犀の角・第一夜 「ひとり」 : ② 自己紹介
普段何をしているのか、とよく聞かれる。「お寺の奥さん」(にしてはまだ若め)みたいな者を相手に会話のネタを探せば、大体そんなことになるしかない。掃除はしているんだろうな、とか。来客にお茶を出すんだろうな、とか。想像に難くないことは、もちろんする。
会社勤めをしていて、特に転職経験のある人は、会社の数だけ会社がある、と言われれば、まぁそうだよな、と思うのではないだろうか。お寺も同じだ。お寺の数だけある。お寺の奥さんがそこで何をしているかは、お寺によって異なるだろう。人を雇ったり、できるところは外注するところもある。当山明行寺はいわゆる専業のお寺だが、生きていくための営みをはらむ数字はギリギリだ。なので結果的にお寺の奥さんの仕事は、会社で言えば社長以外の全てだと言える(社長=住職=法人の代表)。お茶も汲めば、ホームページも作るし、コピーも取れば、法話もする(ちなみに、住職もなんでもする)。
直近のお役目紹介
そういうと、結局なんだかよくからないので、普段何をしているのか聞かれた時は、前日何をしていたかを具体的に答えるようにしている。ここでは先月(2023年10月)を振り返って、やっていたことを書き出してみる。
寺報の作成と発行
毎偶数月に、ご門徒向けの寺報を発行している。その名も「明行寺新聞」。普段お寺にお参りされない方に対して最近のお寺事情を伝えるべく、というのを目指している。住職が発行をし始めて、いつからか私が引き継いで書くようになった。プリントパックで印刷し、その他案内物と共に一戸一戸お配りしている。
ホームページ更新
寺報の発行にあわせて隔月で更新している。こちらはご門徒というより諸縁の方向けに、どんなお寺なのか調べたら分かるように、と思って作っている。素人芸のWIXで粗も多いが、実態に近くてそれも良いのかなと。
お月忌のお勤め
故人の毎月のご命日には、住職が各ご家庭のお仏壇にお参りに行くのだが、稀に、お寺にお参りされてお勤めに遇われる方がいる。その際、住職が留守であれば代わりにお勤めをする。終わったらお茶を淹れて飲みながら、お話をする。かつては、目的の無い会話が嫌いだった。今では、学びと気づきの多い、有難い時間になっている。お寺の者は、住職であれ坊守であれ、自分で「なる」のではなく「そう呼ばれるものに育てられたお蔭様」とは、本当によく言ったものだ。
教区行事への参加
浄土真宗本願寺派は、全国で10,000ケ寺を超える大きな教団で、各エリアごとに教区と呼ばれる行政単位があり、それぞれに中心となるお寺がある。福岡市、大濠公園の脇にある福岡教堂と呼ばれるそのお寺に、年に一度、清掃奉仕とお聴聞(お勤めの後ご法話を聞くご縁)の機会が回ってくる。各お寺から婦人会の方々が集うこの日、明行寺からは「蓮華の会」と名前を変えた元・婦人会(今は老若男女誰でもどうぞの組織)の役員が参加してくださった。その場にご一緒させてもらい、お話を聞く。コミュニケーションの場でもあり、自身の研鑽の場でもある。
「うたう明行寺・秋の音楽祭」開催
そんな明行寺蓮華の会の主催行事として、年に一開催される音楽祭。出演者も、お茶やお菓子も、告知も何もかも身近な方々のお力添えによる手作り運営でありながら、毎年好評な人気行事となっている。私も演奏させてもらうのだが、この音楽祭はいつも信じられないくらい胸熱で、毎回「音楽とは何か」ということを目の当たりにさせられる。
納骨堂計画の打ち合わせ
先代の住職が建てた納骨堂が埋まってしまい、新しく計画している。田舎あるあるな市街化調整区域という、新しい建物を建てることが実質不可能な地域で、建築事務所のお力を借りて計画を進めている。とにかく行政との調整や確認が多く、2年がかりで展望が見えてきた。費用も概ね明らかになり、普通にやったら実現しないな、という現状が把握されたところで「ここからどうする?!」的な。
連続研修会の会所
教区で奨励されるている行事で、年に1回近隣の9ケ寺と合同で行う「連続研修会」の会場の順番が回ってきた。こういう時にやることは、告知、清掃・片付け、接待の準備、お土産の準備、儀礼のためのお荘厳を整える、などなど。お土産は、自分が貰って嬉しいものを準備するよう心がけている。40人くらいの参拝者と、10人くらいのお客僧と、御法話をくださる御講師の接待を、ご門徒方の力を借りながら少人数でまわす。終わった頃にはへとへとで、こういった行事の翌日は住職とともに回復を図るべく、焼肉と温泉に行くことが多い。九州万歳。
