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無宗教であること

無宗教というのは、実はすごく悩ましい。
何故なら人間というのは、善とか悪とか光とか闇とか、何かにつけて分けたがる訳ですが、そういう判断をするための蓄積というかバックボーンが宗教や常識に依存する事柄が非常に多いからです。そのような社会状況の中で無宗教である場合、全部が自分自身の思考を基礎とすることになります。早い話が、非常識や社会不適合者と言われかねない思考も含まれてきます。

全体主義的にあらゆる時代の常識などの中で判断を行えば正常であると言われる訳ですが、例えば戦国時代の頃の常識を今使っていたらヤバい奴な訳です。それと同じようなものだということです。

何か正しいと思えることに依存したら楽です。
今現在の政治、宗教、スピ、学校教育、常識、親、その他の教えてくれることに従うなら楽なのです。

だけど、そんな人生を良しと思っていない。それが正解だとどうしても思えない。真理はそんなところにはないと疑って止まない。だから無宗教なのです。

しかし、今も過去のものも全て否定しているわけではないし、全ての考え方を自分で生み出している訳でもありません。そんな烏滸がましいことは、全く思っていません。

誤解なきように先に言いますが、善人だとも悪人だとも思っていないし、善人とは何かという答えを得てもいない。悪の概念についても同じです。
しかし、これを掘り下げるにはこれを読む方の真理追求の度合いによるため、自分がそう思っているということだけに留めておきます。

いずれにせよ、説明しにくいのですが、多くの答えを自分で見つけようとするから、無宗教というのは悩ましい訳です。

まして哲学者でもないし。そもそもそれほど学もない。

先にも述べたように、宗教やスピや政治や常識や学識に頼っている方が楽なのです。社会形成も圧倒的に有利です。大勢の群衆が同じ方向を向いてくれれば、それだけ完成も早く、精度も高くなります。
そういう社会として教育されている訳だから、同調して、仲良くして、和気藹々と生きれば楽なんですよ。体系化された思考の方が、判断も速く出来ます。
そう言った意味で今の社会の中で優秀で偉いというのは、この仕組み(経済・政治・教育)の中で最も洗脳されていると言えなくもないでしょう。もちろん全てではありません。何故なら知っているからこそ利用している人間も大勢いるからです。
ある一定のラインを越えるためには、その知っているからこそが必要になります。それを知らずには、その先を維持することは困難だからです。

法律、常識、教育、宗教、テレビ、SNS、様々な洗脳ツールが盛り沢山です。
その中で抜きん出ることも楽に生きる方法の一つではあります。

だけど、面白くない。
そんなの何一つ、面白くない。

それらの数ある教えが、正しいか真実か全ての判断をすることは俺には出来ないし、今となってはそこから真実を見出そうとも思っていない。

例えば、海が割れたとか、マジで信じてるのかな?
磔になって3日後に生き返った話しとか。
日本昔話でもそんな嘘はつかない。子供の頃大好きで日本昔話をよく見ていたけど、宗教は俺にとってせいぜいその下くらいの説法でしかない。

過去の人物や出来事の書物を読んでも大多数を信じられない。
特に超人的な話などは、物語でしかなく勝者の書であり、映画と同じような娯楽である。今で言うところの、marvelの映画のようなもの。
ただ、そこにはヒントが沢山あるのも事実で、勝者の書が全くの無駄であるということではありません。
だから、解釈を学ぶべきであって、信じるとか信じないとかではないのです。しかし多くの人が、アイコンにしたり思想として掲げたり、歴史的人物を偶像化します。それこそ洗脳であるということを知らずに。

それらは、ただの娯楽と同じなのに。

幾多の物語が蓄積されて、こうあるべきと体系化され、何故かそれを信じ切っている。という風に俺には見えるんですよ。それが、宗教などの類いとなっている訳です。信じるとかではなくて、例えば分かりやすい人物で言えば、空海の生き様や習得した物事を知り、自分に生かせることは生かし、時代に合わせ知恵にする。
依存して傾倒して信仰するというのは、もしも空海が生きていたらどう思うのだろうか。彼は一個の人間として苦悩し、自らの精神を高めようと努力した人だと解釈しています。しかし俺は、空海が神のような力を手に入れ、人外智を持って人々を助けたなどという絵空事を信じたりしません。ただの人間です。普通の人間が知り得ないような密儀に辿り着いた可能性はありますが、単なる可能性であり真実や事実であるかは分からない訳です。それも信じたい人の心が、宗教化しているということなだけなのです。分かりやすい例として書きましたが、これは徳川家康・織田信長・豊臣秀吉など戦国武将にしてもそうだし、三国志の武将や国家元首にしてもそうだし、トランプでもプーチンでも同じです。まして、坂本龍馬に至ってはCMに起用されたアイドルのようなものです。

