息子の自転車エンジョイものがたり
横断歩道を横切る小さなヘルメットの集団。小学一年生だろうか。自転車に乗った男の子が4人、車のハンドルを握る私の目の前を、ちょっと慌てて通り過ぎていく。
赤や青のヘルメットを被り、時々つま先を地面にちょんちょんつけながら、ふらふらと危なっかしい。本人たちはそれでも、何やら楽しそうだ。足の回転に比べてあまりスピードが出ていない感じがおもちゃみたいでかわいい。
ふと、息子の小学一年生の頃の、自転車暴走軍団を思い出して、クスッと笑った。
息子の膝にはたくさんの傷の跡がある。
走り回ってしょっちゅうケガをしていたので、無理もない。
中でも一番大きな傷は、あの日のものだ。
*****
小学校に入学し、保育園時代の時間的制限が無くなった息子たちは、解き放たれたように、仲良しの同級生と毎日自転車で遊んでいた。
息子は、4年生になった近所のお兄ちゃんから譲り受けた青い自転車が気に入っていて、乗りたくて仕方がなかった。学校から帰るとランドセルを玄関に放って、さっさと出かけていく。
息子たちはまだ、自転車がそれほど得意ではなかった。みんな補助輪はずいぶん前に外れていたが、公道を乗りまわす経験がほとんどなかったのだ。
息子たち、近所の小学一年生男子軍団は自転車をひたすら乗り回す「遊び」をしていた。校区の中を目的もなく、夕方まで自転車で走りまわっているだけ。たまたま出会った子も加わり、だんだん人数が増えていく。多いと20人くらいの集団になっていたらしい。
道幅いっぱいに広がり、ふらふらとお互いぶつかりながら、時々道の隅っこで水筒のお茶を飲んで休憩。おしゃべりも笑い声も止まらないちびっこ暴走軍団だった。
親は誰も、そこまでの状態だとは知らなかった。今から12年も前のことなので、まだヘルメットを今ほどは誰も被っていなかった。
田舎とはいえ、車も通る。彼らのそばを車で走るのは、相当怖かっただろう。
とうとう彼らは、近所のおじさんに
「お前たち、危ないから一列になって乗りなさい。ヘルメットも被らなきゃダメだ!」
と、キツく叱られた。当然、学校にも連絡が入り、親もお叱りを受けた。教えていただき、ありがたかったと思っている。
子どもたちは、その後もしばらくは、長い一列になって自転車で走り続けた。
ヘルメットもみんながすぐに買いにいき、翌日にはほとんどの子がヘルメットを被っていた。しかし、我が家は平日にヘルメットを買いに行くことができずに困っていた。
「ぼく、姉ちゃんのヘルメットでいいわ!」
息子は、高校生になったばかりの長女が最近まで使っていた、中学校指定の白いヘルメットを玄関から持ってきた。
政治家がどこかの現場を視察するときに被るような、工事現場の安全ヘルメットみたいなやつ。
しかも中学校の校章入りで、誰が見てもそれだとわかるやつ。
小学一年生が被ると、どう見ても滑稽だ。からかわれないかと、親は気になった。
それでも彼は、平気でそのヘルメットを被って友達と遊びに行った。
友達にはすごく笑われたらしいが、彼は「笑われた」ではなく、「笑いがとれた」と解釈し、数日そのヘルメットで過ごしてくれた。本当は我慢していたのかもしれないが、それ以上に遊びたかったのだろう。
さすがにかわいそうで、夫が仕事帰りにイオンでヘルメットを買ってきてくれた。紺色と銀色が混ざり合った、楕円形のカッコいいヘルメット。
息子は飛び上がって喜んだ。よほど大切だったのか、彼は下手くそな字ですぐに名前と血液型をヘルメットの内側に書いていた。
そんなある日の夕方、いつものように自転車で遊びに行っていた息子が、足を引きずってうちに帰ってきた。
膝には包帯が巻かれていて、丁寧な手当ての跡がある。
「どうしたん?その足。」
私の問いかけに「こけたん。ちょっとしか泣かんかったんやけどさ。」という息子。
よくよく聞いてみたら、公園で遊んでいて転び、膝を強く擦りむいたらしい。思ったよりも深い傷だった。
たまたま赤ちゃんを連れて遊びにきていたママさんが、息子をご自宅へ連れて行って、傷口を洗って消毒し、ガーゼや包帯で手当てをしてくださったそうだ。
なんて優しい方だろう。
きちんとお礼が言いたくて、私は長女の自転車を借りて、週末に息子と一緒に自転車でその方の家を訪ねた。
が、息子は家がわからないと言う。
「たしか、この辺なんやけど…。」
と言いながら、新しくできたばかりの団地の中をぐるぐる、ぐるぐる…。
公園から急な坂道を上がったところに大きな団地ができて、どんどん新しく家が建っていた。そのなかのどれからしい。
5月末の暑い日で、2人とも汗だくだった。片っ端からピンポンして、聞いて回ろうかと思ったほど、「さっきも通ったよね?」ということを繰り返した。
「目印になるようなものが、家とか、お庭になかった?」
と聞く。
息子は、とぼけた顔で首を捻る。
「あ、たしか、水色!」
「あ、たしかさぁ、ベビーカーがある!」
「あ、たしかぁ、端っこから二つ目か三つ目!」
不安しかない彼の証言を頼りに、広い団地を迷うこと約30分。
「こんな感じ!ここ!ここ!」
息子が指を指す。
なんと、公園から坂を上がってすぐの、端から3軒目のおうち。
何度も前を通り過ぎた家だったんだけど、まぁいい。息子よ、よく思い出した!
