「サンシャインマスカット」を、大好きな父に贈る
今年で80歳になる父は、年末からのこの2カ月で10㎏以上も瘦せた。
「私の2倍も食べていた人なのに、今は私の半分しか食べなくなったわ。」
父が風呂に入っている間を見計らって、心配でたまらない母は、泣き声で私に電話をしてくる。
本人の前では言えないのだろう。
今期の冬の寒さが、父の病状を加速度的に進めたのかもしれない。
2年前から肺を患い、息苦しさから少しずつ食べる量は減っていた。でも、もともと大食漢だったので、「今までが食べすぎだっただけで、食事量が定食屋さんの一人前になったのかな」くらいに私は考えていた。
現役時代、父は80㎏を超える立派な体格だった。その父の体重が、標準体重まで落ちて、手持ちのズボンが全部ごそごそになったとき、ちょっと大変なことかもしれないと私も思い始めた。
さらに年末からの急激な体重の減り方には、さすがにまわりも本人も驚いた。
毎日父は、風呂上がりに体重を測っているようだが、55㎏を切ってからは、体重を誰にも言わなくなった。
秋ごろまでは犬の散歩も、ごみ捨てもできていたのに、今は少し動くと息切れして、しばらくうずくまる。
父はほとんど家から出られず、必要最低限しか動くことができなくなってしまった。
私の実家は、わが家から歩いて20分の、同じ町内にある。私たちこどもが巣立ってから約20年の間、父と母は、夫婦で元気に暮らしていた。
退職してからの父の趣味は「地域ボランティア」
もともと父はボランティア精神が旺盛で、職場の共用スペースなどを進んで掃除するような人だった。
仕事を辞めてからは、せっせと地域のごみ拾いやごみ置き場の掃除、さらには自治会の防犯パトロール活動など、精力的に地域に貢献をしながら、地域のお年寄りと仲よくなっていた。
貯めたお小遣いで電動自転車を買って、地元の町をあちこち探索したり、車で孫たちの習い事の送迎えしたり、とにかく人のために尽くすことが好きな、活発なじいちゃんだった。
私はそんな親に甘えて、助けるどころか自分が50代になる現在まで、親に頼ってばかりいた。
そんなときに、父が病気になった。
実家へ通う週末
平日の私は、医療的ケアの必要な娘の介護で身動きが取れない。だから週末の数時間だけでも、夫に娘を任せて、一人で実家に行くことにした。
親の話を聞くことしかできないが、今、親はそれを一番望んでいるのがよくわかる。
実家へはできるだけ歩いていく。
散歩は、日々の運動不足解消にもなるし、趣味の絵手紙の素材収集もできる。そして、歩いている間は、頭を空っぽにして、すべてから少しだけ無責任でいられる。
実家への往復5000歩は、
「現実逃避できる ひとりの時間」
そう思うと、ちょっと実家に行くのも楽しみになる。
昔から私の実家は、誰もが、玄関ではなく台所の勝手口から中に入る。戸を開けると、両親は古いダイニングテーブルの定位置に座り、付けっぱなしのテレビを眺めていることが多い。
かつて5人家族で過ごした台所で、両親とゆっくりお茶を飲みながら2時間ほどおしゃべりをする。長女である私と両親だけの、3人の時間なんて、今までほとんどなかった。
「両親を独り占めできる時間かな」
年甲斐もなく、そう思ったりもする。
年明けの土曜日の朝も、私は歩いて実家へ向かった。いつものように勝手口から入ると、めずらしく台所が寒くて暗くてがらんとしていた。
「誰か来たんか?」
寝室から父の声がする。
父は寝室で横になっているようだ。
「父さん、調子悪いの?大丈夫なん?」
「おお、ちょっと横になっとっただけや。」
「お母さんは?」
「お母さんは買い物やわ。」
そう言って父はゆっくり起き上がり、台所のいつもの定位置に座った。
私はすぐにストーブを点ける。
「座っているより横になっとるほうが呼吸が楽やで、ベッドで寝転んでたんやわ」
と言いながら、父は慣れた手つきでパルスオキシメーターを指に挿す。
酸素飽和濃度を測ると
「88」
低い。
じっとしていると、90、91・・と94まで数値は上がってきた。
これが最近の父の普通。
ちょっと息苦しいだろう。
娘が人工呼吸器を使い始めたのが、ちょうどこのくらいの数値だったから。
