括らずほどいて
今日もダメだった。
所詮アルバイトそれでもお仕事はお仕事。
気圧が下がると気持ちも沈む。
メンタルのお医者さんに言うと「みんなそうです」と言われて私個人を見て貰えてない感覚になった。
「みんなそうである」
このような括りが嫌い。
一人ひとり苦しさ悲しさ窮屈さ悲しさは違う。
みんな違う個体だからみんな違う感性であるから違う。
なのになぜか一括りにする人達が少なからずいるのが私は嫌い。
みんなが苦しかったら我慢する理由になるのか。
みんなが楽しかったらいじめでも表に問題として出てこないのか。
みんなが○○だからあなたも○○でしょう?の押し売りは遠慮したい。欲しくもない。ネガティブを集めてポジティブに変えようとするのはやめてほしい。
私は障害者雇用のアルバイトをさせてもらっている。
出勤すればお客さんの問い合わせや探し物のお手伝い、商品を綺麗に並べるなど色々とすることがあり全力で取り組もうと決めている。
ただ今日は全力が出せない日であった。低気圧がきて気分が沈みこれだと行っても100%で取り組めないと感じた。
私の務めているお店では声を出すことがあるが、あまりみんな出さない。そんな中鳴き声なのか?と自分でも思うほど声は出す。お客さんがお店に寄ってくれて一緒に商品を見る。同じものを見て違う感じ方をしてくれている空間になる。その空間でお客さんの耳がキーンとならない距離で声を出す。
これが私の強みでありお店の活気つける為にするお店で働かせてもらっている恩返しだと思っている。
誰もが声を出すことを得意としていないことは承知している。お店では得意では無いと思われる人が多い。だからこそ私が居る。私が声を出す。
だから個性それぞれ得意なことそれぞれでいい。
お店でみんな声出してないからあなたも静かな雰囲気を壊すような声出しをするのは嫌でしょう?という空気は私が声を出してぶち破っていく。
働く人それぞれ違う感性で生きていければ嬉しい。
おわり。
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