「YOJYOMON -夜聴聞- vol.3」 なるイベントの開催
住職が熊本のお坊さん方やお茶の先生と開催しているイベントの会所になっていた。本堂や会館と呼ばれる広間に本を並べ、読んでも読まなくてもいいし、読んだ本の紹介と感想のシェアをその場においてある紙を通じて行ってもいい、という企画案を出したところ採用されて実現することになった。イベントの時はまずお勤めをし、その後ご法話をする。こういう場では、私がお話をすることが多い。当日、20名くらいが参加し、お茶を飲みながらお話をする人もあれば黙々と本を読む人もあり、知らないもの同士が集っても一人ぼっちになる人のいない、興味深い夜になった。
ご法事対応
ご法事は、自宅でされる方もあれば、お寺でされる方もある。お勤めは住職がするが、お迎えし、お供えや遺影、お位牌を受け取ってお荘厳をするのは、私の役割でもある。お勤めの後はみんなでお茶を飲めるように、お茶や湯呑み、お菓子などを準備しておく。お寺っぽい。
会計管理
現金文化のお寺社会、数えて云々したり、銀行に云々したり、諸々の支払いを云々したりなどなどなど。とても苦手で、時間もかかる。大絶賛苦労中。仕組み化に向け、まだまだ道半ば……
本堂大屋根回収委員会の準備と資料作成
明行寺本堂の大屋根に雨漏りが発覚したのが2020年の7月。あれやこれやの手順を踏んで、2024年秋、いよいよ屋根の全とっかえ工事が開始される見込みとなっている。これにかかる費用、総額5,000万円。どう集めるのか、改修委員会を立ち上げて協議している。この会議資料を作るのが専ら私の役目だ。任意団体の会議運営は、ビジネスのそれとは違う。というか、真逆だ。このことに気づくのに、3年くらいかかった。詳しくは、また改めてどこかに書いていきたいと思う。
「第2回 法話のど自慢 世界大会」実行委員会・広報活動
1月、東京築地本願寺にて「第2回 法話のど自慢 世界大会」なる仏教イベントが開催される。第1回から住職共々実行委員のメンバーをしている(第1回は出場も)。ここでも素人芸でホームページを作ったり、プレスリリース対応をしたりしている。月次くらいの頻度で打ち合わせを重ねつつ、絶賛準備中。出場者も、11月末まで募集中。
誰しもそうであるように
「お寺の奥さん」みたいな人にも、いろいろとやることがある。ちなみに一番好きなのは、保護猫と蓮の瓶に住むメダカの世話です。
会社員時代のこと
2018年4月にお寺暮らしが始まるまで、およそ10年東京で会社員をしていた。その間のほとんどは、データを活用したマーケティングにまつわる法人営業の職にあり、考えることが多くて勉強のしがいがあったのと、数字で評価されるところが好きだった。人生には本当に無駄がない。というのも、ご法話をする、人前に立ってお話をすることにさしたる抵抗が無いのは、当時のクライアントとの面談、ヒリヒリする空気の中、大量の汗を毛穴中から吹き出しながら得意でもないプレゼンをし続けた時間によって培われたものだろうと思う。お寺で必要なあらゆる案内状やイベントの告知物、役員会議で使用する投影資料など、ありとあらゆる資料を作成することが比較的得意なのは、当時の上司や先輩から厳しく指導されながら作った膨大なパワーポイントをはじめとする各種資料の賜物だろう。今にして残念なのは、いわゆるバックオフィス、管理系の業務に就いたことがほぼなく、その手のスキルや知識が全く乏しいこと。所得税の納付時期には、税務署の窓口に居座って計算の仕方から教わるハメになった。
当時、最後の上司から「小玉(旧姓)のマネジメントは難しい」と言われたことがある。気が強く、気難しく、プライドが高く、身体が弱く、尊敬の念を抱けば素直に尊敬して懐く代わりに、仕事ができないと見るや侮蔑の態度も素直であって、今にして思えば本当に伏して謝りたいようなことが多々ある。難しいというより面倒臭いやつだったろうな、と(今もかな?!)。それはそれは多くの大人たちに多めに見てもらいながら泳がせてもらっていたな、と(それも今もか!!)。ただひたすらに、有難い。
それ以前
もう思い出したくもないくらい恥ずかしい人間で、ひらにひらに平伏して謝りたいようなことばかりある。本当に、申し訳ございません。
