僕の日常は、あなたの非日常。
あなたにとっての日常は、
他人にとっての非日常である。
僕は都内で富久の湯という銭湯を運営している。
僕が銭湯に本格的に携わるようになってから、
はや半年が過ぎさった。
クーラーの使えない、夜中たった1人だけの銭湯で
夏をどう越えていこうか考えていたのに、
気づけば冬の心配をし始めている自分がいる。
正直今年の夏は、暑さなんかよりも
銭湯内の蚊と毎日格闘していることの方が、
僕にとってよっぽどストレスだった…。
こうして書いてる今でさえ、
知らぬまに1箇所刺された。
ほんとに油断も隙もありゃしない。
noteを始めた今年の1月〜3月頃、
僕の日常は変化の真っ只中だった。
初めて経験する銭湯という仕事。
それに伴って始めた毎日note更新。
既存の職場からの退職。
銭湯の運営に向けてはじめましての人たちと
右も左も分からない状態でチームを組んだりもした。
そんな怒涛の日々もここらで
一旦落ち着きはじめているのをかんじる。
もう1人で丸一日、店を任されても
何も問題なくこなせてしまう。
営業中は、ほぼ椅子に座ることが仕事。
一丁前に読書なんかをしながら、
常連さんと毎日他愛のない会話をする。
夜の掃除のときは、
深夜のラジオを聞いたり、
音楽を聴いたり、
口笛を吹いたりする余裕もでてきた。
基本1人なので上司的な人に
とやかく言われることもなく、
ただ1人黙々と深夜に2時間ほどかけて掃除をする。
本来の企業なら一連の仕事を終えて夕刻、やっと退社の時間のはずだけど、銭湯の仕事終わりは、当たり前に終電が終わっているのでもう泊まる以外の選択肢は僕に残されていない。
「へぇ〜、泊まる場所なんてあるんだ〜」
と思われたかもしれない。
そんなものは当たり前にない。
泊まれる場を自分でつくっている。
しかし、そんな環境を別に不憫だとか嫌だとは思わない。
誰にでもできることではないと思うと、
むしろ、ちょっとした優越感が生まれ楽しい。
よく友だちとかお客さんにこの話をすると、「すごいねー」とか「若いからできるんだねー」とか言われるが、僕は俗にいう、毎日朝早くちゃんと起きて、ちゃんと電車で行き帰りをこなし、それを週に5日しっかり続けているような会社員よりもこっちの方が合っている気がしたからこの生活を選んだまでである。
僕は今、仕事は週4日でちょうどいい。
5日働くと頑張りすぎだな自分と思ってしまう。
欲を言えば、週3日にしたい。笑
高校生の頃、登校週5日ないし6日の呪縛から抜け出したくて抜け出したくてたまらなかった。どんなに高校生活がトキメキとキラメキに満ちていようと、この苦しみだけは絶対に忘れてなるものかと、朝一番梅干しみたいな目を擦りながら心に誓っていた。
朝がもともと苦手な自覚はあったのだが、陸上部の朝練を毎朝5時半からしていたせいで、より朝に起きることが嫌になった。今もなお。
仕事で毎日同じ場所に行くのに、家と行ったり来たりするのはあまりに人生効率が悪い気がするので、終電がなくて帰る選択肢が閉ざされていることは結果的に良かったとさえ思う。
よって今の仕事、今の生活スタイルに行きついた。
こうして考えてみると、今の「銭湯」という業種はなんだかんだ結構自分にあっているのではないだろうか。
いろんな側面で自分に適しているから知らず知らずのうちに「銭湯」を選んだのか、はたまた「銭湯」で働いている自分を肯定するために、後付けで勝手に自己洗脳をかけてしまっているのか。
それはあなたのご想像にお任せする。
日常のなかに潜む嫌なことを減らしながら生きると選択肢をとれるのも、自分で生き方を選べる良い時代だからこそ出来ることだ。
ひとは自分の日常がさもみんなと同じであるかのように錯覚して、とくに面白みがあるわけでもないというが、それは僕にとってすでに非日常になりうる。
最近、いろいろと日常生活に慣れて落ち着いてきたのもあって、書くこともないなぁ〜なんて思っていたけど、書くことがないわけではなくて、当たり前になりすぎてそれに僕が気づけていないだけなんだ、きっと。
銭湯始めたては、銭湯で眠る日が続くと、
疲れが取れない気がしていたが、
人間の順応とは優秀なもので、いつからか
そんな文句が出る気配すら無くなっていた。
ちかい将来、ジャングルに身ひとつで投げ出されることになったとしても僕はきっと土の上で爆睡できる日が来るのかもしれない。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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