をしていく形でやっていきたいと思います。一問目はこちらです。「みんなで話して決めることのメリットはありますか?」。民主主義っていうのは、誰か一人の独裁者に任せるんじゃなくてみんなで話して決めましょうっていうことじゃないですか。そうすることのメリットやデメリットについて思うことを教えてください?国の事とかじゃなくても、日常の生活の中でもみんなで話して決めることってあるじゃないですか。
ゆの メリットとしては多くの人の意見を取り入れることで、最初にはなかった意見が出てきてより良い案が出来上がっていくっていうのがあるかな。デメリットとしてはなかなか決まらない。スピード感はないよね。
おるっくす たしかにね。危機管理とかはもしかしたら独裁国家のほうがうまくいくかもしれないよね。
うちょこ デメリットだけど、(議決の結果が)半数半数位で片方が少しだけ多かった場合に、不満を持つ人がかなり多くなっちゃうよね。発言をしない人がいる場合に何人かが同じことを言ったらもうそれで決まっちゃうとか。メリットはさっき出たことが大きいかな。
おるっくす 三人寄れば文殊の知恵っていうことわざがあるじゃん。あれは結構数学的に分析しても正しいらしくて、ある一人の知識のある人が意思決定をするよりも、そんなに知識のない人の意見をたくさん集めて決定を行うと正確な答えが出る可能性が高くなるっていう研究もあるんだって。民主主義でもうまく議論が尽くされれた場合には、三人寄れば文殊の知恵的な感じで、いい意思決定ができるっていうことはあるかもね。
では次の質問。「最大多数の幸福を求めるのがいいのか?」民主主義では結局最後は多数決で決めることになると思うんだけど、これがある一部の人にとってはすごく不幸な結果になってしまうこともあると思うんだよね。それでも多数決で最大多数の幸福を求めるのがいいのかな。
もやし Yes.それ以外にいい方法を思いつかない。
ゆの 私もYesかな。万人が納得する決定ってないと思う。
もやし でも対立する意見と、それと他に第三の中間ぐらいの意見があったらそれをとるっていう方法もあるよね。国とか大きな規模でやるのはなかなか難しいと思うけど。
おるっくす それができたら一番いいと僕は思うけどね。賛成はしなくてもお互いの意見について理解して納得はするぐらいのところまでは議論してほしいな。
うちょこ 最善といえば最善かもしれないけど、社会的弱者とか少数派の人の意見とかは取り入れずらいかな。必ずしもいいとはいきれない。
もやし そういう意見とかも念頭においてちゃんと考えた人が意思決定をすればいいと思う。多数決は公平だと思うな。
おるっくす それでは次の質問。民主主義っていうのは「国民が統治者であり、被統治者である」っていうものだと思うんだよね。僕たちも18歳になったら選挙権を持って国の政治に関与できるよね。僕たちの力で社会に影響を与えられると思う?
ゆの 自分ひとりだったら無理かもしれないけど、「自分たち」になればできるかな。つまり一人じゃ無理だけど、複数人になれば影響を与えられるかもしれないと思う。
おるっくす 関連すると思うので次の質問もしちゃうね。「社会問題に対して自分たちには責任があると思いますか?」
ゆの 責任はあると思う。
おるっくす 民主主義について考えた時に、やっぱり自分たちは統治される対象でもあるんだけど、統治する側でもあるんだよね。だから、自分たちの選んだ政治家たちがやってることに対しての責任が一定程度有権者である国民にもあるのかなって僕は思うんだよね。
もやし 日常の中で民主主義っていうものを自分事として感じることがあんまりないよね。だから責任があるとかないとかっていうのもあんまり考えたことがないな。
ゆの 民主主義国家の中で生きているけどね。
おるっくす 国の政治体制が民主主義体制じゃなくなりそうになったらみんなどうする?反対する?
