見出し画像

続:「私の一ヶ月」@新国立劇場をみたけれど。

ほかにも書きたいポジティブな話題を準備していたのですが、いますこし、このタイミングで公表しておきたいことがあるので、こちらの話題について追記させていただきます。

脚本を書かれた須貝英さんの所属する演劇サークルMo’xtra にも
直接連絡フォームがあったので、すこし私の背景的な情報と考えを詳しめに書いた以下のメールを11月10日早朝にお送りしました。須貝英さんに伝えてほしいことが希望だったので、返答を特に期待してはおりませんが、今のところご返答はありません。

もしこの物語の制作背景に「搾取」を描きたいという気持ちがあったのだとして、私が指摘したいのは、今の日本の社会において「格差」が生じているのは確かだけれども、優位のものが直接下位のものから搾取しているのではなく、社会の仕組みを決めている 権力者が 搾取の構造をつくっているから、そうなるのであり、演劇界の不遇の原因を、安定した境遇にある大学図書館職員のせいにするのは、絶対に間違っているということです。

***

新国立劇場で、「私の一ヶ月」を観ました。

あくまでもひとりのちっぽけな頭が作り上げた「フィクション」の「作品」として位置づけて、小さく解釈すれば、あまり問題はないのかもしれませんが、大学図書館の学生アルバイトに対して職員が「時給の発生する休憩と思ってください」と告げるような、導入部の台詞は衝撃的なほど現実の大学図書館の状況ではないですし、苦笑するしかありませんでした。

解説冊子で脚本家の須貝英は「当初図書館は書店の設定だったのですが、ただ行き過ぎるだけでなく停滞している場所もあったほうがいいと考えて閉架書庫という場を選びました。」と語っています。そうですか、須貝さんには、閉架書庫って、そういうイメージなんですね。でも「停滞」ではないんですよ。利用されるために取り出す瞬間まで、資料を保存維持して使えるようにスタンバイさせておくのは。それがもし、「停滞」にしか見えないのだとしたら、記録文化というものに対する継承のしくみについて浅薄な判断ですよね。なんで閉架になってるか設備の目的を全然理解していらっしゃらない。

お芝居としてはそれなりに飽きない構成だったけれど、間違った広報みたいに図書館のことが伝わっちゃうと、一生懸命温かく熱意をもって働いている同僚や同業者の人たちがたくさんいるのに困っちゃうな、と思いました。中途採用で、司書資格しか持ってない人が正職員になれるほど甘い業界ではないです。普通にとれる司書「資格」くらい持ってるだけの人なら沢山いるから、みんな苦労してるんでしょう。私だって、最初から司書になろうと思っていたわけじゃないけれど、慶應の図書館・情報学を専攻して卒業した時点で司書資格ももらっていたけれど、続けて修士課程で48単位とっています。(修士論文を書くための最低条件の1.5倍増量)
資格とは別に、正規の職員になるには、国家公務員試験Ⅱ種を受けて合格する必要があり、この倍率は例年20~30倍です。(現在は独立行政法人としての地域ごとの採用試験です)
私の場合は、学生時代に、中学受験の小学生をかれこれ10人くらい面倒見ていたのと、サークルの一つがクイズ研究会だったから一般教養問題も雑学としてたまたま、慣れていました。だから、公務員の模擬試験(図書館に特化したのはないので、行政職の)を試しても、上位20分の1に入る実力が自然についていて、「ま、受かるかもな」って本試験を受けて、合格できた。たぶん、まともに受験対策をした人はもっともっと努力や我慢をしています。
それでも就職後、時間をつくって継続的に学芸員や古文書、IT関連など、類縁他分野の勉強はしています。職場ではほとんど他のひとには、そんな話はわざわざしません。私の着任したのは30年近く前の話だけど、今の世の中では、それぐらいはやっておかなきゃ、アルバイトを雇う側の、フルタイムのポストは維持できないし、周囲のレベルについていけないでしょう。少なくとも熱意はそれくらいある人しか常勤にはなれないと思います。

ちなみにもう一つ私が入っていたサークルはストーリー漫画研究会です。プロの漫画家になった同期の友達もいます。高校時代からの友達は早稲田の演劇専攻を卒業して、脚本や児童向けの小説を書いて商業的に20冊くらい出版しています。だから創作系の人たちの「作品」の制作背景や動機ってなんとなく見当はついているような気もします。

さて。お芝居としてはたぶん、ほかに良いところもあったし、本の流通に対する問題意識、人間どうしの交流過程、「司書ってもっと評価されていい職業だと思ったんだ」という台詞もあったんだけど、設定がこれではいろいろ失敗していると思いました。もし、代わりに、人間嫌いの研究者と秘書とか、高校教諭とかなら、もう少し、その「仕事はしなくても大丈夫です」とか、簡単に就職できるような現況に重なるんだろうか。しかし、何の仕事であっても、これは働いている人に失礼な、軽率な描写ですよね。この脚本家はちゃんと働いた経験がないんじゃないだろうか、とさえ思いました。

劇場のスタッフの方にも口頭でフィードバックとしてお伝えしましたが、私としては残念で悲しい感想が残ってしまい、困っています。

私も忙しいので、コメントはこれくらいになりますが、どうなんでしょうね、芸術作品というのは、本質的には作り手の意図した特定の個人を「救おう」とか思って創るものではなく、他の人に伝えるための描写や表現の技術を磨き、洗練することが主旨で(だから広義には、アートなのかな?)、その使用目的(影響力)は受け手側の後づけとか副次的なものなのではないかと私は思います。自分で表現をせずに買う人たちは、多かれ少なかれ、優れた作品を選択することで、それが自分の表現になっているから、需要があるような。

とにかく、もし多くの人に観せる前提で作品を作っているのだったら、多くの人に観せるだけ、間違うと困る世界のあることも想像してほしく、今日の一観客として思いました。事実からかけ離れた歪んだ表現は大迷惑だし、社会的に有害です。

※最初は気を使ってコメントを書いていたんですが、観劇後、私が受けたものを冷静に考え直したら、コロナ禍で停滞して苦境に立たされた演劇界の脚本家が、大学図書館の職員に嫉妬して表現をした可能性もあるのだから、嫌がらせだったのかなという気もしてきました。すみません。私も断定はしませんが思い浮かんだというだけです。解説冊子に「搾取」がどうとか、「モチベーション」がとか、書いてあるのを拝見して、私の頭の中で連想が自然と繋がっただけです。矛先の間違った風刺を気取っている可能性はあるかもしれないですよね。

正直、私はこの脚本家のことなんて知りませんが、巻き込まれて大変疲れてしまいました。毒林檎を食べさせられたから、こんなに悩んで吐き出している(笑)。

出来損ないのお芝居なんて多いので。社会情勢を冷静に捉えれば、コロナ禍で「停滞」したのは、大学図書館の閉架書庫ではなく、演劇界です。

コロナ禍で停滞している演劇界 書庫の利用は前より増えた/広里ふかさ

定評のない若手の作ったお芝居なんて時間の無駄なことがよくわかりました。失望しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?