背骨はなにでできている
背骨は、とくべつな骨だ。
それが正しく組みあわさっていないと立つのも歩くのも難しい。歪むと姿勢が悪くなるうえ、体全体が痛むことさえある。
しばらく前、双子の娘たちが立て続けに高熱を出した。インフルエンザやコロナ、マイコプラズマ肺炎など、いろいろな検査をしても陰性と出た。
熱が40度近くまで上がったとき、次女が潤んだ目で言った(彼女は熱を出すと涙っぽくなる)。
「背中、さすさすして」
さすさすとは、わたしと娘たちがよくつかう言葉で、背中を優しくさする行為を指す。元気づけたいときには同じ箇所をごく軽く叩くことがあって、それは「たんたんする」と呼んでいる。
「いいよー、いっぱいさすさすしたろー。お熱、はよ下がるといいねえ」
次女の体の薄さを確かめるようにわたしが背中をさすると、彼女は頼りない口調で言う。
「背中からパワー入れといてぇ……、背中の骨ってなんていうの……?」
背骨やで、とわたしが答えるよりも前に、彼女はすうっと眠ってしまった。そして、翌日には熱が下がった。「この発熱続きはなんの病気やったんやろねえ」と、今もわたしたちは首を傾げている。
次女の問いかけで、ふとわたしは山田詠美さんの『ジェシーの背骨』を思い出した。背骨といえば、の小説だ。
魅力的な女性ココは、シングルファザーのリックと暮らしている。彼にはジェシーという11歳の息子がいるが、ココとはなかなかわかりあえない。しかし、衝突や少年の成長とともに少しずつお互いの存在を認めあっていく。そして、チャーミングなラストへ。好きな作品だ。
作中、多感なジェシーが隠し持つ心の傷をココがはっきりと悟るシーンがある。憎みあうリックと前妻とのあいだにいるジェシーの背骨は、母親(前妻)への報われない愛でできていると思い至るのだ。
この作品を思い出して、「娘たちの背骨はなにでできていくのかなあ」と考えた。穏やかな愛情だったらいいな、と。
体の中心にある、その人を支える大事な骨。生きていくことを支える大切な価値観。わたしはそんな背骨をつくるお手伝いがしたい。
大したことはできないけれど、日々彼女たちの様子を気にかけ、話すことはできる。そうやって重ねた月日が、いつかほんの少しだけ彼女たちの力になってくれればいいと思う。
もっと大きくなったら、娘たちは背中をさすさすしてほしいなんて言わなくなるだろうし、母親よりも別の人間を頼るようにだってなるかもしれない。けれど、それまではわたしに寄り添わせてくれると嬉しい。子育ては期間限定、今をぎゅっと抱きしめたい。
さて、熱が下がってからの彼女たちはすっかり元気で、毎日学校に通っている。
今朝、二人を送りだすついでに「背中、さすさすしたげよう!」と言って、次女の背後に手を伸ばしてみた。幼稚園の頃まではかんたんに撫でられた背中は、硬くごついランドセルに阻まれて触れなかった。