うちょこ 独裁国家になりそうだったら反対する。
ともとも 反対したほうがいんだろうけど、今の選挙でも一票投票してもなにかが変わる気はあんまりしないんだよね。反対してどうなんだろって思っちゃうかも。
おるっくす そうだね。今の日本では自分が反対しても、意思表示しても何も変わらないって思ってる人がすごく多いんだよね。前回の参議院選挙の投票率48.80%だからね。半分以上の人が投票に行ってない。この状態は民主主義が成り立ってるっていえるのかな。
うちょこ 成り立ってるともいえると思う。投票しないっていうのも一つの意思表示じゃない?投票しない自由もあるんじゃないかな?
おるっくす 投票しない自由か。それって存在するかな?
うちょこ 無関心な人ってさ、結局決まったことにも無関心だと思うんだよね。自分にとって関係ないことだと思ってるんだろうから。
おるっくす そうだよね。国規模の政治だと自分たちにはあんまり関係の内容に思える政策も多いもんね。でも自分たちにぐっと寄せて考えてみるとどうだろう。
今、ここにいるメンバーが一つの共同体だったとして、僕がうちょこに暴力をふるってたとする。そこでこの暴力はいいのか悪いのかっていう投票をするとする。例えば、ともともは「おるっくすのやってることは正しい」といって投票する。でも、ゆのともやしは全然無関心で「知らん」っていって投票をしない。うちょこは僕から暴力を与えられ続ける。たとえが変でごめんね。
この場合、うちょこが殴られて傷ついてることに対してゆのやもやしには責任がないと思う?
もやし 本当に友達であるうちょこが殴られてたら責任を感じるかもしれないけど、頭で考えると、持っている権利を使わなかった結果起こったことに対して責任があるとは思わないかな。
おるっくす そうかー。僕は持っている権利を使わなかったことによって起きた結果に対しても責任があると思うな。できることをしなかったわけだから。
もやし 責任っていう言葉があんまりよくないよね。責任ていってもどういう意味での責任を意味しているのかがあんましわかんない。法的な責任なのか道義的な責任なのか。
おるっくす そうだね。僕が言いたいのは道義的責任のほうかな。いじめを無視してるのはいじめてるのと同じっていうじゃん。知っていて自分がその出来事に対してやれることがあるのにやらないのは、責任の放棄になるんじゃないかな。
ゆの 私が学校でいう先生みたいな存在だったら止める責任があるかもしれないけど、うちょこともおるっくすとも対等な立場だったら止める責任はないと思う。
おるっくす 先生みたいな立場の人っていうのは、その集合体が国や市だったら、総理や市長や議員とか、統治する立場にいる人間ってことになるのかな?民主主義の国ではもちろん具体的に統治をしているのはこういった人たちだけど、でもこの人たちを選んだ最大の権力者は僕たち国民なんだよね。そうすると国民にも責任があるんじゃない?
ゆの 委託されたその人たちの責任じゃないの?
おるっくす そうか~?(笑)委託したのは自分なんだからその行為の結果には責任があると思うけどな。
もやし 国規模になっちゃうと国民に責任があるっていえない気がするな。おるっくすの話だと、ある人が実行した政策が失敗だったとして、自分がその人に投票していなかったとしてもその失敗に対して責任があるっていうことになるでしょ?それはないと思う。
おるっくす まあ、わかんなくないんだけど、僕の考えをいうと、民主主義国家においては、その国の行いに対して国民も主権者として一定程度の責任を負うと思うんだよね。例えば王政の国だったら国を治める権利を持っているのは王様だから、国が失敗したときの責任は王様だけにあるかもしれない。でも民主主義の国では国を治める権利を持っているのは国民なわけだ。だから自分がその政策を実行した人を選んでなくても選んでいても、共同体の一員としての責任が一定程度あるんじゃないかな?
もちろん、実行した人に大きな責任があるのは確かだけどね。
もやし えー、そうかな。例えば学校とかで何か決めるとして、みんなの意見に対して、その意見を採用すると失敗すると思っていて反対するんだけど、みんなは大丈夫大丈夫っていって進めちゃった結果失敗した場合、その失敗の責任が反対した人にもあるっていうことでしょ?あるかなぁ。
おるっくす もちろん賛成して進めた人には大きな責任があるけど、でもみんなそれぞれその共同体の一員なわけで、反対してたとしても結果には責任を負うと思うな。
じゃあ、反対意見を言わなかったら責任があると思う?それは間違ってると思うなって思っていたのに、言わなくて、結局失敗した場合にその結果に対する責任を負うと思う?
