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①ヴェーダ聖典(インドと日本の比較と日本仏教の間違いによる不幸)

インドと日本の仏教儀礼


1. 儀礼をどのようにとらえるか

日本は儀礼が多い気がするんですが、実際、他の 国々とくらべてどうなんですか。 儀礼の多寡は何を儀礼ととらえるかで変わってく るでしょう。伝統的な社会であるほど、儀礼が多 いような感じもしますが、都市化や近代化であら たに生み出される儀礼も数多くあります。宗教や 儀礼と無縁のように感じられる社会主義の国々で も、国家儀礼によってイデオロギーの浸透を図っ ています。 儀礼の歴史の中で何千年という時を経れば、変化 することも当然であるが、古来からまったく意味 の変化のないものはあるのでしょうか。あるとす れば、変化の有無はどうして起こるのでしょうか。 何千年というタイムスパンで考えると、社会、生 活様式、環境、生産技術などが変化しないことは あり得ないので、儀礼にまったく変化がないこと は考えにくいでしょう。その中で、伝統的な儀礼 が良く保存されている場合と、そうでない場合が あります。インドでは三千年以上前に成立したヴ ェーダの祭式の伝統が、驚くほど良く残っていま す。日本の仏教儀礼でも、奈良時代や平安時代初 期にまでさかのぼることができるものもあります。 その一方で、多くの国々で、この数十年の間に、 多くの伝統的な儀礼が消滅しています(動物や植 物の絶滅にも似ています)。日本の場合もその例 外ではないでしょう。また、外見的には同じ儀礼 であっても、儀礼の持つ意味も刻々と変化してい ることに注意が必要です。儀礼の要素のさまざま な変化の背景に何があるのかは、授業の中で、こ れから考えていきたいと思います。 儀礼に意味を求めすぎては行けないようですが、 それは意味があった頃の儀礼と、現在の儀礼を分 けて考えなければならないということですか。 儀礼が本来の意味を失うことは、儀礼の形骸化、 形式化でもあり、多くの儀礼に見られる現象です。 しかし、あらたな意味が与えられ、儀礼の刷新が 行われることもしばしば起こります。いかなる儀 礼も何らかの意味を有しているととらえる方が、 考えやすいでしょう。ただし、儀礼が有する意味 を考えるのは、さまざまな困難を伴います。儀礼 研究者が儀礼に対して、何らかの意味を読みとっ たとしても、それを実際に儀礼を行うものが意識 していなかったり、あるいは、否定することさえ あります。その場合、研究者と行為者のどちらの 意見が正しいのかを、だれが判断できるでしょう。 歴史的な儀礼についても同様です。文献やその他 の資料から再構築した儀礼が、どのような意味を 有しているかは、直接観察できないために、なお さら困難です。人類学ではフィールド調査のデー タの解釈をするときに、「エティック」と「エミ ィック」という二つのレベルをたてることがあり ますが、これに似た状況が起こるのです(関心の ある方は『文化人類学事典』などを参照して下さ い)。授業でも少しふれたインドの伝統的な儀礼 については、膨大な文献資料があることで、さら に複雑な状況が生じます。しばしば、これらの文 献は儀礼の意味を説明していますが、研究者の観 察がつねにそれに一致しているとは限りません。 儀礼の意味の解釈には恣意性がつきまといますが、 それが文献によってさらに不確かなものにされる のです。これは日本の仏教儀礼についても言える ことです。 「儀礼」と聞くと、似たような意味の言葉として 「しきたり」という言葉が思い浮かぶのですが、 この二つはどう違うのですか。 View metadata, citation and similar papers at core.ac.uk brought to you by CORE provided by Kanazawa University Repository for Academic Resources 2002 年度 52 「儀礼」と「しきたり」はもちろん同じ意味では ありませんが、重なる部分も多いでしょう。あい さつやマナー、タブーなどはしきたりと理解され ますが、儀礼の研究対象としても取り上げられま す。多くの儀礼がしきたり(慣習と言うこともで きます)によって規定され、儀礼そのものが、し ばしばしきたりと理解されます。しかし、しきた りの持つ保守的、守旧的な性格は、儀礼には必ず しも必要とされません。儀礼を遂行するときには、 しばしば新たな要素が加えられたり、状況や参加 者に応じた即興的な要素も見られます。新しく儀 礼を作り出すことで、社会に変革をもたらしたり、 伝統そのものを改変したりすることもあります。 身近な例でいろいろ考えてみて下さい。 資料の 14 頁の左側にある「私たちの関心が、… 彼の呼ぶ象徴へ向かうことを求めている」とあり ますが、「彼の呼ぶ象徴」とは何ですか?そして、 その「象徴」は何の特徴ですか。 直前のターナーからの引用文中の「象徴」です。 文中の「(儀礼の社会的機能を考察する方法で は)儀礼は社会活動の単なる一部分とされ、宗教 的慣習と世俗的慣習との間にある差異が消えてい ってしまうことを、私は理解した。儀礼象徴はそ れ自身の原則をもっているのだと言うことを、私 は理解したのだ」とあるあたりを指しています。 儀礼を構成する要素に、儀礼を行う人、参加者、 道具をはじめとするさまざまもの、宗教儀礼であ れば礼拝などの対象、儀礼行う空間や時間、儀礼 を取り巻く人間関係などをあげることができます が、これらはすべて象徴として扱うことができ、 それは一般の社会的な行為とは、明らかに異なる 象徴体系を有しているということだと思います。 このような儀礼の構成要素を象徴としてとらえる 立場を紹介しているので、「何かの象徴」という 具体的なことではありません。竹沢氏の「序文」 は全文をあげてありますので、通して読めば理解 できると思います。 儀礼とはなぜ存在するのですか。それは日常性と の乖離があり、一種の神秘性をも含んでいるよう に私には思われますが、なぜそのようなものが、 われわれの日常生活に必要なのでしょうか。 ご質問の通り、なぜ人間に儀礼が必要とされるの かは、難しい問題です。それは、なぜ宗教が存在 するのか、あるいは「聖なるもの」が存在するの かという質問と同じような問いです。この授業で は「儀礼とは何か」にはこれ以上立ち入らずに、 「人々はこれまでも儀礼を行ってきたし、今でも 行っている」という立場で、その内容と変化を考 えて行くつもりですが、その中で「なぜ儀礼は必 要なのか」という問いについて、自分自身で何ら かの答えを探してみて下さい。 儀礼について「なぜするのか」とか、「その行動 にどのような意味があるのか」という質問をされ たとしたら、答えるのはむずかしいそうだ。私は 儀礼というものは、行為そのものに意味があるの ではなく、その行為によって何らかの意味をなす ことが重要なのではと思った。 それも儀礼に対するひとつのとらえ方だと思いま す。儀礼の持つ効果や機能は、儀礼を考える上で、 重要なポイントになります。儀礼をどのようにと らえるかは、研究者によってさまざまです。以前、 『マンダラの密教儀礼』の中で、私も次のように 書きました。 そもそも「儀礼を知る」あるいは「儀礼を理解 する」とはどういうことであろうか。おそらくそ れは実際に儀礼を行う人と儀礼を観察する人との あいだには大きなへだたりがある。儀礼行為者の 多くは儀礼の全体の流れや具体的な方法などがわ かれば、その儀礼は理解できたと思うであろう。 しかし、儀礼を観察し、それを分析するものはそ れでは満足できない。たとえば、動作、ことば、 装置、道具といった儀礼を構成するさまざまな要 素がそれぞれ何を意味し、何を象徴しているかが わからなければ、儀礼が理解できたとは思えない はずである。そして、これらの意味をふまえて儀 礼全体の階梯や構造を解きあかそうとする。ある いは儀礼の起源や歴史的な変遷の解明こそ、儀礼 の理解には不可欠であると主張する立場もある。 一方、社会における儀礼の果たす役割から儀礼を インドと日本の仏教儀礼 53 理解することもある。政治学的、経済学的な立場 からの儀礼へのアプローチも不可能ではない。も ちろん、普通の人々が儀礼に寄せる関心は実際は もっと現実的、かつ主観的なものである。たとえ ば、おはらいや厄除けのようにその儀礼がいかな る効力をもつかが重要なのであって、儀礼の方法 や内容すら問題ではない。「儀礼とは何か」とい う問いは、一般的には「儀礼によって何がもたら されるか」という関心を超えるものではない。儀 礼の何がわかれば「儀礼が理解できた」と実感し うるかは、その人の立場や考え方で大きく異なる のである。(pp. iii-iv) ついでながら、実際に儀礼をする人に儀礼を研究 する人はあまりいないようです。儀礼がおもしろ くないことを、身をもって経験しているからでし ょうか。 (儀礼研究が)流行遅れになるというのは、研究 され尽くされてしまったということだと思います が、新しい儀礼は誕生していないのですか。変 化・進化があるということを授業でおっしゃって いましたが、研究を続ける価値があるような重要 なものなのですか。 流行遅れになるのは、研究され尽くされてしまっ たということではなく、多くの研究者が関心を失 ったということです。その背景には、社会の要請 が少ないとか、研究そのものが袋小路に入ってし まったとか、他の学問領域に刺激を与えるような 理論が生まれないとかがあるのでしょう。ただし、 儀礼の研究はまだまださまざまな可能性をもって いると私は考えています。 象徴的なものが儀礼とされる。→ その象徴の具 体物は万人に認識されなくても良いのですか。 儀礼の構成要素の象徴性は、必ずしも万人に認識 (あるいは理解)されなくてもいいようです。場 合によっては、理解されないことが最も重要と考 えられることもあります(秘儀と呼ばれるよう に)。儀礼をコミュニケーションのアナロジーで 解釈するのは、かつて記号論の人々やその影響を 受けた人類学の研究者が好んだ方法ですが、今か らふりかえると、あまり実りある議論ではなかっ たようです。 文化人類学の授業でも聞いた話をもっとわかりや すく具体例などを入れながら話してくれたので、 とても役に立った。今まであいまいだった文化人 類学から見た儀礼というものを知ることができた。 比較文化でも文化人類学と同じようなテーマで研 究しているのですか。 比較文化はよく言えば学際的(悪く言えば寄り合 い所帯)なので、いろいろな専門分野やテーマが 交錯しています。儀礼は宗教学でも文化人類学で も、あるいは私の専門の仏教学やインド学でも重 要なテーマですが、その方法や関心は、それぞれ 違います。ありきたりのたとえですが、同じ材料 を使っても、料理の仕方が違うようなものです。 比較文化の場合、というより私の場合は、宗教的 な文献資料(とくに古典的な文献)を使って、儀 礼研究をすることが多いです。「歴史人類学」と いう分野もありますが、文化人類学の主たる関心 の対象は「現在」ではないでしょうか? 儀式を研究する学問もあるのだなとはじめて知っ た。 そうなんです。あるんです。それはともかく、あ らゆるものは研究の対象となります。ただし、そ の研究が意味を持つかどうかは、ひとえに研究す る側の力量にかかっています。 