お茶の用意をしていると、母から父に電話が入った。
「おお、そうか。そんなに高いなら、もうええよ。じゃあ、イチゴにしてくれ。」
かすれた声で、父が母に話している。
父はシャインマスカットが食べたくなって、買い物に出かける母に買ってきてほしいと頼んだらしい。
でも、今は1月。
ぶどうは旬の季節ではないから、店頭でもなかなかシャインマスカットは見当たらない。
たとえ売っていたとしても、とても高い。
父はこのところ、ふと思いついたものを食べたがる。
「お前の作った、クルミ入りの田作り、また作ってくれ。正月に食べてうまかったから、また食べたいんや」
と、先日も父から電話で頼まれた。
普段ならありえないような、夜遅い時間帯の電話だった。
そのまま父と少し話していると、酸素投与を導入することを不安に思う、父の気持ちが見え隠れする。
「大丈夫、うちの子も使っているけど、怖いものじゃないよ。酸素を使って呼吸が楽になったら、またお出かけもできるし。上手に使っていけばいいんだからね。」
父はホッとした声で言った。
「ありがとな、ちょっとお前に甘えたかったみたいやわ。」
初めて、父がそんな弱気なことを言った。
田作りを食べたいというのは、電話するための口実だったんだなぁ・・
翌日、スーパーの宅配で材料を頼み、田作りを作った。夜、夫が帰宅すると、子供を任せてすぐに実家へ田作りを届けた。
それが、「今日の私が父にできること」だと思った。
今年もバレンタインの季節が来た。
毎年、バレンタインには、父にもチョコレートを贈っている。
今の父はチョコを食べないだろうと思ったので、何か体にいいものはないかと、ネットでいろいろ探していた。
そんな時にふらっと買い物に入ったスーパーで、ばったりシャインマスカットに遭遇した。
「あ、シャインマスカットがある!」
瞬時に値札を見ると
『2,678円』
「おお、庶民には高いな。」
そう思って一旦通り過ぎた。しかしすぐに引き返す。
しばし、シャインマスカットとにらめっこ。
「よし、父に買うぞ!」
一番大きくてきれいなものを、熟練主婦の目でじっくり吟味して、そっと買い物かごに入れた。ちょっとリッチな気分。
父が喜ぶ顔が浮かび、私も「ふふふ」と、にやける。
お店を出てすぐに、車で実家へ向かった。
勝手口を開けて真っ先に、鼻にチューブをつけている父の顔が目に飛び込む。
一昨日から、酸素投与を始めていたらしい。
見た感じは痛々しいが、顔色はいつもよりずっといい。
「あらら、父さん、やっとるやん!どう?酸素は楽なん?」
「おお、おお、楽やわ。今のところ、いい感じや。」
これも、生きることへの前向きな一歩だと思った。
「父さん、ちょっと早いけど、これ、バレンタイン!サンシャインマスカットだよ!」
「?」
「え?」
「え?」
「ははは、シャインマスカットやろ。」
父が笑う。
素で間違えた私。
でも、笑いも一緒にプレゼントできて、二度おいしいやん!と思った。
「これは 嬉しいのぉ!食べたかったんや!高いのに、ありがとな。」
父の頬はすっかりこけて、まんまるだった父の顔が、今はシャインマスカットよりも小さい。
ちょっとだけ、胸がチクンとした。
「お母さんと仲良く食べてね。じゃあ、家のほうが気になるから、今日はもう帰るわ。また来るね。」
中には上がらずに、私がそのまま勝手口から外に出ると、母が慌てて追いかけてきた。
「ありがとうね、お父さん、食べたがっていたから喜ぶわ。」
母はまた、涙ぐんでいる。
酸素投与が、母にはつらいのかもしれない。
「大丈夫、酸素を使うことはいいことなんだからね。お父さんは重病じゃないんだからね。食べられるんだから、まだまだ大丈夫!」
母は頷き、少し笑って、私の車が見えなくなるまで手を振っていた。
50代は、親の保護者になるんだぁ。
太陽がまぶしい。
「まさにサンシャインマスカットやん!」
頭によぎったダサいダジャレに、少し笑えた。
「来年のバレンタインはお父さんに何を贈ろうかな。」
車を運転しながら、わざと独り言を言ってみた。
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