また違う話になりますが、よくある話で、昔偉い坊さんがいて云々と始まる。
まずその冒頭の言い方で、偉いとか偉くないとか、そういう分別をしている時点で???となります。
解脱とか悟りとかって言葉があるけど、その冒頭の“昔”と“偉い”って言葉だけで、何一つ解脱してないし悟っていない人の話なのか、そういう語り手の話であって聞く価値がないなと思ってしまうんですよね。

信者と書いて、儲ける。
こりゃ相当根深く洗脳されていて、この言葉を「なるほど。」と言う人は多いものの、信者を辞める人は少ないんだよ。そう書いて信者=儲なのに政党の党員や宗教の儲を辞めないのは何故なのか。

宗教の信者 = 教祖と運営が儲かる
政治の信者 = 国と政治家と官僚が儲かる
偶像の信者 = 事務所とアイドルが儲かる
などなど、そこには儲かる話しかない。
信者がいるところ、儲け話あり!な訳ですよ。

そしてそれら偶像の共通点は、彼らからの見返りは無いに等しい。
なのに信者を辞めない。(儲けさせるのを辞めない。)

信者である必要は、いっさい無いのです。
むしろその人たちは、周囲の人々のために尽くすことが仕事な訳ですよ。
でも本当に人々に尽くすのが職務だったら、儲からないから誰もやらない訳です。本来、儲からないものを儲かるようにしたから、信者を集めている。
宗教団体が出来る、政党が出来る、アイドルが誕生する、それらは全て一部の人たちの仕掛けた一部の人たちのための儲け話です。

例えば、選挙があったら正しいことをしているとか、正しいことをしてくれそうな人に投票すれば良いだけで、党員になる必要など一切ない。
それこそ、政治と経済の癒着の温床となるようなことであり、何一つクリーンではない。お互いに見返りのためにやっている。それが政党と党員(つまりは法人絡み)でしかない。会社に言われてやっているという人は、強制ではないから辞めてしまった方がいい。出世に関わるというなら、そんな会社辞めた方がいい。だって、そんなの宗教と同じじゃん。なのに信者を辞めない。(儲けさせるのを辞めない。)

シンプルにそれが答え信者がいて儲かるからやる。

何て言うか、何も考えず教わった通りに信奉するのって、思考の怠慢だと思っている。信者だから大丈夫っていう怠慢ですよ。実は、儲けさせることで自己満足でメンタルを維持しているんですよ。
自分がお金を出したんだから、良くなってもらわないといけないっていう謎な自己満足。
だから、アイドルが裕福になればなるほど、自慢したりする。
俺は、あの子が貧乏な駆け出しの頃からファンだった。とかね。

アイドルは、宗教と同じ。
宗教も金を出したら、心理的に辞めにくくなる。

そこを知っていて、どんどん嵌めていく。詐欺のようなものなんですよ。
やっている方は、信者が多いほど黙っていてもチャリーンチャリーンって入ってくる。
しかも宗教なら非課税。もう本当にアホくさでしょ。

少し、ドギツく言いますね。悪く思わないでください。
宗教信者は、信仰心あるから悪霊は来ないとか思っているのかもしれない。
信者だから幸せになれると思っているのかもしれない。
それってどういう心理なのでしょうか。

何が言いたいのかといえば、
その依存心と不安を利用されているって気が付いてください。

もっと別なことでメンタルを強くしてください。
信者なんていうものは、時間もお金も、ものすごく無駄なことしているので。
安心を買っているかもしれないけど、見返りなんて何一つ無いので、気が付いてください。

そうは言っても俺は、不思議大好きだし、ポジティブ全開だし、出掛けるのも大好きなので、神社だろうと、寺だろうと、パワースポッットだろうと興味本位に行きます。
でも少しも依存していない。
ちなみに礼拝の仕方など、別に気にしない。
(これは、別で書いてあります。)

バチが当たるよって言う人居るけど、当ててみてください。
そんなものはありませんから。もちろんだからと言って、傍若無人はいたしません。そういう意味ではありません。文化を尊重はしますが、無理解なことはしないというだけです。

長くなって言いたいことが言えたのか、伝わるのか分かりませんが、最後まで読んでいただき感謝いたします。

あなたの人生が輝きに満ち溢れることを願っています。

何なら、、、
歴史の舞台に出てくるほどルーツも輝かしく、先祖の思考を汲み取るに至り、ルーツすらも越えようとしている俺の信者になりませんか?(笑)
さすれば、幸せを祈ってしんぜようw
世の中(人間界)は、そのくらい胡散臭い(笑)