「(インドでは「儀式」に相当する)名前がない のは当たり前のこと」だから、とおっしゃってい ましたが、では、さまざまなものに名前が付いて いる今は、昔より物事が客観化してしまったとい うことなのでしょうか。よくわかりませんが。 インドで「儀礼」や「儀式」に相当する言葉が見 あたらないというのは、少し、簡略化しすぎた説 明だったかもしれません。伝統的なヴェーダの宗 教やヒンドゥー教の場合、個々の儀礼の名称はあ っても、それを統合するような言葉がないという ことで、それは、宗教そのものが儀礼を中心にで きあがっているためではないかと思うからです。 2002 年度 54 これに対して、たとえば、日本の密教では、「教 相」と「事相」という二つが、密教を支える「車 の両輪」と喩えられます。教相とは教理すなわち 哲学や思想で、事相が儀礼や儀式に相当します。 密教が上位概念で、その下位概念として、教相と 事相の二つが相互補完的にたてられていることに なります。上記のインドの宗教では、宗教イコー ル儀礼なので、両者を区別して表現する必要がな いということです。少々、乱暴な説明ですが。 2. 聖と俗の接点:プージャーと十八道次第 あたりまえのことをあたりまえではないとして疑 問を持つことは、研究者に不可欠な態度であるが、 なかなか困難である。まして、自分に近いものほ ど見えにくいのだから、実践者が研究者になりに くいのも当然だろう。哲学者と思春期の人間は別 として、いちいち自分の行為に疑問をもっていた ら、生活しづらいだろうと思う。どうも感想をつ らつら考えていると、講義の方がおろそかになっ てしまうようだ。供養というのは仏だか聖者だか に感謝と尊敬を示すものだと思うのだが、そのく せマントラの誦唱が最後に付け足しのようにある のは変な話だと思った。 たしかに自分にとって身近のことや当たり前のこ とを研究対象とするのは困難な場合があります。 しばしば、客観的な観察や相対的な評価を妨げる からです。その一方で、当事者でなければわから ないことがあるのも確かです。そもそも、まった く自分と無関係なものに、知的な関心を持つこと もむずかしいでしょう。研究者と研究対象の関係 は、なかなか一筋縄ではいきませんが、結局はど れだけ「知りたい」かという欲求の度合いによる のでしょう。実際に儀礼を行う人は、儀礼につい ての研究にあまり関心を示さないということを紹 介しましたが、もちろん例外もたくさんあります。 授業の感想や質問についてですが、考える時間を 最後にとれるようにしたいと思いますが、なかな かその余裕がありません。最後の、マントラにつ いては、マントラは儀礼を通じて唱えられますが、 とくに最後のものを 16 の項目のひとつにあげて います。ヴェーダ以来のインドの儀礼は、マント ラによって神々とコミュニケーションをとるのを 基本とし、ヒンドゥー教でもその伝統が受け継が れます。仏教儀礼の中では密教の儀礼が、やはり マントラを重視し、日本では「真言」(しんご ん)と呼ばれます。 儀礼の内容は話してもらうだけではイメージがう まくつかめませんでした。 華や香、食物などはどんな感じかイメージがつき やすいのですが、右遶、お迎え、お帰りはイメー ジがつかないので映像で見たいです。 今回、儀礼の写真をスライドで少し紹介します。 儀礼というのは一種のパフォーマンスなので、い ちばんいいのは、その場に参加して、見るだけで はなく音やにおいや雰囲気などをすべて体験する ことでしょう。静止画ではしょうがないのです が…。 「聖数」が決まっているようだが、儀礼の手順が その聖数に足りなかった場合はどうするのだろう か。 16 ウパチャーラプージャーの場合、16 という数 は『リグ・ヴェーダ』の「プルシャ讃歌」の偈頌 の数に一致させています。簡略な形の 5 ウパチャ ーラプージャー(パンチャ・ウパチャーラプージ ャー)という儀式もありますが、これは 16 の中 の一部を取り出したものです。実際のプージャー は一連のさまざまな行為からなり、そのうちのど れを 16 の項目として選ぶかということになりま す。聖数として選ばれる数は、民族や文化でさま ざまですが、1,2,3,5,7 のような素数や、4, 8,9,16,64 のような同じ数をかけてできる安定 インドと日本の仏教儀礼 55 した数が選ばれる傾向があります。これは「聖」 という概念が、日常的なものとはことなる特殊な ものという側面と、秩序や完全体といった側面を、 あわせ持っていることによるのでしょう。 宗教は教理と実践からなり、実践=儀礼というこ となのだろうが、実践というのは必ず教理によっ て裏付けされているものなのか?それとも実践の 方が独り立ちしてしまって、「どうしてやるのか まったくわからないかがそうする」というものが 中心なのだろうか。 そのどちらもあるようです。仏教の場合、実践が 教理的な意味によって裏付けられていることが多 いのですが、その意味がまったく読みとれないよ うな部分もたくさんあります。また、本来は考え られていなかったような意味づけが、伝承の過程 で加わることもしばしばあります。その一方で、 特定の教理やイデオロギーを表現したり、人々に 周知させるための儀礼もあります。儀礼は基本的 には行為からされますが、行為と意味との関係は さまざまです。儀礼の歴史を考えると、特定の意 味をそこに付与する「教理化」と、本来の意味が 失われ、所作や方法のみが残る「形式化」という、 相反する二つの流れが見られます。 16 のふるまいをいったい誰が考えたのだろうかと 思いました。そういう儀礼のようなものは、信仰 を深める中で自然にできあがっていくのか、それ とも誰かが作るのかどちらなのだろうと思いまし た。 ヴェーダの祭式やヒンドゥー教の儀礼は、特定の 創始者がいるわけではなく、長い時間をかけて整 備されたもののようです。そのため、同じ名称の 儀礼でも、流派や文献でしばしば異なります。こ のような相違点に着目して、儀礼の形成と変容を 研究している人たちもいます。ちょうど、進化の 系図を描くように、儀礼の変遷を表すことができ ることもあります。信仰と儀礼の関係は密接です が、信仰の深化と儀礼の発展の関係は、一般化す ることは困難でしょう。なお、インドの一部の儀 礼は特定の聖人などに、そのはじまりを求めてい ることがありますが、大半は伝説の域を出るもの ではありません。 花や灯明を供えるというのは、お墓参りという身 近なものをイメージするせいか、神に対して行う には俗っぽい感じがするのですが。供える花はイ ンドで「聖なる花」などとされるような神聖なも のですか。また、インドの花というものが想像つ かないのですが、どのような花なのですか。 授業で例として出した日本のお供えがお墓参りだ ったのですが、別に仏壇へのお供えや葬儀の花輪 などでもよかったのです。「俗っぽい」という感 じはよくわかります。インドの人々にとっての神 への礼拝とは、日常生活の一部となっていますの で、たしかに「俗っぽい」かもしれません。神へ 供える花の種類はよくわかりませんが、とくに限 定はされていないと思います。一部の神は特定の 植物を好むので、それを供えるということはある ようです。ちなみに、日本でも高野山ではお寺や 弘法大師に「高野槙」を供えます。インドの植物 については以下のような本もあります。 西岡直樹他 1989 『ネパール・インドの聖なる 植物』八坂書房。 pradakṣiṇa(右遶)ではどうして右回りが神聖な イメージがあるのでしょうか。また、インドでは 右手が神聖なイメージを持ち、左手が不浄のイメ ージを持つのはなぜでしょうか。一般に右手は食 事するときに箸を持つもの、左手は汚物を処理す るときに使うものという考えと関連がありますか。 右と左、聖と俗、浄と不浄、善と悪のように反対 するものを対立的にとらえる二項対立の考え方は、 人間の最も基本的なもので、おそらく世界中に認 められるでしょう。人間の知覚が差異による区別 をベースとして成り立っていることによるのかも しれません。もちろん、世の中の現象は、単に二 つに分類するだけでは処理できないのですが、宗 教や儀礼はそのような複雑なものを単純化するこ とがしばしばあります。インドの場合、とくに浄 と不浄の対立が、宗教で重要な意味を持ちます。 人類学者が好んで取り上げるテーマのひとつで、 2002 年度 56 文献もたくさんあります。 エルツ、ロベール 1980 『右手の優越---宗教的 両極性の研究』 吉田禎吾、内藤莞爾、板橋作美 訳 垣内出版。 関根康正 1995 『ケガレの人類学:南インド・ ハリジャンの生活世界』東京大学出版会。 長島信弘 1976 「遠似値への接近 右と左の 象徴的分類に関するニーダムの所論をめぐって」 『一橋論叢』77(3): 315-323。 ニーダム、R.1993 『象徴的分類』みすず書房。 インドからチベット・ネパールへ移って、ただの 供物が世界と同一と見られるようになったのはな ぜでしょう。食糧事情の違いでしょうか。 ネパールで行われているグルマンダラ儀礼が、い つ頃成立したのかはわかりませんが、インド密教 にすでに原型があったのではないかと思います。 神々に奉献する世界をかたどった「マンダラ」は、 一般に「マンダラ」と呼ばれるものとはずいぶん 違いますが、マンダラが「世界」をかたどったも のであることは同じです。ただし、そこは仏の世 界であって、われわれを一部に含むような単なる 須弥山世界とは異なります。むしろプージャーの 対象である仏の世界がマンダラと呼ばれるべきで しょう。チベット人は両者の違いを意識して、一 般のマンダラは「キンコル」(dkyil 'khor)と訳し、 供物としてのマンダラは、そのまま音写しました。 聖と俗の差は一般化できる問題なのだろうか。何 かを聖として俗な事象から拾い上げるには、たい した手間はいらない。どんな事象にも聖となる可 能性はある。 聖と俗はエリアーデをはじめとする宗教学者たち が好んで用いる分析概念です。たしかに「聖なる もの」はあらゆるものとして顕現します。これを エリアーデは「聖性顕現」(ヒエロファニー)と 呼んで、注目しました。何を聖なるものとみなす かは文化や伝統で大きく異なりますが、人間は 「俗なるもの」とは異なる「聖なるもの」を感じ る能力を普遍的に持っていると考えた方がよいよ うです。そういう意味で、聖と俗の差は一般化で きる問題だと思います。 曼荼羅の図は何度か見たことがあったのだけど、 四隅の仏が供養仏だということは知らなかった。 また、同じ世界(宇宙)をさまざまな次元で表し ているところもおもしろいと思った。 マンダラに供養菩薩(広い意味ではほとけですが、 菩薩のグループになります)が描かれるのは、日 本のマンダラでは金剛界曼荼羅と理趣経の曼荼羅 がありますが、インドやチベットでは必ずしも一 般的ではありません。チベット人による密教の時 代区分で、ヨーガ・タントラと呼ばれる時代のマ ンダラにほぼ限られます。そのため、その前の時 代に属する胎蔵曼荼羅には、供養菩薩は登場しま せん。世界を表すマンダラを捧げる図はチベット で「集会樹」(ツォクシン)と呼ばれ、何種類か の作例があります。これは「ラマ供養」という名 の瞑想法とも結びついた図で、チベット仏教美術 の独自性をよく示しています。 森 雅秀 1999 「集会樹の造型と儀礼」『印度 学仏教学研究』47(2): (194)-(201)。 