「ファイナルボキャブラリー」を疑え
それぞれが持っている終極的な言葉(自身が持っている核心)は今のあなたをカタチ造っている軸なのですが、これも”疑え”るようになれ、という意味のようです。
「常識を疑え」に近いのですが、一歩踏み込んで世間常識に捕らわれない、個別の核心にある言葉も疑念を持つこと。
語彙力が武器となるローティの思想に触れてしまいました。
西洋哲学で追い求められてきた「真理」は不要とする思想は衝撃だけど、どちらかといえばシックリくる。(老荘思想も同様?なのかもしれないけど諸学者には難解)