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僕が本当にしたいことは果たして"銭湯"だったのか?

こんにちは、こんばんは、おはようございます🌞

最近チームで"価値観の共有"を話し合いの中で行う

その中でこんな質問がとんだ。

あなたがやりたかったのは本当に銭湯ですか?
それは銭湯じゃなきゃいけなかったんですか?

息をのんだ。

ここまで無我夢中になりすぎて
あまり深く考えてこなかった。

もともと友人の方から誘われて
今こうしてここまでやってきた。

銭湯は好きだし、
いま目の前のこととして
頑張れているのも事実。

同じチームメンバーの子は
ずっと銭湯の世界で生きてきた。
「銭湯にを救われた」らしい。

今後もこの業界で生き続けるつもり
だと言っていた。

その人には強烈な原体験があり、
"ここじゃなきゃダメ
なんだ"と
言いきれるだけのものをもっている。

おれは、そんなことは一切ない。

去年たまたま銭湯に友達と2人で通いはじめて、
おもしろそうだから銭湯経営というところに
目をつけ、本能のままに突き進み、
大変なこともあるが、なんだかんだここまできた。
いや、これてしまったとあえて言う。

おれは、気づいてしまった。
『自分のことをなにも分かってないことに』

続けて思った。
『もっと自分のことを知りたいと』

これはあくまで想定の話なのだが、
世の中にごまんと存在する職業の中で
なんでも良くて、たまたまそれが"銭湯"だった。

そうじゃないと思う。

今はまだ言語化するだけの能力が
自分の中にないだけで、
きっと自分の気づかないところに
本能的に大切にしている価値観があり、
そこの価値観に基づいた着地点。
それが"銭湯"なんだと思う。

それが何か別のことを実現するための
"手段"としての銭湯なのか。
それとも完全なる"ゴール"としての銭湯なのか。

たぶんそれは"手段"としての銭湯なのだが、
じゃあ一体おれは、この先"なにを"したいのか。
"どんなこと"をして"誰のため"になりたいのか。

.

こういうことに本当の意味で
気づけている人はどのくらいいるのだろうか?

あなたはこれを人に
ちゃんと説明することができるだろうか?

多くの人が面倒だからと目を背けてしまう部分。

これが分かっているなら、
それに従って行動すれば良いだけのはなし。
やりたいくない仕事をする必要もなくなる。

みんながやりたくない仕事をしないので、
『最強にハッピーな世界』
になれる。

理想論かもしれないが、
理想を掲げていなくては現実にはならない。

こいういうことは現代社会のような
時間に追われた生活をする中では
なかなか気づくことができないと思っている。

中学生は高校生になり、高校生は大学生になり、
大学生は就職をして、60歳で定年退職を迎える。

この当たり前に対して、"まった✋"をかけて
レールの外側に出たとき、初めて違和感に気づいた

でも、まだ

本当の意味で自分を理解できていないと気づいた。

ぜひこの場で、

僕のしたいことはコレでした!!📣

といえれば良かったのだが、
もう少し時間がかかりそうだ。

それを期待して読んでくれていたら申し訳ない。
心からのごめんなさい🙏

ぜひこれを読んだあなたに
自分について考える"きっかけ"を
少しでも与えていたら嬉しい。

結論がたとえ出なくても
考えることそのものにも意味がある。

気づくことができたら、
またこの"note"に記していこう。




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