アルガについて、水を神にあげることで[神と] 人との間の親しみを表そうとしているのなら、普 通の人々の間で身分の低いものから水をあげても よいのではと思いました。 インドでは神と人とのあいだの距離はさまざまで すが、古代のヴェーダ祭式では比較的接近してい たようです。祭式において人は神に供物を供えま すが、これを運ぶのは火の神アグニでした。祭官 がアグニに供える水は、両者の間にコミュニケー ションが成り立つことを確認する手続きのような ものだと思います。「親しみを表す」というのは、 後世のヒンドゥー教のプージャーでは見られます が(むしろ神に対する人間の忠実性を示すと言っ た方が適当でしょう)、ヴェーダ祭式ではあまり 当てはまらないようです。社会的な身分制度の中 での水や食べ物の授与の関係は、参考としてあげ ましたが、その背景はより複雑でしょう。贈与の 関係については、フランスの社会学者モースの 『贈与論』が有名ですが、宗教的な文脈だけでは インドと日本の仏教儀礼 57 説明できないと考えています。 バンヴェニスト、エミール 1987 『インド=ヨ ーロッパ諸制度語彙集 II』前田耕作監訳 言叢 社。 モース, M.、ユベール, H. 1983 『供犠』小関 藤一郎訳 法政大学出版局。 護摩という単語自体が、私の人生の中では聞いた ことのないものだったので、とにかく初めて見た り聞いたりしたことばかりだった。こういうのは 昔あったゾロアスター教など、火を神聖なものと する宗教の名残かなと思った。 日本でも密教系の寺院では護摩をひんぱんに焚い ているので、金沢でもお寺によっては見ることが できますが、多数派である浄土真宗ではまったく 行いません。スライドの写真などで、イメージを 膨らませて下さい。ゾロアスター教もアーリア人 の宗教で、おもにイランや西アジアで流行したも のです。ヴェーダの宗教と兄弟のようなものとい ってもいいですが、ゾロアスター教がヴェーダの 宗教になったわけではありません。インドでは 「パールシー」と呼ばれ、今でもわずかですが信 者がいるそうです。ニーチェの「ツァラトゥスト ラ」がゾロアスターであることはよく知られてい ます。ゾロアスター教については次のような一般 向けの新書も出ています(仏教や密教との関係に ついての記述はいささか杜撰ですが)。 岡田明憲 1988 『ゾロアスターの神秘思想』講 談社現代新書。 プージャーの重要な段階の水の献供と、火を用い た献供儀礼が、特別な儀式として行われているの を聞いて、別の授業の方(注・木曜 3 限の仏教文 化論)で、釈迦が行った奇跡の、火と水を出した ものを思い出しました。 「仏教文化論」で少しお話ししたことですが、イ ンド・ヨーロッパ語族の言語では、火と水にそれ ぞれ「命あるもの」と「命なきもの」という 2 種 があるそうです。いわば生物と無機物という 2 種 を分けているのです。たしかに、あらゆるものを 焼き尽くし、熱と光を発する火や、生命が誕生す る根源である水は、単なる物質ではなく命がある ようにも感じられます。現代の日本では、水はと もかく、火を直接見ることは、日常生活ではずい ぶん少なくなりました。火のイメージがこれほど 貧困になったことは、人類の歴史の中でなかった ことでしょう。 十八道次第の六法十八道という「六」と「十八」 も聖数のような意味を持つ数なのでしょうか。 よくわかりませんが、明確な意味づけや教理的な 説明はこれまで見たことがありません。十八とい う数はヒンドゥー教の十八ウパチャーラプージャ ーとの結びつきを連想しますが、内容はずいぶん 違うので、直接、影響を受けたわけではないよう です。 プージャーはどのくらい時間をかけてするものな のですか。日常のプージャーは 5 分から 10 分く らいでしょうか。1 年以上かけてするプージャー などはありますか。 プージャーはその内容によりますが、短いもので あれば数分、長いものでも 1 時間程度でしょう。 寺院の中で行われる日常のプージャーは毎日数回 ずつ行うので、それほど時間をかけるわけにはい きません。私がむかしカトマンドゥで見たものは、 30 分ぐらいでした。普通の家で行うものはもっと 短いでしょう。1 年以上かけて行うプージャーは ありませんが、インドの儀礼で国家儀礼的な大規 模な儀礼の中には、数ヶ月や 1 年以上を費やして 行うものもあります。「アシュヴァメーダ」と呼 ばれるものなどがよく知られています。これらの 国家儀礼は「シュラウタ祭式」と総称され、プー ジャーなどとはジャンルの違う儀礼ととらえられ ています。 閼伽の 3 種の水というのはひとつのそなえられる 水に三つの意味が込められているということです よね。聞き逃していたかもしれないのでもう一度 確認です。 私の説明が不十分だったようです。3 種の水それ ぞれにひとつずつ水の入った容器が準備され、区 2002 年度 58 別されます。容器の形態や中の水に違いはないの ですが、目的が異なります。単なる水がそれぞれ 意味を持つところに、儀礼の儀礼たるところがあ ります。閼伽の水の種類と目的については、以前 に論文を書いたことがあり、私にとって愛着のあ るテーマです。読みやすい内容なので、関心があ ればどうぞ。人類学(民族学)の学術雑誌に掲載 されています。 森 雅秀 1991 「インド密教儀礼における水」 『国立民族学博物館研究紀要』15(4): 1013-1047. 儀礼を瞑想でやる(十八道では実際に道具を使っ たりしない)のと、ホーマのように火を使って献 供するのがあったと思うのですが、この違いは? マンダラは壁に掛かっているものというイメージ が強かったので、いろいろな種類があるのにおど ろいた。また、以前見たマンダラ(壁に掛かって るやつ)にきれいな色が残っていて、昔のものが 今もきれいに残っているのは何でだろうと思った。 儀礼における瞑想は密教儀礼においてとくに発達 しました。実際に行っている外的な行為が、瞑想 の内容とパラレルになっていることもあります (今回お話しする予定の密教の護摩はその代表的 なものです)。しかし、ヴェーダ祭式のホーマで あっても、実際の儀礼の外観と、それぞれの行為 や装置が持つ象徴的な意味(しばしば宇宙論的な 意味)との二重構造になっています。儀礼におけ る瞑想は、密教固有の特徴ではなく、多くの儀礼 が有する意味の重層性の特殊なあり方とも言えま す。マンダラについては私の『マンダラの密教儀 礼』をお読み下さい。陳腐な表現ですが、目から うろこが落ちると思います。 神格化された供物とはどういうものですか。 金剛界マンダラの供養菩薩のことだと思いますが、 実際に供物を手にする女性像で表されます。たと えば、金剛華菩薩は華鬘(花輪のこと)を持ち、 金剛燈菩薩は灯明を手にします。これらとは別に 金剛嬉、金剛鬘、金剛歌、金剛舞からなる「内の 四供養菩薩」という女尊もいて、それぞれ身ぶり と持物で、名称ともなっている供養の内容を表し ます。これらはいわば人工的に作られた仏たちで すが、まったく何もないところから生み出すわけ にはいかないので、密教の黎明期に有力であった 「陀羅尼」の女尊たちをもとに作り出したようで す。 人と神の献供と恩恵について。恩恵の中に「戦 勝」が含まれていたが、敵方も同じように神に献 供し、戦勝を祈ったらどうなるのだろう。神々の 争いになるのだろうか。負けてしまった方はその 神を恨んだり、もう信じなくなったりすることは ないのだろうか。自分たちの献供がよくなかった のだと考えるのか。 征服民族であるアーリア人たちの、直接の戦争の 相手はインド土着の人々だったでしょう。かれら はヴェーダの祭式とは無関係だったので、同じよ うな儀礼はしていなかったと思います。ただし、 アーリア人同士の戦いも起こったはずですし、そ の場合は、両者ともに同じような儀礼をして神に 祈っていたでしょう。もっとも、それに類するこ とは世界中であったことで、日本も例外ではない でしょう。日本でも第二次世界大戦の末期には、 怨敵退散のために調伏護摩や大元法がさかんに行 われたことはご存じですか?儀礼とは戦争に勝つ ための技術のようなもので、今で言えば、軍事衛 星を飛ばしたり、核爆弾や大陸弾道ミサイルをど れだけもっているかという「最先端技術」に匹敵 しています。そのため、ヴェーダの祭式は「正し く」行うことが至上命令でした(技術に正確さは つきものです)。儀礼の技術とは所作が正しいこ と、発せられる言葉が正しいことなどです。今回、 ヴェーダの宗教の一般的な話をしますが、これも 技術としての儀礼に関係することです。 インドと日本の仏教儀礼 59 3. 聖なるものとの交歓:ホーマと護摩 ヴェーダと一口に言っても本当に多くの種類があ ることを知ってびっくりした。それだけ言葉とい うものが儀礼の中で重要視されていたのだなと思 った。祭官には「神と人の間をつなぐ架け橋」み たいなイメージを抱いていたので、今日の図で出 てきた祭官が一段高いところから見ているという 図には、何となく違和感をおぼえた。 ヴェーダ文献の体系は、単なる聖典というイメー ジを越えて、壮大かつ整然としたものです。イン ドの文化とは、じつはこのようなものを基調にし ています。言葉に対する態度も、日本人には理解 できないほど精緻を極めています。古代インドに はパーニニという伝説的な文法学者が現れて、サ ンスクリットの文法体系を築きましたが、これは 現代の言語学者もおどろくほどよくできています。 祭官の位置づけは意外だったかもしれませんが、 だからこそ、社会の身分制度においてもバラモン (ブラーマン)が最上位に位置することができた のでしょう。ヴェーダ祭式の質的変換は、祭式の 絶対化とそれにともなう祭官の力の重視、他方で は神々の地位の低下とまとめることができます。 授業とはあまり関係がないのですが、ブラーフマ ナはインドの三大神にシヴァ、ヴィシュヌと並ん でいたブラフマーと関わりがあるのでしょうか。 ブラーフマナは「梵書」とも訳され、「ブラフマ ンに関するもの」という意味です。ブラーフマナ そのものについては、先回の配付資料の辻直四郎 『インド文明の曙』pp. 3-4 に説明があります。ご 指摘のように、ブラフマン(ブラフマー)は神の 名としても知られていますが、ヴェーダの時代に は世界の最高原理を示すもので、まだ神格化され ていません。最高原理も神の名も同じ「ブラフマ ン brahman」ですが、原理の方は中性名詞で、神 の場合は男性名詞となります(男神なので)。シ ヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマーが三大神(トリ・ ムールティ trimūrti)を構成するのは、ヴェーダ の宗教からヒンドゥー教へと変わってからです。 実際に信仰の対象となったのはシヴァとヴィシュ ヌだけです。仏教の場合、少し様子が異なり、釈 迦の伝記などにブラフマン(梵天)はしばしば登 場し、釈迦を助けたりします。帝釈天(インド ラ)とペアを組み、重要な役割を果たすこともあ ります。インドラはヴェーダ文献において最も人 気を集めた神です。 シュルティについて。「聖仙が神秘的霊感によっ て云々」と書かれていたが、その「聖仙」は誰に それを伝えたのだろう。神の考えを「聖仙」がお 告げとして受容したのだろうか。「聖仙」と「聖 賢」の区別がいまいちよくわからない。「聖仙」 =神と考えた方がよいのだろうか。 ヴェーダの宗教において、神は讃歌や供物を捧げ られる対象で、ヴェーダのサンヒターの部分は、 この讃歌や献供の言葉が中心で、それを人々に告 げたのが「聖仙」となります。