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なぜ小説を読むのか/なぜ小説を書くのか

 今回は枕なしでいきなり話を進める。人はなんで小説を読んで、小説を書くんだろう。世の中には答えのないことは数多くあるのでこんな問いそのものが成り立たないのかもしれないけれど、自分が小説を本格的に書きはじめた頃、哲学が好きな友人から「なんでみんなそんなに小説を読むのかわからない」とポロっと言われたことがあって、それ以来なんとなくその言葉が頭に残ってしまい、たまに考えるようになった(人がポロっと言ったことを流せないのが自分の悪いところ)。

 「小説を読むのが楽しいから」は答えにはならないだろう。恐らく友人は「なぜ小説を楽しいと思ってるんだろう」と言いたかったわけだから、その問いに「楽しいから」と言っても答えになってない。
 何事にも意味があると思うのは神経症の兆候だと思うし、何事にも意味はないと思う人はうつ病かもしれない。素人判断だけどそのように感じてしまう。なので、これから自分がする話は「ほどほどに考えた」という程度のことだと思ってほしい。

 ここで重要なのは、「なぜ読むのか」という問いを「読んだきっかけはなんなのか」と解釈するか、「なぜ継続して読み続けているのか」と解釈するかだ。今回は、後者についての考えで、前者については「現実逃避」に決まっている。
 その現実逃避で読みはじめた世界になぜハマるのか。それは「知りたいこと」があるからだと思う。これを上手く説明するのは難しいのだが、以前、社民党が死刑囚に行ったアンケートを読んだことがあって、その中に「なんでもいいから生きているものが見たい。植物や蝶とか」という回答があった。小説を読み続けている人は、一般的な十代が部活や友達関係から摂取するような「なにか」を欲しがっているんじゃないかと思う。
 ただ、この「なにかを知りたい」というのも人によってさまざまで、「どうして学生さんは伊豆に一人旅に行ったんだろう」ということが気になる人もいれば、「どうしてこの音楽家は殺人なんてしたんだろう」というのが気になる人もいる。「なにかを知る快感」というものを人間は持っているのだろう。変な喩えだけど、油田掘りをしている人も一獲千金を狙うというのがはじめた動機であっても、続けている理由は「掘ったらなにか出てくるんじゃないか」という期待と失望の起伏に魅了されてるからじゃないだろうか。

 では、なぜ書くのか。これは「知りたい」と対の関係である「伝えたい」があるんだろう。「自分の中のもやもやを昇華して形にして共有したい」という動機をマスターベーションと思う人もいるかもしれないけれど、アルコール依存症の人やDV被害者は自分の体験を語ることでようやく自分の体験を客観視することができたりすると聞く。
 そしてもちろん、ただ起こったことを語るだけでは聞いていられないから、そこになにかしらの「面白い筋書き」を作るんじゃないだろうか。

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