もやし んー、責任はないかな。というか、かっちりした責任はないと思う。感じるものはあると思うけど。だからそこは責任というものをどうとらえるかじゃない?
おるっくす そうだね。責任って法律上のとか、そういうのもあるけど、結構抽象的な概念だもんね。
もやし 自分が属する共同体が何かをやって失敗して困ってる人がいるとしても、その人たちが自分にとって近しい人たちじゃなかったらあんまり責任感じないと思う。
おるっくす なるほどね。僕ももやしみたいに考える人がいるんだなっていうのは理解できる。僕の意見ともやしの意見の大きな違いは、誰を、どこまでを仲間と感じるかっていう所かな。
つまり僕の考え方では同じ共同体に属しているから、自分が主張していたのと違う結果になったんだとしても、それが失敗だったら、共同体の一員である以上仲間の決断に対しても責任を負うよね、と。
でも、もやしの考え方ではそれぞれ別個の人間だから、自分が反対していたとしたら、失敗の結果には責任を負わないと。だから、自分がその国の国民として共同体の一員であって、みな仲間であるっていう認識をするかどうかの違いっていうことかな。
もやし うんうん。そうだと思う。だから、どこまで自分が責任を持とうとするかで変わると思う。
例えば家族しか自分の仲間じゃないって思ってる人もいれば、日本国民全員自分の仲間だって考える人もいる。どこまで責任を負うかはその認識によって変わってくるんじゃない?
ともともはどう思う?
おるっくす ごめん。もりあがっちゃった(笑)・・・。
ともとも うーん。どっちの意見もなるほどって思う。でも、自分が反対したことに対しても、共同体の一員としての責任があるって言われたら、ああ、そうだなとも思うけど、そこまで責任持ちたくないなっておもっちゃった。そこまで持つ必要があるのかなって思った。
おるっくす じゃあ、責任があるのかないのかっていう話は置いておいて、自分が投票するかどうかについてはどう思う?自分も投票しないっていう選択をすることがあると思う?
単純な話さ、せっかく権利を持ってるのに使わないっていうのは、すごい損なことなんじゃないかなっていう気がするんだよね。
もやし 投票する手間とめんどくささに対して、自分の投票の影響力が小さいっていう認識があるから行かないんじゃないかな。そもそも関心がないっていうこともあると思うけど。
おるっくす ま、そうだよね。確かに自分が一票入れたところで何も変わらんかもしれないけど、でもすこーし手間かけて、一人友達に声かけて一緒に投票にいって、っていうようなことをみんなが少しづつやったら、それが連なって大きな動きになって世の中変わるかもしれないじゃん。
それをしなくて、世の中が全く自分が望まない方向に向かってっちゃったとしたら、すごい損じゃない?
うちょこ 世の中の残りの半分の人が行動したら確実に世の中に動きが出てくるよね。それに、より多くの人が動いたほうが世の中に存在する意見が政治の場にしっかりと反映されるよね。だから投票には行ったほうがいいと思うな。
ゆの 私も投票には行くな。受験とかで猛烈に忙しかったらいかないかもしれないけど。(あとで、あーでもいくかなってつぶやいてました。)
毎回どんなふうに話をしていったらいいんだろうということが悩みの種なのですが、前回よりは今回、今回よりは次回がよくなるようにと思って進めているつもりです。
今回も、質問のたて方がよかったかわかりませんが、少なくとも前回より盛り上がりました。少しづつ少しづつ、知識と経験を積み上げて、社会の事を楽しく考えられる場づくりを頑張ってまいります!
今回のテーマにはいろいろ思うこともあったし、みんなで話をして気づいたこともありました。その内容はまた別の記事で書けたらなと思いますので、ぜひ読んでください!
文責 colorful democarcy 松浦 薫
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