したがって、聖仙 と神は別個の存在です。聖仙の名はいくつか伝わ っていますが、実際の歴史上の人物であったかは わかりません。ヴェーダ文献は何百年もかけて成 立したものなので、作者の数も相当にのぼるでし ょう。このうち、最も古い層である『リグ・ヴェ ーダ』の「サンヒター」の部分は、アーリア人が まだインドに入る前にできたもので、イランの 「アヴェスタ」と内容上の関連があります。 ヴェーダはお坊さんだけが学んだり覚えたりする ものなのであろうか。こんなにたくさんの部類わ けがなされていては、一般の人々は覚えたがらな いような気がする。お坊さんが行う儀礼の形だけ なら日常生活の中でもまねできそうだが…。 ヴェーダの宗教にかかわる祭官たちは分業体制が はっきりしていました。ヴェーダの基本となる 4 つ(リグ、サーマ、ヤジュル、アタルヴァ)も、 それぞれ決まった名前の祭官の担当となっていま 2002 年度 60 す。さらに、各ヴェーダにおける分派も、祭官が 担当する職掌や依拠する文献にかかわってきます。 実際に祭官が学習する文献は、全体から見ればご く一部だったでしょう(それでも膨大ですが)。 その場合、ヴェーダ文献の全体像を知る必要はあ りませんが、自分が学ぶ文献相互の関係(たとえ ば根本的な文献とその注釈書)は、知っていなけ ればなりません。ちなみに、ヴェーダ文献の内容 は、長い間、文字では記されず、口伝によって継 承されていきました。祭官の家に生まれた男子は、 幼少の頃からヴェーダの学習が課せられますが、 もっぱら暗記が中心だったようです。古代社会に おける「知のあり方」が、もっぱら記憶に支えら れていたのは、インドばかりではなく、中国やヨ ーロッパでも同様でしょう。チベット仏教では今 でも経典や論書の暗記が修行の大半を占めます。 ヴェーダの話で、アタルヴァ・ヴェーダが一番新 しいと言うことでしたが、これからも新しく増え ると言うことはあるのですか。 ヴェーダ文献のうち、シュルティは現在よりも多 くなることはありません。アタルヴァ・ヴェーダ も本来はシュルティとしての権威が認められてい なかったようです。スムリティに属する文献はか なり後世のものもあります(ヴェーダ文献の表の 中でも下の方の文献)。それでも 4,5 世紀ぐらい なので、十分古いですが。伝統的なバラモンは現 在でもヴェーダの儀礼を行っていますが、新しく 「聖典」を創作することはないでしょう。 インド→中国→日本と次第が伝わって、日本人は 意味の分からない言葉をせっせと暗記していった とありましたが、はじめから「意味」(儀礼の) は失われていたということですか。たとえば、あ る宗教を広めるには、教義の深いところまでを説 くよりも、現世利益を説けば、一番の近道になる ということはあると思いますが、このときにも本 質が失われていた(意味を知らずに実行だけす る)ということはありますか。長い年月のうちに、 意味が失われることと、はじめから意味を知らな いことがありうると思います。 授業で紹介した文献の中の「意味の分からないと ころ」というのは、密教儀礼の「真言」(マント ラ)の部分で、本来はサンスクリットですが、こ れを中国の人々は翻訳しないで、音をそのまま写 し取りました。これは、インド以来の「儀礼にお ける言葉の重視」を受け継ぐもので、儀礼の言葉 とは意味よりも音(発音、アクセント、韻律など のすべてを含む)が重要であったためです。ひら たくいえば呪文だったわけで、呪文とは一般にそ のようなものです。儀礼の言葉と意味はさまざま な問題をともないますが、音が重要であることは、 ほぼ一貫しています。意味の理解がどの範囲の人 間にまで可能かは、さまざまな段階があります。 参加者全員(見ているものも含め)理解できるも のから、少数の専門家のみ理解可能、さらにはま ったく意味の不明な言葉も、儀礼にはしばしば現 れます。宗教の教理(教義)の理解と、このよう な儀礼の言葉の理解は、重なる部分もありますが、 同じように扱うことはできないでしょう。仏教が アジア全域に広がり、現在に至るまで生き続けて いるのは、思想や教理がすぐれていただけではな く、そのようなものを理解できない人たちでも、 積極的にかかわることができたためでしょう。仏 教の用語を用いれば、「世間」(せけん)「出世 間」(しゅっせけん)の二つのレベルが存在した ためです。現世利益も「世間」レベルの事象です が、ほかにもいろいろあります。最後のご指摘に あるように、儀礼と意味については、儀礼の構造 ばかりではなく、歴史的な展開にもかかわる問題 なので、注意していきたいと思います。 資料の 4 ページの護摩の展開に書いてある「心の 状態」というのが、前回から非常に気になってい ます。「愛欲」が特に。性的なことを考えながら 行うのでしょうか。 授業で説明するつもりですが、護摩が本来持って いた目的は、きわめて現実的かつ呪術的なもので す。そのうち、敬愛・鉤召は異性を自分の方に引 き寄せることを目的としますので、「愛欲」のよ うな言葉が登場します。仏教の護摩はこのような 本来の目的は一種のメタファーのようにとらえ、 インドと日本の仏教儀礼 61 仏教の教理にふさわしい目的へとすり替えます。 現実レベルと教理レベルの二重構造があると見て もいいでしょう。 日本のお経でも繰り返しが多い。主語だけが違う 似たような文を何度も繰り返す経文はよくある。 日本は伝統的に繰り返しを嫌う文化だと思うので、 やはり仏教は外来文化だと感じた。 経典はたしかに繰り返しがたいへん多いです。こ れは、口誦伝承の文献に特有で、民話や神話でも よく見られます。般若経などを見ると、とてつも なく長い定型句が何度も何度も現れます。これを すべて省略したら、現在の何分の 1 かの量になる でしょう。日本文化が繰り返しを嫌うというのは、 私自身は考えたことがなく、あまり具体例が思い 浮かびません。よろしければ何かあげてみて下さ い。 修法の中では息災と調伏の名しか知りませんでし た。とくに調伏は今では失われた(道徳的に公に はできないこととなっているという意味で)もの だと思いますが、だからこそ興味深いです。ただ、 使うもの(毒、血、死体関連)は、人が嫌がるも のだと思いますが、それは相手(敵)をおとしめ るためという意味があるのでしょうか。しかしそ うだとしても、術者もまわりから遠ざけられるの ではないかと思います。それは陰陽師たちは、は じめは物の怪を退治する側から、それらと同一視 されていったという歴史を聞いたことがあるので、 同じようなことが起こっていてもおかしくないと いう風に感じたからです。砂マンダラの横から見 た図の門の部分の色の違いは何か意味があったの ですか、白、黒、赤、橙、だったので、四修法の 火炉の色と関係あるのかなと思ったので。キーラ と丑の刻参りが関係するのは予想できました。や はりという感じで。それ以外に死人が生き返らな いように心臓に杭を打ったりするのも、何か関係 するのかなと思いました。でも、あれは土葬の地 方じゃないと起こり得ませんよね。 調伏はたしかにおおっぴらには行われませんし、 重複専用の護摩の火炉もほとんど存在しません。 しかし、歴史的にはかなり頻繁に行われたようで す。調伏で用いられるものが常識的には忌避され るものであることは、興味深いところです。相手 をおとしめるというよりも、不浄なものが持つ呪 術的な力を利用するという発想ではないかと思い ます。インドの伝統的なヴェーダの儀礼では、こ のような血や死体はけっして登場することはなか ったのですが、民間信仰レベルでは、おそらく普 通に用いられていたと考えられます。中世のイン ドは、このような呪術的な儀礼が、仏教やヒンド ゥー教のような伝統的な宗教の中に少しずつすが たを現してきた時代です。本来、このような儀礼 は社会の底辺や周辺に位置するような人々が行っ ていた場合も多いので、ご指摘のように、儀礼遂 行者が差別と結びつくこともあったかもしれませ ん。今はやりの陰陽師についてはほとんど私は知 識を持っていませんが、その起源は中国だけでは なく、このようなインドの宗教儀礼にも、かなり 求められると思います。誰か本格的に比較研究し てくれるとありがたいのですが…。マンダラの門 の色は、たしかに塗り分けられていますが、修法 の色とはおそらく関係ありません。四修法で色を 区別する発想は、ヒンドゥー教でも見られるもの ですが、仏教では部族と呼ばれる仏のグループと 結びつけられます。たとえば、息災の白は大日如 来の体の色と同じであるので、その部族である仏 部がつかさどる儀礼という具合です。キーラの儀 礼はたしかに死者儀礼とも関係するかもしれませ ん。インドの葬送儀礼も未知の領域ですが、火葬 と土葬の両者があったと思います。釈迦などの高 貴なものは火葬(荼毘)でした。 護摩の供物が護摩の種類によって異なってくるの は知っていたが、火炉やすわり方、容器などの配 置までもが異なるとは思わなかった。「調伏」の 時のみ、塗布物や供物がなんだかまがまがしい感 じがする。護摩の体系の中に呪詛みたいなものが 含まれていたけれど、もし偉い人を妬んで誰かが 僧に呪殺を依頼すれば、政敵とか皆死んでしまう のでは?このころは人々は信心深いはずだし、い つも呪詛をおそれていたのではないだろうか。 2002 年度 62 「人殺し」の犯罪になりそう。現代でも呪詛を依 頼する人はいるだろうか。第二次世界大戦後はも うなくなっただろうか。あと「敬愛」のための火 元が娼婦の家、というのは納得がいくけれど、商 人の家も火元にあげられていたのはなぜ?敬愛と 商人の関係がつかめない。 調伏のような呪殺の儀礼は、「怖いもの見たさ」 という感じで興味がわきます。「まがまがしい」 というのは的確なとらえ方で、吉凶という対比の 中の凶がこの儀礼の基調となっています。われわ れは呪術などとは無縁の生活を送っているように 思いますが、西洋的な近代合理主義と、それにも とづく学校教育が一般に浸透するまでは、呪術は もっと身近な存在だったでしょう。柳田国男の 『遠野物語』などを読むと、明治時代の日本人で さえ、われわれとはまったく違う世界に生きてい たことが実感されます。というよりも、今でも占 星術や心理テストのような形を取って、呪術はわ れわれの生活にしっかりと生き続けていると見た 方がいいのかもしれません。密教儀礼が日本に伝 わったとき、これを受容したのは朝廷をはじめと する貴族層たちでした。国家儀礼が密教儀礼とし て行われたり、彼らの日常的な願望を成就するた めにさまざまな儀礼が密教僧によって行われたよ うです。調伏や呪殺もきっとありふれたものだっ たでしょう。実際にそれで人が死ぬなどの効果が あるかどうかは誰にもわかりません。何らかの霊 的な「力」を持つ人は、いつの時代にもいるよう なので、場合によっては効果があったでしょう。 現在、伝統的な密教の宗派では、おそらく調伏は 正規なカリキュラムとしては教えていないでしょ う。儀軌の形で文献が伝わっているので、それを 見ればある程度はわかるようですが、密教儀礼は 口伝の要素も多いので、伝統が絶えているかもし れません。敬愛の火元が商人の家というのは、は っきりした理由はわかりませんが、いわゆるカー ストに修法を対応させて、ヴァイシャを当てたの ではないかと思います。あるいは「人を引き寄せ る」という儀礼の目的が、商業活動と通じるのか もしれません。 