見出し画像

作者と読者のズレ

背景バックの色さ、もっと明るくしてよ」

「はい!わっかりましたぁ!すぐやります!
他に直すところ、ありませんか?」

前に、デザイン係の仕事をしていた時期がある。

といっても新聞広告に挟むようなチラシや
飲食店のメニュー表なんかをつくる仕事だ。
あ、学級新聞のまとめみたいのもやったか。

街の巨大スクリーンにデカデカと映される
オシャレで最新のデザインなんかではない。

しかし楽しかった。貴重な体験だった。
自分のセンスが浮き彫りにされて
ダメな所を容赦なく指摘されるのが新鮮すぎた。

・・・

私は「ぬるま湯」が好きだ。
のんべんだらりと、適当に、力を抜いて
仲の良い人達とだけ関わって
えへへと笑って穏やかに過ごすのが好きだ。
自分を傷つけるものがいない世界が好きだ。

自分を批判する人は憎んで遠ざけて
見たいものだけ見て生きていた。

そんな私にも好きなものがあった。
デザインだ。

未だに上手く言葉にできないけど
デザインって、すごいと思っている。

くらい静寂の夜明け、日の出の瞬間や
天から落ちる圧倒的水量の大瀑布、滝の力強さ。
これら自然は美しい。ぐぐっと惹き付けられる。

だがデザイン。人の力で計算し考えたモノも
一流のデザインともなると多くの人の視線を
捕らえて離さない魅力を持っているのである。

どうすればこんなすごいのが作れるのだろう?

私はそうしてデザイン系の仕事に就いたのだ。
誇れる知識も技術もなくズブの素人丸出しで。

・・・

ダメ出しの日々は私を容赦なく追い込んだ。
でも幸運なことに、私は鈍感だった。
他人の言葉の裏を全く読めなかった。
だから指摘されたこと「だけ」落ち込んだ。
いやあ、仮に私が鋭い感性を持っていたら
危うく他人の言葉の裏側も理解しちゃって
必要以上に叩きのめされ鬱になってた所だ。
ラッキー、ラッキー。

さてそんな仕事をして数年経ったある日
唐突に、本当にふとした瞬間に
私の感覚に驚くべき変化が訪れた。

自分の服装のダサさが分かったのである。

服屋のマネキンが着ればサマになる服も
私の背格好、姿勢、髪型だと似合わない。
その意味が、落雷に打たれたかのように
ピシャーンッと、心から理解できたのだ。

「どうして俺はこんなダサい格好を…!」
と中学生が着るような衣類を泣きながら
処分しまくったのはいい思い出である。

いやこれは笑い話ではない。大切なことだ。
「客観的視点」という意識が芽生えたのだ。
この感覚が本っ当に、今でも役に立ってる。

人は、恐ろしいくらい自分のことが見えない。

「客観的視点」という意識が芽生えた私は
冗談ではなく世界の見え方が変わったのだ。

・・・

ええと、前置きが長くなってしまったけど
ここからが本題です。

毎日noteを書いていると、ふと
(これ、上手く書けているんだろうか?)と
迷ってしまう瞬間が訪れることがあるんです。
あ、これ私の話です。体験談です。

たとえば
私と嫁様の会話で大爆笑したエピソードを
noteに文字起こしして記事にするってのを
私はよくやっているんですけど

あの嫁様の面白さ、再現できているのか…?

と不安になることがあるんですね。

ほら、リアルの会話って
そのまま文字にしてみると
なんだかしっくりこないことって
あるじゃないですか。ありますよね。ね?

事実、過去に会話をそのまま文字にしたのを
記事にしていたことがあるんですけど
やっぱりどうにもしっくりこない。
読んでくださる人の評価もイマイチ、みたいな。

私は面白いことを書いているつもりなんだけど
読み手にはそれが全く伝わっていないんです…

これを、作者と読者のズレって私は呼んでます。

「よーし面白いもの書くぞ!」って
書くことだけに集中しすぎるあまり
読み手の気持ちを全く考えないから
こういうことが起きちゃうんですね。

以前やっていたデザインの仕事でも
こういうケースがたくさんあったんです。

「自分が思うカッコいいと思うモノ」だけを
作っていたんですけど、当然ボツ。作り直し。
クライアント(お客様)の意向を無視しちゃ
当然そりゃそうなりますよって話なんですが
立ち止まらず突っ込むしかできない猪時期は
全くそれが理解できなかったんです。マジで。

理解できるようになったのは経験を経たから。

「お前それ全部自分の感想じゃねーか!
作品を見てくれる人の気持ちを考えろ!」

と散々ダメ出しされてボコボコにされたから
妙なプライドを粉々に砕かれて折られたから
ようやく(あ、私は世間知らずだったのか)
と一人で気付くことができた気がするんです。

・・・

結局何を言いたいのかっていうと
挫折ってめっちゃ大切じゃんってこと。

ぬるま湯に浸って安心ライフもいいけど
何かのスキルを伸ばしたいって思うなら
全力でぶつかってケガして休養するのが
実は手っ取り早くレベルアップする方法
なんじゃないかなってことです。はい。

これは私の場合ですけど
作者と読者のズレがずっと続くと
「空回り感」がハンパないんです。
どんどん自信がしぼんでいくんですよ。

このとき自問自答をいくら繰り返しても
正解の道標ってまず見えてこないんです。
だからあせってどんどん空回りしちゃう。

どうして正解が見えてこないのかというと
そもそも自分では気付けない隠しルートが
あったりするんですよ。
そういうのに限って、他人からは丸見えで。
つまり他人から教えて貰うのが最善なワケ。

だから、仕事で挫折したとき
心から応援してくれて自分の事を
引っ張り上げてくれた人って
めちゃくちゃ頼りになるんですよ。

そういう経験がある人って
noteにも活かせるのかなって思います。

そういった意味でnote書いてる人は
歳を重ねた人のほうが向いているかもって
私は思うんですね。
「ズレ」が少ないものを書けるというか。

以上、私の考えていることでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?