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エッセイを添削していただき、気づいたこと
自分の書いたエッセイを、ある雑誌に載せていただいたことがあります。
そのとき、「加筆修正をいたしますがよろしいですか?」という連絡が来て、もちろん承諾をしました。
作家さんのエッセイが載っているようなものだったので、一般人の私の文章にも添削が必要だったのだと思います。
返ってきた原稿が真っ青で、びっくりしました。さすがに赤で添削されてはいませんでしたが、赤ペン先生にいっぱい直された答案用紙状態でした。
内容を全く変えずに、表現がガラリと変わっていて、めちゃくちゃわかりやすい文章になっていました。
具体的に手を加えられたポイントをあげてみると。
繰り返し同じことを書いてある無駄な表現が、見事に削られていました。
そして、誤字脱字はもちろん、不適切な表現が直されていました。
例えば「母子通園」が「親子通園」に変わっていたり。お母さんだけじゃなく、お父さんや祖父母と通園してるお子さんもいるので、そういう配慮が自分に足らないことを気づかされました。
また、主語と述語がきちんと整えられ、「私だけがわかっているつもり」の説明不足は、わかりやすく加筆されていました。
参ったなぁ、私の文章の原型はないな、と思いました。
削られたエピソードはひとつもなく、大筋は全く崩していないのに、プロが手を加えた作品は私のものではないようで、少し違和感と寂しさを感じました。
でも、ガッカリよりも勉強になったなぁ!という気持ちのほうが強かったです。
何度も訂正箇所を読み直して「そう来るかぁ!」って感心しながら、自分のダメなところを確認しました。
唯一、全く触っていないところがありました。
会話文です。
それは、その時にその人が言ったホンモノなので、変えてはいけないようです。
声を出してエッセイを読むと、歌を歌っているように、添削された文章には心地よいリズムがありました。
そんな添削の経験が、その後の私の文章に影響してくれていたら嬉しいなぁと思います。
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昨年11月、所属させていただいているメンバーシップ「エッセイのまち」で、連載記事を書かせていただきました。
そのとき、代表のともきちさんにエッセイを添削していただきました。
これも、とても貴重な経験でした。
エッセイについて、ともきちさんから数回具体的なアドバイスをいただきました。そのおかげでエッセイのリズムや映像の見え方が、とても良くなったように感じました。
そして、ともきちさんはこんなご配慮も。
作品の最後に、ともきちさんに添削していただいたことを説明する文章を付けていたのですが、「そこは省いていただいて大丈夫です」と。
琲音さんのエッセイを邪魔したくないので、という言葉をくださいました。
エッセイの世界観や読後感を気にされたのかなぁと思いました。
どこまでもエッセイを大切に考えておられる方だと思います。
ともきちさん、本気でエッセイを書く機会をいただき、心から感謝申し上げます。
エッセイを添削していただく機会をまた体験してみたいです。とても勉強になり、自分の書いたものを推敲する力もつくと思います。
今も自分の書いたものを推敲するときは、自分だけがわかっている表現になっていないか、誰かが不快になるような表現がないか、それも注意深く意識します。
でも残念ながら、自分のフィルターだけでは、気が付かないことがどうしてもあります。
言い回しの癖もあるし、誤字の見落としもちょいちょいあって。
老眼のせいにはできないレベルです。
noteに投稿する前は、くどいくらいに推敲する癖がついてしまいました。
最初に思うままに書いてみた時の勢いや熱量が、推敲するたびに削られてしまうようで、どこまでで良しとするかがわからなくなることも度々あります。
あまり考えすぎずに、心が動いたことをそのまま文章に乗せることも大事かなぁと、思ったりもします。
書くことは、奥が深いです。
エッセイを書き始めて2年半ほど経ちました。
一般公募での受賞経験も12回に。
もちろん、校内で読書感想文が選ばれたレベルの小さなものも含めています。
自分が目標にしているものまでは、まだまだ届いていません。
公募で書くエッセイと、日頃noteで書くエッセイは、テーマも書き方も雰囲気も全く違いますが、どちらも「心が動いたことを伝える」というところは同じです。
書きたい気持ちが続く限り、これからも自分のエッセイを大切に送り出していきたいです。
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noteを始めて、昨日で一年が経ちました。(昨日のうちに、投稿したかったのですが…間に合わず。)
ずっと与えてもらってばかりのnote生活だったので、これからは自分も何かを与えられるように、もう少し成長して行きたいと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。