平安時代はすべての病は物の怪の仕業であるとし て、加持祈禱をしたようですが、これは護摩によ るものですよね。この場合、病魔を治すための修 法は「息災」ですか?「調伏」ですか?古文の中 では「魔物を調伏して病を治す」という表現もあ ったのですが。 護摩もしたと思いますが、それ以外の儀礼もあり ました。護摩の場合は治病は息災に含まれるでし ょう。息災という言葉そのものが「鎮め」という 意味です。災いや混乱を鎮め、平安をもたらすも ので、最も一般に行われました。護摩の代表的な 修法で、おそらく、現在の日本の密教寺院で行わ れている護摩のほとんどが、息災護摩でしょう。 平安時代の密教儀礼については授業でも 1 月に取 り上げたいと思いますが、さまざまなものがあり ます。その中には病気治癒や懐妊、安産などもあ ります。摂関政治や平家の時代に、天皇の跡継ぎ を産むことが至上命令であったことと、これらの 儀礼は密接に関連します。このような儀礼は「別 尊法」と呼ばれ、特定の尊格を本尊として、行わ れます。 マンダラについて無理かもしれないが、ユングに ついてちょっと紹介してほしい。 ユング心理学とマンダラというのは、よく言われ ることですが、私自身、くわしくは知りません。 また、その理解もどの程度、実際の歴史的なマン ダラにもとづくものであるかも疑問です。西洋の 知識人がマンダラについて関心を持ったはじまり がユングで、精神疾患の患者が回復期にしばしば 描く図形が、マンダラによく似ていることを指摘 しているようです。ユングの関係で日本では河合 隼雄氏がやはり密教やマンダラに関心を持ってい ます。最近、私が翻訳した『曼荼羅大全』(東洋 書林)の中でも、最後の章でユングとマンダラに ついての言及が見られます。その他、ユングの著 作でマンダラや東洋思想に関係するものなどをあ げておきます。 ユング, C. G. 1956 『人間心理と宗教』(ユング 著作集 4)濱川祥枝訳 日本教文社。 ユング, C. G. 1976 『心理学と錬金術』池田紘 インドと日本の仏教儀礼 63 一・鎌田道生訳 人文書院。 ユング, C. G. 1982 『元型論 : 無意識の構造』 林道義訳 紀伊國屋書店。 ユング, C. G. 1983 『東洋的瞑想の心理学』湯 浅泰雄・黒木幹夫訳 創元社。 ユング, C. G.、M-L.フォン・フランツ 1990 『アイオーン』 野田倬訳 人文書院。 ユング, C. G. 1991 『個性化とマンダラ』林道 義訳 みすず書房。 栂尾祥瑞 1975 「ユングのマンダラ・シンボ ル」『密教文化』111: 53-76。 四橛と五色線で結界を作っていたというのははじ めて知った。今までそういうのは展示のために後 から付けられた境界だと思っていた。呪殺の話は おもしろく感じたが、そういうことをやってもよ いのかと思った。仏教の戒律の中には「不殺生」 もあった気がするのだが。あと「マンダラの基本 線」の「1 ハスタ」というのは仏陀の体のどこか の部分の大きさだろうか。マンダラの大きさはこ れ以外ではいけないのか。 呪殺と不殺生の関係はたしかにそうですが、いわ ゆる「ホンネとタテマエ」のような関係でしょう。 宗教儀礼の世俗化という見方もできます。「ハス タ」は長さの単位で、中指の先から肘までを指し ます。およそ 50 センチ・メートルぐらいでしょ う。この長さは絶対的なものではなく、家を建て る場合は、大工の棟梁の体の大きさが基準になり ます。マンダラも「家」ですから、これに準ずる わけです。 スライドに出てきた砂マンダラははじめてみまし た。直接、床の上に砂を落とすとしたら、その場 所は結界のようなものができたりして、そこに宗 教的な空間を作り上げるという意味があるのです か。 スライドではマンダラは台のようなものの上に作 っていましたが、インドでは地面の上に直接、作 ったようです。そのために念入りに整地をしたり、 土地の選定にもいろいろな条件がありました。結 界はその最終段階で行う手続きで、これは単にマ ンダラを描く土地を神聖にするというだけではな く、その後でマンダラを用いて行う灌頂などの儀 礼も、邪魔されたり失敗しないようにするためで す。彼らにとって儀礼の遂行が妨げられるという ことは、儀礼の失敗につながります。儀礼は成功 することではじめて力を持つことができたのです。 そのような意味で、宗教的な空間を作り上げると いうことが、必要になるのです。 4. 宇宙の開闢:建築儀礼とマンダラ製作儀礼 ヴァーストゥナーガみたいのをどこかで見たなー と思って思い出したら、2 年ほど前、タイのラオ スの国境の町、ノーンカーイに行ったときでした。 立体のヴァーストゥナーガみたいのがドーンと立 っていたような気がします。あれはいったい何だ ったんだろう…。他にも変な仏像?とかがあった。 タイでヴァーストゥナーガの儀礼が行われていた かはよくわかりません。ナーガ信仰は東南アジア でもさかんで、単独でも信仰されているようです。 造型作品も多く見られますので、そのようなナー ガ神だったかもしれません。でも、ヴァーストゥ ナーガだったらおもしろいですね。写真などがあ ったら一度見せて下さい。ヴァーストゥナーガは ずいぶん前から関心があったので、以前に書いた 『マンダラの密教儀礼』の中でも、少し詳しく取 り上げています。建築儀礼とマンダラ儀礼に共通 して登場することと、その目的が一様ではないこ とが注目されます。最近、ようやくその全体像を まとめて活字にしつつあります(『東京大学東洋 文化研究所紀要』第 134 冊掲載予定)。他の研究 者の論文も現れて(『木村清孝記念論集』所収の 種村氏の論文)、密教儀礼のホットなテーマにな 2002 年度 64 りつつあります。 マンダラ、家、宇宙に対する概念が似ているのと 同じように、灌頂と完成式のモデルも似ていて、 俗なものを聖なるものにする儀礼だということを 知った。たしかにただの木だったものを仏と認識 する時には何らかの区切りを必要とするのだと思 う。 ものや人をある状態から別の状態にすることは、 儀礼のひとつの基本的な機能のようです。人類学 の古典であるファン・ヘネップの『通過儀礼』は、 このような儀礼に着目して、広く世界各地の儀礼 の事例を集めて、考察しています。今回、久しぶ りに見直して、その内容の斬新さにあらためて感 心しました。今回のテーマである「サンスカーラ と通過儀礼」は、仏教とヒンドゥー教のこのよう な儀礼を取り上げます。灌頂と完成式にも関連し、 前回の授業の内容を受け継ぐ内容にもなる予定で す。 プリントの<6>穴の位置・災厄が占いっぽい要 素があるなぁと感じた。12 目盛り、9 目盛りとい うのは決まっているようなので、正しく掘ればよ いようだが、5 回掘った土のなかに…というくだ りの部分は運まかせという感じがあったから。p. 8 のヴァーストゥナーガの背後にいる小さなヘビ は、背中とか頭から出ているようですが、本来は どうなのでしょう。上の図では頭から出ているよ うに見えた ので、メ ドゥー サは違う し。ヘ ビ (龍?)のとらえ方の違いでしょうか。西洋では ヘビとかって、忌まれている感じがしますし(や っ ぱ り 聖 書 の 「 そ そ の か す ヘ ビ ( 悪 魔 の 使 い?)」のイメージとか」)。 密教儀礼の文献の内容は、われわれの現実の生活 とはほとんど無縁の内容なので、理解が困難であ ったり、ほとんど何のためにやっているのかわか らなかったりします。そこから何らかの研究の対 象を見つけ出し、それを研究することの意義や重 要性を示すことは、なかなかむずかしいところで す(勝手に選んだ研究分野だからしょうがないの ですが)。しかし、占いなどは現代でも関心が高 く、千年前のインドの人たちとあまりかわりがな いような気もします。儀式やしきたりがわれわれ を行動や思考を拘束したり、社会や人々に大きな 影響力を持つこともあります(靖国参拝などはそ の典型)。ヴァーストゥナーガの頭のまわりのヘ ビは、インドのナーガの典型的な表現です。ヘビ が傘のように頭の後ろに広がり、蛇蓋とか龍蓋と か呼ばれます。仏像にもこのようなものもありま すが、それは釈迦が悟りを開く前にナーガが傘の ように保護したことに由来します。もっとも、こ れもナーガの造型から生み出された説話かもしれ ませんが。ヘビや龍、西洋であればドラゴンは神 話の動物の中でも、さまざまな機能を持っていま す。シンボル辞典などで「ヘビ」の項を引くと、 たくさん説明がありますので、一度見てみて下さ い(比較文化の研究室にその類の本はたくさんあ ります)。 ヴァーストゥナーガは神の一種ですか。また、ヴ ァーストゥナーガが動くというのはとても不思議 ですが、その絵を描いているのは高位の人ですか。 ヴァーストゥナーガの正体は不明です。ナーガそ のものはインドの民間信仰の対象で、巨大なヘビ のようなイメージ、あるいは、人間の姿をして、 龍蓋を付けているような姿を持っているようです。 ヴァーストゥナーガを描いたものは、気を付けて みているのですが、授業で紹介したものが、私の 知る限りすべてです。チベットにまだ残っている のではないかと期待していますが、よくわかりま せん。授業でふれたように、いくつかの文献には その記述があるので、実際に敷地に描かれたと思 いますが、その上に家などを建ててしまっていま すし、実際の遺跡などには残っていることはない でしょう。ヴァーストゥナーガの儀礼は建築儀礼 であれば、実際に建築に携わる大工の棟梁のよう な人が描いたと思います。マンダラ儀礼の場合は、 僧侶だったでしょう。 ヴァーストゥナーガは大地の主ということですが、 それはマンダラを作るときの地面だけではなく、 どこにでも存在すると考えられていたのでしょう インドと日本の仏教儀礼 65 か。またヴァーストゥナーガの存在は、大地の守 り神のような感じで、一般人の間にも広く知られ ていたのでしょうか。 ヴァーストゥナーガについては限られた情報しか 残っていないなので、よくわかりませんが、大地 の神というとらえ方ではないようです。大地の神 としては、地母神的な女神が仏教ではよく登場し ます。大地を母なる女神ととらえるのは、世界的 によく見られます(逆に天空は父なる神になりま す)。ちなみに、チベットの土着の宗教のポン教 では、原初的な神として、sa bdag (地の神) と klu(ナーガ)という神格を文献の中であげて いますが、サンスクリット語のヴァーストゥナー ガをチベット語に翻訳するときに、チベットの翻 訳家はこれらの言葉を使って、sa bdag klu と しました。ヴァーストゥナーガがインドでどの程 度知られていたかもよくわかりません。中世のベ ンガル湾周辺では、知られていたはずですが、そ れ以外の地域では文献などには今のところ登場し ません。授業でも紹介したように、ナーガではな く、人間を敷地に描く方が一般的だったようで、 これは『ブリハット・サンヒター』という有名な 占術書をはじめ、さまざまな文献に登場します。 これについての研究も進んでいます。 「灌頂を受ける弟子が、仏と同じであることを確 かめる…」という話があったが、それはその弟子 が、ある仏の素質を持っているということなのだ ろうか。どう考えてもすぐに仏にはなれないだろ うし。 灌頂を行っていた密教では、基本的にあらゆる人 には仏となる素質が本来備わっていると考えてい ました。