出身地の岡山から大阪の私大に進学し、軽音サークルに入ったり、場末のジャズバーでバーテンのアルバイトをしながら週末だけ歌わせてもらったりしていたが、一番長い時間やっていたことはおそらくラーメン屋でのアルバイトだったと思う。当時急成長中だったラーメンチェーンが大学の近所に出店し、オープンして間もない頃に友人と食べに行った。ラーメン好きが極まって、お会計の際に「バイトしたいんですけど」と言ったことを、高校生のアルバイトにその後何年もいじられた。
大学は法学部に行くと小学6年生の頃から決めていた。法曹界、具体的には司法試験からの検察官。理由は単純で、世の中の悪者退治、というか、この世の悪を掃討したいと本当に思っていた(入学後半年で挫折した)。
そんな夢をもつに至った経緯は、小学校5年生の初夏、変質者が自宅に侵入したことだ。そこから半年おきに計3回、夜寝ている時間に性犯罪を目的とした変質者に侵入されることになる。それまでは子どもらしく、怖いものはお化けや幽霊といった目に見えないものだったが、それ以来、生きている人間が圧倒的に怖くなった。私の世界で暗闇に潜んでいるかもしれないものは、幽霊ではなく、生きた人間の男になった。警察によると、犯人はおそらく車に乗れない年齢、中高生だろうということで、それ以来、おじさんと子供は問題ないが、自分から見て「お兄さん」の年代の人と普通に接することが難しくなり、中学を卒業する頃から高校在学中まで、特定の数人を除いて男の子とほぼ会話をしなかった。この癖は、大阪にある大学に進学したことで(多分)、治っていく。大阪に行って良かったなと今でも思う。音楽に詳しいお兄さんたちがたくさんいたこともさることながら、関西人の「笑い」に対する情熱に、私もそんな面白いこと言いたい、とか、しんどいことほど笑いたい、という気持ちを持てるようにしてもらった。残念ながら、今も私は全然面白いことは言えない。が、お笑いを観るのは好きになった。
音楽の話
なぜやっているのか聞いてくれる方が時々あるが、理由はない。少なくとも、自分でこれこれこういう理由で、と説明できるようなものは何も。歌を作って演奏していることが、自分にとって自然だという、よろこびがあるという、それだけだ。何であれ、つくることには代え難いよろこびがある。そうして作った歌を敢えて人前で演奏をするのは、修行というか、チャレンジというか、ごく個人的な実験みたいなものだと思う。一聴瞭然だが、謙遜ではなく才能はない。ピアノも下手だし、歌もどこにでもいるレベルだ。私にとってそれは特に問題ではないが、ただ、ライブに足を運んでくださる方、CDを買ってくださる方に誠実であろうとは思う。そのために練習もする。趣味だとは思っていない。楽しみとしてやっている、ということともまた違う。ちなみに、自己を表現しているわけでもない。
最もたくさん聴いてくれているであろう友人の一人が、私の作るものには「歌詞に特徴がある」と言ってくれたことがある。その時はわからなかったが「人は結局、ことばでできている」と思うに至った今では、さもありなん、という気がしている。実際、ひとりで歌を作る時には、概ね歌詞が先にできる。一つ一つ、自分にとってはとても個別具体的なことが詩になっていくが、解説はしない。受け取った人の想像力に委ねられていくところが、詩の良さのひとつであると思う。19世紀ドイツの哲学者、ショーペンハウアーの顔が好きだな、と思うのだが、彼のこんな言葉がある。
詩を書くという行為において、この間を目指したい。本当は。
世の中に詩人が増えてら良い、と思っていて、生涯のライフワークにしたいと思っている。日本では、詩を書くというと「ポエム(笑)」みたいな風潮があるが、なぜなのだろう。洋の東西を問わず、あらゆる思想や文化が詩、偈、韻文となり、生活に染み入り、伝わってきたというのに。
まとまらないまま、最後に
ここまで読んでくださった方がいたら、そのことに何よりも感謝申し上げたい。本当に心から有難うございます。
以上のような私について、このイベントの企画に力を貸してしてくださった先輩方が壁となり、時に球となり、最後にはバットを超えて手にもなり、一緒に頭を悩ませてくれたのが、犀の角・第一夜「ひとり」。
当日、会場でお会いできたら幸いです。
精進します……! 合掌。礼拝。ライフ・ゴーズ・オン。