読書感想文『JR上野駅公園口』
東京で働き始めておよそ2年が経ち、街の歩き方にもだいぶ慣れてきた。
主に仕事で歩き回るのは上野と浅草の辺り、すなわち台東区。初めのうちは毎週のように迷子になっていた上野駅で、今では携帯を開かなくても大体適切な出口を選択できるようになった。浅草では、観光客があまり選ばない喫茶店に何度も訪れていたら、顔を覚えてくれた店員さんにサービスをしてもらった。
「どんな街にも2年経てば慣れる」というのが経験知として得られ、また、毎日歩いているがまだまだ知らないこのエリアについて、興味が出始めたとき、この本の背表紙に目が引っ掛かった。
柳美里さんの『JR上野駅公園口』(河出書房新社、2017)のお話は、2006年の上野恩賜公園行幸啓直前の「特別清掃」(ホームレスの間では「山狩り」と呼ばれている)における、ご自身によるホームレスへの取材が起点となっているそうだ。
2006年の行幸啓、と打ちながら宮内庁のHPを見て知ったのだが、天皇家はかなり頻繁に上野恩賜公園に出向いている。2006年は計10回、月1に近い頻度で展示会や授賞式に足を運んでいる。
つまり、それと同等の頻度で「特別清掃」は行われているのだろう。
余談。1年だけ、山谷の近くに住んだことがあった。色々な場面でホームレスが生きる姿を見た。バスの車内で、大通りや小径で、公園の端で。
年末にある公園を通りかかったとき、彼らが張ったであろう垂れ幕に「一人の野垂れ死にも許さず、生きてやりかえす」と書かれていた。腑抜けた自分よりも遥かに強い生命力に圧倒され、感動した。
閑話休題。著者の柳さんは「特別清掃」の取材以外にも、当時の出稼ぎ事情や舞台である東北の地区の様子、北陸から東北への移民の歴史等、丁寧に取材をされている。
平成の時分に生まれた自分にとって、そうした血の通った文章は、生きていない「当時」を知る術として渇望するモノでもある。
戦後、特にオリンピック前後の東京の空気は、濃密で、どうにも無視できない存在感があるように昔から思う。
高度経済成長期、地方からの出稼ぎ、東京オリンピック、天皇家行幸啓、上野恩賜公園…。明るく希望があるが、どこかおどろおどろしく、生も死も生々しく容易に行き来し、湿度は常に70パーセントといった印象。
「上野周辺のホームレス」という存在は、おそらくその時代の延長線上にある存在なのだろう。そして、彼らは同時に今を生きている。当時より少なくなったとは何度も聞くものの、未だに上野公園には身寄りのないだろう人々を見る。山谷では、上野公園よりも多く。
読む前は「なんだか上野周辺にはホームレスが多い気がする」とぼんやりとしていたが、「上野"恩賜"公園と行幸啓」「東北からの出稼ぎ」といった切り口をもらえた。参考文献もいくつか気になるものがあったので、ぜひ手に取ってみたい。
(せっかくの閏日なのだから、記事を残してみようと思って書き始めたのに、いつの間にか日付を越えてしまいました。)