古典が教えてくれること。 | 「人間失格」太宰治、「星の王子さま」サン・テグジュペリ | 読書記録
人が生きる意味を問いながら、その深みを掘っていくのが人生の醍醐味です。〜(中略)物質的な満足だけで生きているのではないということです。人生の意味によって生きるのです。意味を捉えようとする力を読書によって育むと色々なものの深さがわかるようになってきます。
齋藤 孝さんの数ある読書術に関する著作の中でもとても心に刺さり、読書熱がメラメラと燃え上がってきたのが『読書する人だけがたどり着ける場所』という本。
私たちは、本を読むことで自分の中の言葉にできないモヤモヤとした感情を言語化したり、相手の立場になって考えたり、多面的・多視覚的に考えることができたりと「思考を深める」ことができるようになる。そして、哲学や思想書はもちろん、文学作品を読むことによって社会に共有されている文化=精神文化も掘り起こすことができるのだと。
何だかすごいですよね。そこで、ハッと気づいたのです。本著の中で紹介されている本のほとんどを私は読んだことが無い!「古典」という響きだけで、読みづらそうとか、つまらなさそうという何となくの理由で今まで手をつけなかったんです。何だか、いてもたってもいられずにその足で2冊の名作と言われる小説を手に取りました。それが『人間失格 / 太宰治』『星の王子様 / サン・テグジュペリ』でした。
何というか、表面だけを読むと「病んだ男の一生」というようなキャッチコピーがぴったりの物語。でも、これは作者の人生に関する解説(私が読んだのは奥野健男さん/1972年)と併せて読むことで、この物語が一層重くのしかかってきた。そして、当時の青年達に大きな衝撃と共感を与えたという事実も納得できた。当時の社会への反発や絶望を如実に描いていたこの物語は、戦中・戦後の日本社会に蔓延る言葉にならないモヤモヤを代弁してくれていたのだと思う。そう、私たちは多くの人達が感じていたこの時代の雰囲気を、太宰が人生をかけて紡いだ言葉から知ることができるのだ。やっぱり読書って素晴らしい。
「大人になっても何度も読み返す」という言葉を雑誌などでもよく見かける、本作も読んだことがなかった私。なるほど、納得。私も子どもの頃に読んでいたかった。姪っ子に絵本を買って読んであげよう、そう誓った。人生において、大切にしていたいと思える言葉がたくさん詰まっていた。
「(中略)とてもかんたんなことだ。ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない。」
「人間達はもう時間がなくなりすぎて、ほんとうには、なにも知ることができないよ。」
たいせつなもの、見逃さないようにしなきゃ。時間をかけて、大事にしよう。私は何を探しているんだろう?目先の目に見えるものに気を取られて、一番大切なものを見失わないようにしなければ。
これらの古典作品が多くの人から愛されてきた理由は、作品そのものだけではなく、作者の生き方・考え・境遇が人々の胸を打ったからだろうと思った。2人とも戦争に翻弄され、社会に絶望したり、傷つけたり、傷つけられたりしながら生きてきたその人生そのものにも共感を集めてきたのだ。(そして、二人とも女の人ともとてもドラマチックに付き合ってきたようですね。その共通点にふふっとなった。)
古典は読みづらそうとか、分かりにくそうなんていう偏見は一瞬で消え去った。物語そのものに古さなんてちっとも感じなかった。むしろ、コミュニケーションの方法が今よりもずっとシンプルだったから、その分感情がストレートに伝わって、感情が大きく揺さぶられる。新発見だった。
こういう名作を読むことも大義の「リベラルアーツ」に当たるのだと思う。古典も引き続き色々と読んでいきたいな、と思う。という、新しい読書の世界を開いたご報告。
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