素質というよりも、われわれは仏そのも のであるという考え方です。それが煩悩などによ ってわからなくなっているのです。これは如来蔵 思想といって、大乗仏教の中のひとつの基本的な 考え方で、中国の禅や日本の仏教のさまざまな宗 派の考え方の基本となっています。本覚(ほんが く)思想ともいわれますが、インドやチベットで 主流であった中観思想とは相容れないものです。 灌頂については、若干、説明を省略したのですが、 正確に言えば、弟子が「仏である」と自覚させる のではなく、「仏となることができる」と預言す ることが目的です(これを授記といいます)。菩 薩の修行階梯の最終段階に到達し、将来、確実に 仏となることを確認するのです。国家儀礼との関 係でいえば、国王即位儀礼ではなく、その前段階 の王位継承者の資格授与とでもいう儀礼になりま す。これについては次の概説書の中で説明してい ますので、参照して下さい。 森 雅秀 1999 「灌頂儀礼」立川武蔵・頼富本 宏編『シリーズ密教 第 1 巻インド密教』春秋社、 pp. 194-208。 仏像の魂の抜き方が知りたい。抜いた魂はいった ん仏界に変えるのだろうか。それとも抜き取った 人がどこかにしまっておくのだろうか。 日本のおみぬぐいや修理の時の魂の抜き方につい ては知識がありません。ネパールでの儀礼につい ては今回、ふれる予定ですが、壺に入れておくそ うです。これもシンボリックな方法です。 ヴァーストゥナーガ儀礼について。占星術も関係 していることをはじめて知った。占星術というと 西洋のイメージが濃いのでおどろいた。ヴァース トゥナーガが一年かけて回るというのも星座が回 るのと似た印象を受ける。 説明が不十分だったようですが、占星術そのもの よりも、暦法が重要だったようです。暦からその 日のヴァーストゥナーガの位置を知る必要があっ たからです。それはともかく、インドでは非常に 古い時代から占星術や暦学、そして天文学も高度 に発達しています。これも儀礼との関係で発達し たものです。西洋の占星術はアラビアの科学に起 源があるようですが、インドのものもこれに関係 します。日本の古い時代の占星術もインド起源で、 密教の経典とともに平安時代に伝わっています。 インドの天文学、暦学については京都産業大学の 矢野道雄先生が概説書をいくつも出しています。 矢野道雄 1986 『密教占星術』東京美術。 矢野道雄 1992 『占星術師たちのインド』(中 公新書)中央公論社。 2002 年度 66 矢野道雄編 1980 『インド天文学・数学集』 朝日出版社。 林 隆夫 1993 『インドの数学:ゼロの発明』 中公新書。 今回の授業で思い出しましたが、初回の授業で、 「儀礼の特性」について私が考えていたのは、 「その行為の前後で対象の性質や価値が変わる」 ということでした。灌頂や完成式もあてはまりま すね。ただ、プージャーのような儀礼やもっと日 常的に行われる儀式(食事の前に神に感謝します と手を合わせるような行為)には、ピンとこない 感じがします。そこで、「その行為をしなければ、 その状態が保たれないような行為」を加えると、 少し近い気がしました。言葉による定義付けがあ まり意味をなすとは思いませんが、自分なりの答 えが出せず気になっていたので。 今回の回答のはじめの方でも書きましたが、儀礼 行為の対象の質的な変化は、たしかに儀礼の持つ 重要な機能のひとつだと思います。「状態が保た れないような行為」というのも的確な定義です。 プージャーなどについては「<聖なるもの>の存 在を意識した行為」と、私は以前、考えたことが あります。「言葉による定義付け」はあまり意味 がないどころか、とても重要なことです。われわ れは言葉を用いて、さまざまな現象の記述を行い、 その解釈や理解を示すことがはじめて可能になる のですから。儀礼については機能や象徴的な意味 からとらえることも重要ですが、それ以外のアプ ローチも可能ですから、いろいろ考えてみて下さ い。正解はひとつではないし、要はどれだけ人に 「なるほど」と思わせるかということです。極端 ですが、つぎの論文のように「儀礼などに何の意 味もない」とする研究者もいます。 Staal, F. 1979 The Meaninglessness of Ritual. Numen 26: 2-22. 5. 人生という円環:サンスカーラと通過儀礼 このような人生儀礼・通過儀礼は、仏教独特なも のなのだろうか。それとも宗教に関係なく、全世 界にいろいろな形で存在するのだろうか。キリス ト教の洗礼も通過儀礼に入るものなのか。表を見 ると、こんなにもたくさんの儀礼があることに気 づかされた。しかし、長い人生から見れば数多く 見えるようで、実際はそんなに多くないのかもし れない。 人生儀礼や通過儀礼は、われわれにとって最も身 近な儀礼でしょう。誕生の後のお宮参り、初節句 などにはじまり、七五三、成人式、結婚式、還暦 や古稀のお祝い、葬式と、人生は儀礼の連続です。 これは日本やインドにとくに多いのではなく、世 界中で普遍的に見られるものです。むしろ、近代 化や都市化によって、多くの通過儀礼が消滅した り、形骸化したりしています。成人式のように 「おかみ」が代わって行っているものもあります。 キリスト教の洗礼はもともとユダヤの民族に見ら れる通過儀礼だったようで、イエスもヨハネ(福 音史家ではなく洗礼者の方)から受けています。 通過儀礼をはじめて本格的に取り上げたファン・ ヘネップの『通過儀礼』は、前回の資料でも紹介 したように古典的名著です。エリアーデをはじめ とする宗教学者も、境界の持つ意味などにしばし ば言及しています。 儀礼を怠ると不浄のものとされるなど、身分や儀 礼があると縛られて身動きがとれないものだと思 った。そのような世界ではとても生きていけない。 たしかにそうです。伝統的な社会であるほど儀礼 が重要であるようです。インドの場合、儀礼が 浄・不浄の観念と結びつけられ、さらに不浄なも のが社会から排除されるという構図になっていま す。儀礼なんて面倒だからやらないという人には、 インドと日本の仏教儀礼 67 居心地が悪かったでしょう。しかし、その反対に 儀礼さえ行っていたら、社会の成員と認められる というのは、楽な社会だったかもしれません。あ るいは、儀礼を行うことによって、自らのアイデ ンティティを確認することができるという、積極 的な意味も認められます。そのように考えると、 われわれの社会だって、そうとは気づかず儀礼で がんじがらめになっている社会かもしれません。 月の満月の日の儀礼や、はじめてひげ剃り、散髪 など、すごく細かいことまで書かれているのでお どろいた。 『マヌ法典』をはじめ、インドのダルマシャース トラには、日常生活の事細かな規定がたくさんあ げられています。たとえば、うがいや洗顔の方法 まで決められています。見ようによっては当時の インドの人々の生活のありさまをうかがうことが できる重要な資料です。満月の日や新月の日がよ く登場するのは、当時のインドの暦が太陰太陽暦 で、月の満ち欠けが基準になっているからです。 毎月繰り返される儀礼の基準となる日なのです。 釈迦は仏教を開いた人なのに、結婚はヒンドゥー 儀礼にのっとって行ったのですか。儀礼は儀礼と してアーリア社会のものだから、仏教がどうとか 関係ないということでしょうか。 たしかにお釈迦さんがヒンドゥー教の方式の結婚 式をしたというのは、何か違和感がありますね。 でも、結婚をした時点では釈迦はまだ悟りを開い ていないので、われわれが仏教とよぶものはあり ませんでした。また、仏教そのものが世俗的な儀 式にはほとんど関心を示さず、結婚式やお葬式の 方法を定めたりはしていません(僧団の中で死者 が出た場合の律の規定などはあります)。基本的 に初期の仏教は儀礼に無関心で、出家や受戒の作 法も必要に迫られて整備したという感じです。釈 迦の結婚式がどのように行われたかは、経典など の文献にはほとんど記述がありません。釈迦は王 族の出身ですから、アーリア社会ではクシャトリ ヤに属します。おそらく、当時一般的に行われた アーリア人の結婚の方法だったのでしょう(地方 的な特色もあったかもしれません)。今回取り上 げることになりましたが、ガンダーラの仏伝図に 釈迦の結婚の情景を表した浮彫が多数残されてい ます。これらはほぼ共通して、グリヒヤ・スート ラに記述されている結婚式の方法に一致します。 もっとも、これらの作例も釈迦と同時代、同地域 の資料ではないことには注意を要します。それで も、仏教文献では解釈することができないこれら の作品が、儀礼文献によって説明できるのは興味 深いところです。 人生儀礼のはじまりが結婚というのはとても不思 議な感じがする。もし、一生結婚しないならば、 人生儀礼とは無縁なまま一生を終えたのだろうか。 そのとおりで、アーリア社会の基本が結婚をして 家族と子孫を持つことです。ホーマをはじめとす る儀礼の目的のひとつに、子宝を得ることや子孫 の繁栄があります。それによって伝統が世代を越 えて受け継がれることになるからです。これは日 本でも、それ以外の国でも同様でしょう。なお、 人生儀礼のはじまりは結婚以外にも、成人式にあ たるウパナヤナにも置かれることがあります。こ の儀式もアーリア社会への加入儀礼に相当します。 中国の風水も土地に龍を見立て、龍穴を探したり、 儀式を行って、建築物の場所を取り決めたりしま すが、ヴァーストゥナーガとの関連性はあります か。 それは興味深いですね。風水については私はほと んど知識がないので、具体的の記述を教えて下さ い。実際に関係があったとすると、どちらが古い のかも知りたいところです。ヴァーストゥナーガ はそれほど古い建築文献には登場せず、地域的に もインド北東部からネパール、チベットと、中国 に近いところですから、ひょっとすると中国起源 かもしれません。 ダルマというのが秩序であり、ダルマスートラの 主題が習慣(秩序の再構築のような?)であると いわれましたが、儀礼を(そのほかのも)するこ と自体が秩序でもありそうなのにと思いました。 2002 年度 68 儀礼をもしないことがあればそれが秩序の崩壊で あるといえるのではないかと感じたので。アーシ ュラマの「幼児期」の説明で、「父母から受け継 いだ罪と汚れ」とありますが、父と母は不浄なも のとはとらえられていないのですか?子どもに託 すことで自分たち(父母)の汚れはなくなるとか いう考えもあるのでしょうか。 ダルマの語源が「保持する」という意味の動詞 √dhṛ で、秩序や習慣という意味に近いということ です。日本では『マヌ法典』というように、ダル マスートラは法律書のように翻訳されていますが、 内容的には生活規範や儀礼・儀式に関する記述が 大半を占めています。儀礼を行うこと自体が秩序 であるというのは、そのとおりですし、それによ って社会の秩序が再確認あるいは再構築されると いう効果も期待できます。はじめの頃にお話しし たように、インドでは「儀礼」に相当する言葉は あまり見あたらず、この「ダルマ」や、行為を意 味する「カルマ」がおそらくそれに対応します。 「父母から受け継いだ罪と汚れ」については、私 自身、あまり知識を持っていません。基本的に、 インドでは神々に対して人間が不完全なものとし て位置づけられます。また、浄・不浄の観念が強 く、人生儀礼などによって浄化される存在である ことから、逆に人生儀礼を受けていない新生児や 子どもの段階を、不浄としたのかもしれません。 