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ズボラとこだわりの狭間で

noteを始めて、「書くのが楽しい」と思う一方で、私の下書きには今までのストックも含めて現在20記事近くが眠っています。

何度も何度も読み返すうちに、「結局何が言いたいんだっけ?」とか「なんか変な感じがする」と、不安に駆られて躊躇ってしまったり、「いや~猫かぶり過ぎでしょ」と自分の書いてる内容に違和感を覚えることがよくあります。

それなのに、くだらない日常のなんてことない日記をポンと気軽に公開できたり。なんだこりゃ~って自分を不思議に思う時もあります。繊細なのか、楽観的なのか…?



過去に個人ブログやホームページを趣味で作っていた頃、プログラミングの知識もなかった私はネットの大海原を彷徨いながら、サーバーを探して契約し、ドメインを取得(ネット上の家と住所みたいなもの)、HTMLやcssといった呪文のようなコードを独学で勉強し、必死に手作業。デザインの変更だけに徹夜したり、1記事に1万文字近く書き上げていた時期を思い返すと、そこまでやるのは強いこだわりがあり、やや完璧主義に近いのかなとも思ったりします。

そんな私ですが、普段の家事や料理は全然手を抜きまくり。出来る限り自分が楽をできる方法を考えるという「そんなこと考えてる暇があるならやればいいのに」状態な一面もあります。
日常生活はズボラ全開。毎朝家を出るギリギリのタイミングで、「靴下履いてない!!」と気付き、慌てて探すも見つかるのはどちらか片方。(ちゃんと片付けない私のせい)もはや靴下のパートナーを掘り出すことがルーティーンになっていたり、職場へ持っていくお茶を水筒に入れて、キッチンに置きざりにして出発してしまうようなポンコツなところもあります。

小さなことや周囲の反応が妙に気になったりもするのに、直そうとしないだらしないところや抜けてるところもたくさん。自分の中に、こだわる部分と適当加減が共存してて不思議だなぁと感じてます。


そんなポンコツな私でも、一応自分なりに考えながら心を込めて書いたものに貴重な時間を使って目を通してもらったり、コメントを頂けることがとても励みになります。

人と関わるときに私が思うのは「相手の時間を貰っている」ということ。「記事を読む」・「コメントを書く」これもその人の大切な時間を自分に使ってもらえているわけで、そうした人とのつながりを感じることができるのは、やっぱり特別なことだと思います。

「伝わってきます」「大好きな文章でした」「画像が素敵です」

嬉しい言葉に背中を押されて心が温まっています。
ありがとうございます😭


書きたいことや表現したい気持ちに正直になりつつ、好きなやり方で表現する。こだわりがあったり、神経質になったり、抜けてるだらしないところも含めてすべてが私なんだと認めて、今日も少し前進です。


下書きに眠っている子たちも、ひょっこり日の目を見るときがきっとくるはず🐣




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