ネタになると思える楽さ
袖から湿布薬が覗いていた。
このあいだ、袖にレースがあしらわれたニットを着ていた。肘から先の一部にチュールレースがついていて、肌がちらりと見えるデザインのものだ。
本格的な冬になったら見た目が寒々しくて着られなくなりそうだから、今のうちに着ておこう。そう思ったのに。
チュールレースから湿布薬が丸見えだった。
わたしは最近、慢性的な腕の痛みに悩まされていて、湿布薬を貼ることが多い。整形外科で「使い痛みやろうなあ」と言われて処方されているものだ。
その湿布薬がチュールレースの下で堂々と主張していた。
キメたのに、キマってない。このかっこ悪さ。レースのニットなんか着ちゃったのに、見せたくないものが見えている、このどこまでも冴えない雰囲気。
帰宅してやっと気づいて、とても恥ずかしくなった。わたしったら、この状態でカフェに行って、コートを脱いで澄ました顔で過ごしていたのだ。かっこ悪すぎるでしょうよ。
しかし、その一方でネタになるからいいか、とも思った。大阪人だからというのも一つの理由だろうけれど、今のわたしは日常を題材にして書く場を持っているからだ。
昔、東京に住んでいた頃、洋服に値札をつけたまま出勤してしまったことがある。悪いことに季節は初夏。うなじの下からタグをぷらんぷらんと下げ、混雑した東京メトロに乗って通勤したらしい。
「へえ、クードシャンスってまあまあのお値段するんだねえ」
同僚にそう言われてようやく事態に気づいたわたしは、顔から火の出る思いをした。ほんとうに、燃えそう。そして、しばらく思い出し笑いならぬ思い出し恥じをして、自宅で身悶えする日々が続いた。
人さまからすれば大したことではないだろうことが、本人にとってはおおごとである場合は少なくない。特に恥ずかしさのつらさは、自分にしかわからない。
でも、まあいいかと思えるようになって、楽になった。恥ずかしさやつらさを昇華できる場がある。これはちょっと幸せなことだと思っている。