あるいは、生殖行為や出産を不浄なもの(とくに 血との接触による不浄)と理解されることも関係 があるのかもしれません。調べておきます。 子供が産まれてすぐに黄金?、蜂蜜、澄ましバタ ーなど食べることができるのだろうか。入門式ウ パナヤナは日本でいえば元服のようなものなのだ ろうか。 たぶん、食べられないでしょう。おそらく口のと ころに付けるぐらいの形だけのものです。日本で もお食い初めをするときにはまだ離乳食も食べて いないので、まったく形だけです。そもそも儀礼 というのは形式的なものなのです。ウパナヤナは 元服などと同じですが、日本ではそのほかにもさ まざまな加入儀礼が行われています。人類学や民 俗学ではこのような成人式や加入儀礼をとくに重 視し、多くの研究が積み重ねられてきました。授 業でふれる予定の「死と再生」というモチーフも、 その中から抽出されたものです。 6. 死と再生の儀礼:灌頂(アビシェーカ)・完成儀礼(プラティシュター) 完成式(プラティシュター)のところがよくわか りませんでした。同じ名称であるけれど、内容等 は地域によって違うということは理解できたので すが、完成式がそもそもどういうことかが聞いて いて理解できなかった。 完成式については、以前に灌頂(アビシェーカ) と一緒に説明したと思います。仏像を作ったとき にそれが礼拝や信仰の対象となるには、言いかえ れば、本当にそれが仏であると信じるためには、 特定の儀礼の手続きが必要です。ちなみに日本に も「仏作って魂入れず」ということわざがありま す。このような儀礼はいろいろな宗教で見られる と思いますが、インド世界では「プラティシュタ ー」という儀礼を行います。この言葉の意味は 「しっかり立てること」で、文字どおり、仏像や 神像を安置することを指します。実際の儀礼は仏 像などに、その仏そのものを招き寄せ、「灌頂」 を与えるプロセスが中心になります。このとき、 マンダラが準備されることもありますが、それは マンダラが、その仏が本来住している宮殿の模式 図だからです。仏像をおさめた寺院は、仏の世界 を地上に再現したものと理解されますから、マン ダラはその二つをつなぐ設計図のようなものです。 灌頂という儀礼は、一般には密教の中で弟子に与 える入門儀礼なのですが、その目的も弟子を「仏 にする」(厳密にいえば「将来、仏になることを インドと日本の仏教儀礼 69 約束する」)ことにあります。プラティシュター において仏像が占めていた位置を、人間である弟 子が占めることになります。さて、ネパールでも これらの完成式や灌頂が広く行われていましたが、 興味深いのは、インドの伝統を受け継いだ人生儀 礼(サンスカーラ)が、仏像の完成式の中に組み 込まれていることです。授業では省略しましたが、 逆に人間の人生儀礼にも完成式のプロセスが取り 込まれています。さらにその完成式は、すでに述 べたように灌頂とパラレルな内容を持っています (ややこしいですね)。要するに、これらのネパ ールの儀礼はきわめて密接な関係を持って、相互 に包含関係にあることになります。さらに、その 歴史的背景として、インド以来の儀礼の伝統があ ります。灌頂は国王即位儀礼としてシュラウタ祭 式に本来含まれ、完成式は寺院内で僧侶が行う儀 礼でした。一方、人生儀礼は家庭内の儀式として グリヒヤ祭式の主題のひとつで、さらに、ダルマ シャーストラ(法典)の文献群において整備され ました。このように、起源や種類も異なる複数の 儀礼が、密接な関係を持ちながら、ネパールで行 われていることになります。ネパールの儀礼を表 層的に観察しても、このことはおそらくわからな いでしょう。インド世界における儀礼研究の難し さがあります。 儀礼書の内容を見ていると、現代でいうマニュア ル的な感じを受けた。生活の細事にまで言及して おり、当時の儀礼とは法律であり、作法であり、 流行であったのではないだろうか。儀礼書どおり に行っておけば、「他人に馬鹿にされない」「恥を かかない」「健康への保証が得られる」「安心でき る」「正しいことを行っているという自負が生ま れる」等の心理的な作用があっただろうと思う。 現代にも通じる感覚だ…と思ってみたが、絶対者 の存在が理解できない。日本人的な発想だろうか。 儀礼書および儀礼のとらえ方として、適切だと思 います。儀礼の目的や機能はさまざまですが、現 代的な儀礼の理解は、古代や中世のインドでも該 当するものがあるでしょう。ただ、われわれ以上 に過去の人々はいろいろな意味で「危険な状態」 につねにさらされているわけで、人生儀礼に見ら れた種類の多さや煩雑さも、そのような状態から の回避が重要だったと思います。授業でも触れま したが、新生児や幼児期の儀礼の多さはそのあら われでしょう。絶対者の存在はたしかにインドの 宗教を考える上で重要です。しかし、サンスカー ラのような儀礼ではあまりその存在が重要になる ことはなかったようです。むしろ、シュラウタ祭 式のような大規模な国家的儀礼において、神やブ ラフマンが重要な位置を占めますし、王権の正統 性などとも関係するでしょう。 結婚式の中の祭火の周囲を歩む儀式は、結婚式の ようにみんなが集まったところでやるのですか。 それだったら、今のキャンドル・サービスとかと 何か関係があったりしないのかなぁと思いました。 直接の関係はたぶんないと思いますが、火の持つ 象徴性という点では、共通するところもあるでし ょう。火が純潔や繁栄、あるいは対象を燃やすこ とによる再生などの意味を読みとることができま す。さらに、インドの場合、祭火というのは古代 以来、儀礼の中心にあります。火に供物を投じる ホーマはその典型です。家庭内においても火はつ ねに絶やすことなく保たれ、その火が調理ばかり ではなく家庭内での儀式でも用いられます。結婚 式の火はこの火とも結びつけられ、あらたな家庭 の出現を示すものとなります。また、火とともに 水がおかれていることも注目されます。一方のキ ャンドル・サービスは披露宴の定番ですが、いつ ごろからはじめられたのでしょうね。ご存じの方 は教えて下さい。結婚式そのものではなく披露宴 で行うので、宗教的な起源よりも、演出効果や雰 囲気作りとして考案されたような気がしますが…。 人間は生まれたときから不浄であるという考え方 は、キリスト教の人は生まれながらにして原罪を 背負っているという考えと似ていると思った。人 間が生まれた当初から清浄な存在だということは あまり聞いたことがない。不浄であるから儀礼を 正しく行って浄化しなさいとか、原罪を背負って いるからよいことをするようつとめなさいとか、 2002 年度 70 こういう風に「人は悪いもの」としなければ、人 間が増長して堕落していくと感じたから、人間不 浄説を作ったのかもしれない。人々を善行に導く には自らが汚いもの、悪いものと自覚させる必要 があったからではと思う。 多くの宗教の中心的な教えに、絶対的な存在を前 にした人間の卑小さ、非力さがあるでしょう。そ れによってはじめて神のような絶対的な存在に対 する信仰が生じることが可能になります。その点 で、キリスト教も浄土真宗もかわりはありません。 ただし、宗教を大きな枠組みでくくることも大切 ですが、その一方で個別的な状況にも注意が必要 です。たとえば、インドの宗教は輪廻を背景とし ていますが、これはユダヤ教やキリスト教のよう な一神教的な宗教世界では見られません。話は別 ですが、中国などで性善説と性悪説という二つの 立場があります。ふつう、性善説の方が人間を積 極的に評価しているような印象を受けるのですが、 以前、中国哲学の先生に聞いた話では逆だそうで す。つまり、性善説は基準としているレベルが高 いので、それにいたっていない人は見捨てられて しまいます。むしろ、性悪説の方が人間を寛大に 見ることが可能になるというのです。 プリント 19 ページにあった誕生式の内容の「新 生児にもみ米を背負わせる儀式」というのは、日 本にある「産まれた子供に餅を背負わせる」とい うのに似ていると思いました。 私もそう思いました。日本の場合は、満 1 歳の誕 生日に餅を背負わせることが多いと思いますが、 地方によっていろいろな別の風習もあると思いま す。餅が貴重品であったことはもちろんですが、 民俗学的には餅そのものに生命が宿っていると理 解されています。1 歳という節目に生命を刷新さ せるねらいがあったのでしょう。日本にとって稲 作文化は外来文化なので、それにまつわる儀礼も 外からやってきたものが多いでしょう。インドや ネパールと関連がある可能性もひょっとしたらあ るかもしれません(照葉樹林文化とか、タミル語 と日本語がどうこうとよくいわれますが…)。 儀式は危険であったり不安定な境界にいるときに 行われることが多いみたいですが、儀式を行って も新生児が死んだり、また役に立たなかったとし ても、その儀式は有効とみなすのだろうかと思い ました。 儀礼が境界の時間や空間と結びついていることは たしかで、授業で取り上げた通過儀礼はその典型 です。儀礼の効果が得られなかった場合ですが、 それほど明確に実際の儀礼の効果を確認できると は考えられてはいなかったでしょう。だからこそ、 習慣とかしきたりというのでしょうし、儀礼とい う言葉そのものも「形骸化した行動様式」という ニュアンスで用いられます。これは、現代のわれ われが行う儀礼(たとえば初詣や七五三)でも同 じことです。初詣に行ったから、その年は悪いこ とが起こらないとか、七五三をしたからといって、 どんな子も賢く健やかに成長するわけではありま せんよね。 インドやネパールは日本よりもかなり儀礼がたく さんある上に、それらの拘束力も強い国だと思っ た。しかし、日本にも昔は今より多くの儀礼があ ったはずなのに、終戦後の欧米化によって消えて いったり、ほとんどやらなくなったものが相当あ ると思う。もし、インドやネパールも欧米の影響 を強く受けていたら、儀礼は失われていただろう か。儀礼はその国の文化だけでなく、世界史上の 役割や歴史に大きくかかわると思った。 たしかにそのとおりで、現代の日本の社会では伝 統的な儀礼はかなり失われてしまっています。そ れはインドやネパールでも同様で、とくに都市部 では顕著です。これは、日本でもインド世界でも 伝統的な儀礼が地域とのつながりや、比較的、小 規模な共同体と密接なつながりがあるからです。 都市化や近代化はそれを壊滅的な状況へと押しや ります。われわれが目にする社会的な変化と儀礼 の衰退は、これまでに人類が経験したことがない ほど、急速なものでしょう。ただし、だからとい って儀礼そのものが消滅しつつあるというのは、 早計です。たとえば、クリスマスやヴァレンタイ ンデーのような「歴史の浅い」儀礼が、現代の日 インドと日本の仏教儀礼 71 本では大きなウェイトを占めています。人間とは 儀礼を必要とする存在なのであり、人間が必要と する儀礼の「総量」のようなものは、つねに一定 のような気がします。エネルギー保存の法則のよ うなものでしょうか。 脳死判定というものがある。脳死を死とするかど うかはまだ結論は出ていないが、もし脳死を死だ と認めるならば、脳死判定は儀礼といえるかもし れない。判定の前と後とではその人の生への距離、 死への距離が大きく変化するとは思えないが、こ の手順を減ることで、その人は死んだと社会的に 認められることになる。それはなんだか葬式に似 ていると思った。 たしかにそうですね。