自転車から降りて、息子が玄関のチャイムを押すと、中から赤ちゃんを抱っこしたママさんが出てきた。
息子に
「この前の子やね!ケガは大丈夫?」
と笑顔で尋ねてくれて、息子はコクンとうなづいた。
お世話になったお礼を2人で言って、買ってきたゼリーの詰め合わせを手渡した。
「わざわざ、そんな、ありがとうございます。」
と私に言ってから、ママさんは息子に
「かなりのスピードで坂道を自転車で降りていたから、危なかったよね?もう、しないでね」
と、首を傾げながら優しく語りかけた。
え!自転車に乗りながら、急坂を猛スピードで?
聞いてないぞ!
それで派手に転んだのか!
だから傷も深いのね。
私の心の声が聞こえているのか、真新しいヘルメットを被ったままの息子は、ちらっと私を見上げて苦笑い。
大き過ぎるヘルメットと小さな顔のアンバランスや、鼻の頭の汗の粒、真っ赤なほっぺやいたずらな瞳を見ていると、なんだか叱る気にもなれずに吹き出した。
ヘルメットの上から、頭をコツン。
丁寧にお礼を言って「さよなら」をし、家までの川沿いの細道を、2人が並んで自転車を漕いだ。
知らぬ間に自転車がずいぶん上達して、川岸ギリギリをわざと攻める息子。
私は後ろへ下がり、息子に声をかける。
「一列に並ぼう!」
「危ないからもっと真ん中を走りなさい!」
「川に落ちるって!」
何度言ってもなかなか言うことを聞かず、チラチラ後ろを振り向き、息子はニカっと笑う。
「前を見なさい!危ないよー」
そう言いながらも振り向く笑顔を期待し、小さな背中の大袈裟な動きを見守る。
一緒に息子と自転車に乗ることは初めてだった。息子はそれがとっても嬉しいのだろう。
左右に体をくねらせて自転車を漕いでいた息子が「見とってな!」と言って、立ち漕ぎをはじめた。
おぉ、立ち漕ぎかぁ。
大きくなったなぁ、でもまだまだ、ちっこいな。
愛おしいな。
その後、彼と自転車に乗ったのは数えるほどだ。
あの時はそれほど感じなかったが、大事な時間だったな、とつくづく思う。
それから中学、高校と、彼はずっと自転車にはお世話になっている。何度も自転車をパンクさせ、破損し、新しく買い替えた。
当然、いっぱいケガもした。
でも、それだけ強くなった。傷だらけの膝がその勲章だ。
そして彼は最近、貯めたバイト代を注ぎ込んでクロスバイクを購入した。
これで、高専の仲間5人で遠出をする予定らしい。みんながバイト代で、それぞれ違うメーカーの、違う色のバイクを順番に買っている。
来週は、仲間のなかの最後のひとりがとうとうバイクを買うらしい。
「来週、アイツの買い物に付き合って、みんなで自転車屋に行くわ」
と息子が嬉しそうに話していた。
そういうのが、なんだか母には嬉しい。
自転車で遠出するなら、ちゃんとヘルメットを被り、坂道を全力で下りるようなことはもうしないでよ!
そして、一列で走りなさいね。
全員、大事な子なんだから。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
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