脳死をめぐる問題について は私はあまりくわしくありませんが、生と死を相 反するもの、二者択一的なものと見る考え方にも とづいているのはたしかでしょう。このような考 え方に、われわれはずいぶんならされていますが、 生と死は実際はむしろもっと連続的で、明確な境 界を引くことは困難なはずです。葬式はこのよう な状況に何らかの区切りをつけるという役割を果 たす儀式で、死者のためというよりも、残された 人々のための「喪の儀式」と見るべきなのでしょ うね。 7. 個の超越:成就法(サーダナ)と念仏・臨終行儀・迎講 死に際の人が往生する様子を他の人に話すという 儀式があったことにはおどろいた。死後の世界は 死んだ人以外にはわからないので、昔の人も人が どのように死んでいくのか、また死んでからどう なるのかにとても関心を持っていたのだなと思っ た。それから、五色の糸は「五色」というのだか ら、色が使われていたのでしょうか。だとしたら どのような色が使われていたのでしょうか。 実際に死に直面した人が、自分の視覚体験をくわ しく話をするのは困難だったでしょう。そのため、 何か断片的な情報でも伝えてくれることを、周り の人は願ったようです。また、二十五三昧講の 人々は、臨終においても取り乱さず、来迎を体験 できるよう意識をしっかり持ち(意識がしっかり していたら死なないような気もしますが)、しか もそこで見ることを周りの人にも伝えることを、 たがいに日頃から課していたようです。浄土教の 救済において、死の瞬間こそが、それまでの信仰 生活の総決算だったわけで、それだからこそ「臨 終行儀」のような「死の儀式」が重視されたので す。また、この場合「見ること」がきわめて重要 な意味を持ちます。「見ること」ができれば「救 済される」ことが保証されるからです。「五色の 糸」の五色とは、白、青、黄、赤、緑です。これ は五仏という主要な五尊のほとけの身体の色に対 応しています。これらの色の糸を縒って、一本の 細い綱を作ります。どうも、糸というイメージで はありませんね。 悟りを得るための実践は個の行為で、集団でやっ ている儀礼と同じことをイメージの中でやると言 われましたが、これをやれるのはやはり徳の高い 人とかになるのでしょうか。一般的に集団で儀礼 をしている人が個々で実践をすることもあるので しょうか。臨終の人と仏を五色の糸でつなぐとい うのは源氏の中にありました。死が訪れると人か ら糸が離れる(持つ力が抜けて)ので、周囲の人 は泣き始めるということのようでした。魂が離れ る瞬間がわかるという現実的な面もあるなぁと思 ったのを覚えています。死者が仏のもとに向かう のではなく、仏が迎えに来てくれるのが親切とい うか…。キリスト教とかは違いますよね。 はじめの質問は成就法のあたりのことかと思いま すが、基本的に瞑想などの実践は個人個人で行わ れるもので、集団で行うものではないようです。 仏教もインドの他の宗教と同じようにヨーガを修 2002 年度 72 行の基本においていますが、ヨーガというのは身 体と精神の活動を極力、低下(もしくは死滅)さ せる方法です。そのため、ひと気のない静かなと ころで行うことが重要でした。カルチャーセンタ ーのヨーガ教室とは違います(そういうところで も、静かな音楽などを流したりしているかもしれ ませんが)。成就法はヨーガを基本としながらも、 仏のイメージを創出することを基本とするため、 伝統的なヨーガとは少し方法が違うのですが、成 就法を説明した文献などを見ると、やはりひとり で静かな場所でやることを勧めています。すくな くとも集団で行うことは説いていません。このよ うなことができたのが、徳が高い人であったかは わかりません。むしろ、神の声を聞いたり、神の 姿を見たりといった類の神秘体験をすることが、 先天的にできるような人が、おこなったのではな いかと思います。源氏物語の臨終行儀の例は知り ませんでしたので、参考になりました。仏のよう な聖なるものが迎えに来てくれるのは、たしかに 浄土教の特徴でしょう。とくに『観無量寿経』の 九品往生の記述が決定的だったようです。キリス ト教の場合、むしろわれわれが昇天するというこ とで、こちらから「聖なるもの」の方に向かうこ とが多いようですが、天使が降りてきてお告げを する(受胎告知のように)ことや、神の力を受け ることで、その印が身体に残る(聖痕といいま す)こともあるので、少数ではあっても来迎に似 たケースをあげることも可能かもしれません。い ろいろ考えてみましょう。 仏教というのは涅槃、つまりあらゆる形や感情か ら解放され、無でも有でもない何ものでもなくな ることを目指しているのに、結局、形にすがった り、形式にとらわれたりする。仏像だ念仏だとい っているうちは涅槃できないだろうに、せっかく 涅槃した仏の方はそのたびに私たちの次元にまで 落とされていい迷惑だろう。形になった時点でも はやそれは仏ではない。たぶん、何もせず何も考 えない状態が、一番涅槃に近いのではないかと思 いが、思考こそ人間の証とまで言われるように、 人間はそういうふうにはできていない。業が深い というのはこういうことかなと思った。 涅槃や仏についていろいろな考えを示していただ いて興味深いです。「無でもない、有でもない」 というのは、ウパニシャッドに登場する有名な哲 学的な創造神話を思い出させます(「そのとき、 有もなかりき、無もなかりき」ということばで始 まります)。それはともかく、涅槃という語が本 来、「火が完全に消えた状態」を指すと解釈され ることからも、たしかに思考や感情を超越した状 態であったことは、そのとおりでしょう。しかし、 「何もせず、何も考えず」というのが悟りの状態 であるというのは、インド仏教の正統的な考え方 とは一致せず、むしろ、否定された考え方です。 日本ではとくに禅で「無念無想」が称賛されます が、これは中国仏教と日本仏教に固有の考え方で、 インドでは異端になります。インド仏教の正統的 な考え方は、中観派の空の思想で、あらゆるもの は無自性であるということです。一方、形にすが ったり、形式にとらわれたりすることは、それと は別のレベルになりますが、実際に仏教が歴史的 に行ってきたことです。宗教というものが長い時 代、存続するためには、あるいは広く伝播するた めには、すぐれた象徴体系やイメージをそなえて いることが必要条件になるようです。宗教とは高 度な哲学や教理体系だけではなく、たとえそれが 理解できなくても、信奉し支える無数の人々いて、 はじめて存在するものでしょう。 行者が絶対的な存在と一体になることを観想する ときに、頭と喉と心臓にハスをおくイメージを持 つと言っていたが、頭と心臓は何となくわかるが、 喉にも置くというのは少し驚きだった。お経を唱 えるために声を出したりするところから来るので しょうか。それとも仏教では喉というものにもっ と別の概念が含まれているのですか。 頭(頭頂)と喉と心臓は身体、ことば、意識とい う三つに対応します。これは仏教では身口意と言 いますが、とくに密教では三密と呼び、瞑想の時 などに重要な位置を占めます。これらの三つはい ずれも体の部分ですが、実際は行者の身体活動、 言語活動、精神活動という三つの領域をあらわし、 インドと日本の仏教儀礼 73 これがそのまま仏の三つの領域に合致することで 悟りを得ると考えます(「合致する」というより、 「三密加持」といって、仏の力が及ぶということ のようです)。喉は当然、言語活動をつかさどる ものです。ちなみに、チベットの仏画では、キャ ンバスの裏側で、表に描かれた仏などのこれらの 三つの部分に真言(聖なる文字)が記されます。 画像を仏という聖なるものにするための手続きで すが、これも同じ発想です。 今、この世の中に釈迦がいないということで、仏 教信者たちが仏を見たいという観仏のために仏像 などを作ったことはよいのだが、迎講といったよ うに儀式的にしてしまったことによって、どうも 格が下がったというか、仏の尊さが失われてしま っているのではないかと感じた。人が菩薩などを 「演じ」てはならないのではないか。 宗教に対してずいぶん「禁欲的」な考えを持って いらっしゃる方が多いのに、いささかおどろきま した。たしかに、悟ってもいない普通の人間が仏 や菩薩のふりをすることは、仏教の教理からすれ ば誤りでしょうが、仏教が日本を含めアジア各地 でさまざまな文化を生み出してきたことは事実で すし、それを評価することも必要だと思います。 絵画や彫刻のような美術品だけではなく、文学や 音楽、演劇などの領域でも、仏教は重要な役割を 果たしたのではないでしょうか。また、迎講その ものも、当時の人々の来迎思想や往生観を示す具 体例であるはずですし、さらに、その時代の「視 覚体験」そのものも伝えてくれます。おそらく年 に一度見ることのできる迎講は、われわれのいか なる視覚体験よりも、強烈で魂をゆさぶるものだ ったのではないかと思います。ところで、宗教学 や人類学が対象とする多くの儀礼が、神話世界や 始源の時を再現する、きわめて演劇的な性格が強 いものであることは、ご存じですか。「演ずる」 ことも儀礼の重要な要素なのです。 源信で思い出したんですけど、1052 年から末法 ですよね。たぶん。となると、もうすぐ末法も終 わるということですよね。正法、像法、末法、こ のあとの 1000 年はどうなるんですかね。 正法、像法、末法の数え方はいろいろあるのです が、たしかに 1052 年が末法のはじまりであるこ とが、平安期の浄土思想の基本だったようです。 末法は 1000 年で終わりではなく、あとはずっと そのままということではなかったでしょうか。少 なくとも弥勒が現れるまでは。 成就法で自分の心臓に三昧耶薩埵がいて、これと 本物の仏(智薩埵)とを同じくすることで、現前 に絶対的な仏があらわれる…というのはわけがわ からないのですが。そもそも、なぜ自分の心臓に 仏がいるのでしょうか。仏は自分ではなく特別な 存在ではないのでしょうか。 密教の実践や儀礼を説明していると、たしかに、 荒唐無稽というかわけの分からないことがありま す。まず、成就法という実践法そのものですが、 たとえば、礼拝や供養を仏像にするのはわかると 思いますが、それは目の前のある偶像にするので はなく、むしろそこに表されている「本物の仏」 にすること考えるべきことでしょう。密教ではこ のような「本物の仏」を実際に瞑想の中で、目の 前に生み出すことを考えたようです。その背景に は仏教が伝統的に持っていた「観仏」や「見仏」 の考え方もあります。三昧耶薩埵と智薩埵ですが、 これはテクニックのようなもので、何もないとこ ろ仏を生み出すことはむずかしいので、あらかじ め自分の内部に仏のイメージを作っておくことを 思いついたのでしょう。また、仏教の考え方のひ とつに「如来蔵」というのがあり、これは文字ど おり、あらゆるものには如来すなわち仏となる資 質が備わっている(蔵されている)ということで す。三昧耶薩埵はあくまでも本物の仏を入れるた めの容器のようなものなので、そこに智薩埵とい う、仏の智そのものがイメージ化されたものを導 いてきて、合体させることで、仏が実際にそこに 現れることになります。智が重要であるのは、仏 とは悟ったものであり、言いかえれば智をそなえ たものだからです。(やっぱり、荒唐無稽でよく わからないかな…)

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